被爆復興のために贈られた広大の供木の今
広島市の戦後復興期、平和公園や平和大通りの緑化のために全国、県内各地から多くの樹木の苗木が贈られたことは「供木運動」として知られています。
旧広島大学千田キャンパスには、世界から届けられた供木が、今も元気に育っています。
1949年(昭和24年)5月に学制改革によって誕生した新制広島大学で初代学長に就任した森戸辰男さんが、1951年1月に世界各地の大学や研究機関に書簡を送り、広島大学の再建・復興への協力を依頼しました。
その要請の中で森戸辰男学長は、「この新しい大学を平和都市の精神的・文化的中心にふさわしい平和の大学に建設していくために、誠意努力しています」とし、具体的には二つの協力要請をしました。その一つは「平和問題研究所を設置するために必要な関連の書籍」で、もう一つが「原爆被災によって荒廃した大学構内の緑化に必要な植物の種子・苗木の寄贈」でした。
この呼びかけに応じて世界各地から2,096冊(昭和29年7月まで)の書籍と苗木261本・種子934袋寄付金37万円が寄せられました。
届いた苗木と種子は、旧理学部第一号館を中心として、キャンパスの緑化と整備が進められました。
と書いたのですが、この情報は「芸備地方史研究」(広島大学内芸備地方史研究会発行)272号(2010年発行)に記載された「広島大学旧理学部一号館のあゆみ」からの引用です。
この「広島大学旧理学部一号館のあゆみ」の筆者は、今月1日のブログ森滝市郎先生の自筆資料など広島大学に寄贈: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した広島大学文書館の石田雅春さんです。
10年以上前の文章ですが、届いた苗木などが、今どうなっているのか知りたくなり、石田さんに問い合わせました。問い合わせた翌日に次のようなメールが返ってきました。
「お問い合わせありがとうございました。お尋ねの件について、大学の平和センターで研究員をしている嘉陽礼文氏がもっとも詳しいので、嘉陽氏が調べられた成果を提供してもらいました。いただいたデータを添付ファイルでお送りしますので、よろしくお願いします。」
添付されたファイルは、現存する樹木のリスト、手書きの地図、樹木の写真です。そして連絡先も書かれています。
早速嘉陽さんに電話を入れました。あらかじめ石田さんから「金子から連絡がある」旨伝えていただいていましたので、話はすぐに通じ、改めて現場を一緒に回ることを約束していただき、電話を切りました。
そして数日後の今月の24日に、嘉陽さんと一緒に現地を回り、現存するリストにある50本を見てきましたが、その様子は明日報告します。
いのちとうとし
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