初代「原民喜詩碑」の銘板
広島県立図書館(中区千田町3丁目)に入ってすぐ左手のカンターの奥側に「原民喜旧詩碑-銘板・陶板-」が、ケースに収められて展示されています。
「旧詩碑」の後ろに取り付けられた2枚の説明板の右側には、詩碑に刻まれている銘文と新しい詩碑の写真が、左側には、この場所の展示された経緯が6項目に分けて書かれています。
その最初の二つは、次のように書かれています。
「小説『夏の花』で知られる郷土の作家原民喜の詩碑は、最初,広島城跡の被爆した石垣を背景に建てられました。(1951年11月15日)」
「しかし、まもなく佐藤春夫氏起草の碑文を刻んだ裏面の陶板は盗まれ、民喜自筆による『碑銘』を刻んだ表面の陶板(陶芸家加藤唐九郞制作)は、投石などによって傷ついてしまいました。」
実は、県立図書館を訪れてすぐに「原民喜旧詩碑-銘板・陶板-の由来を知りたい」と館員に尋ねたところ,「ぜひこれを読んでください」と1枚の資料「1996年7月 図書館たより 広島県立図書館報第81号」を手渡されました。
その「図書館たより」には、「原民喜の旧詩碑銘陶板」と「原爆ドーム東側に再建された詩碑」の2枚の写真とともに当時の県立図書館長だった脇康治さんの「出会い」と題した手記が掲載されています。
その手記の冒頭に次のように書かれています。
「大柿高等学校の文芸誌『文芸大柿』(1965・No.6)に、『文学散歩-近辺文学碑めぐり-』という文章があります。その中で『原民喜の詩碑』については、次のように記されています。
『広島城を歩くと人影もない、ひっそりとした所に,ポツンと一つの詩碑が立てられています。これは広島が生んだ原爆詩人、原民喜の詩碑なのです。雑草の中に埋もれ、建設の縁起を記した佐藤春夫氏の文が刻まれた銅板は、何者かによって持ち去られていました。碑の正面も、子供たちが、標的としてぶつける石で傷つけられ読めなくなっています。
遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜つ天地のまなか/一輪の花の幻
と書かれた詩が、この傷ついた貧しい詩碑に刻まれているのです。わたしたちは、碑のまわりを掃除し、心ばかりの花を供えて、静かにひざまずいたのでした。』
顧問として案内した時のことを懐かしく思いだしています。」
この文章からは、原民喜詩碑が広島城のどのあたりにあったのかはわかりませんが、当時広島城が子供たちの遊び場だったことや詩碑が傷つき雑草の中に埋もれるなど放置状態にあった様子が想像できます。
説明板に書かれた当時の様子は、この文章を元にして書かれてものだということが理解できます。「文芸大柿」には、1965年の何時頃この場所を訪れたかは書かれていませんが、原爆ドーム横に新しい詩碑が建立されたのが、1967年7月29日ですので、旧原民喜詩碑の様子が、これでよくわかります。
原民喜詩碑が再建された際に作られた報告集「原民喜詩碑再建記念」には、詩碑が傷ついていたことについて、冒頭の「原民喜詩碑の再建について」の最初に次のように書かれています。
「この度、原民喜の詩碑を,十幾星霜にわたって痛ましく傷つけられた儘になっていました広島城跡から・・・。そもそもこの原民喜詩碑が、毀損されたにつきましては、彼を識るものも識らぬものも,心を痛めますこと久しく,修復と保存について・・・」(原文のまま)
図書館の説明板の3項目は、「原民喜詩碑が原爆ドーム横に再建された」ことが記されています。
4項目以降に、詩碑再建に伴って、撤去されることになった「原民喜旧詩碑-銘板・陶板-」が県立図書館にたどり着き、展示されるまでの経緯が記されていますので、その内容を次回紹介します。
いのちとうとし
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