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2023年5月 4日 (木)

森滝市郎先生が最初に座り込みをされたのはいつか?

今日も森滝先生の話です。

先日の「森滝先生の自筆資料などの搬出」を取材した記者の一人から「森滝さんの最初の座り込みは、昭和37年と思っているのですが、その前の昭和32年に『イギリス水爆実験に抗議して4人の被爆者が座り込んだのが最初』という資料館のパネル展示があるのですが、本当はどちらでしょうか」と尋ねられました。

改めて問われると、「サー?」と即答できませんので、大事なことですのできちんと調べることにしました。

手がかりは、1973年7月20日からスタートした「核実験抗議の座りこみ」10周年を記念して、広島県原水禁が,1984年3月20日に発刊した「ヒロシマの記録―核実験抗議座りこみ10年-」に掲載された森滝先生の巻頭言です。

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この巻頭言のタイトルは「座り込み10年の『前史』と理念」(1994年刊「核絶対否定への道」、2015年刊「核と人類は共存できない」にも収録)です。何度も読んだはずですが、改めて読み直しました。

この中で、森滝先生は、核実験抗議の座りこみの「前史」として、「昭和32年の慰霊碑前座りこみ」と「昭和37年4月の慰霊碑前座りこみ」の二つの座りこみが在ったことを紹介されています。これによって、核実験抗議の座りこみの最初は、昭和32年だったことがわかりますが、記者からの問い合わせは、「森滝先生が最初に座りこみをされたのは?」ということでした。

昭和37年4月の座りこみについては、「もう一つの大きな事例は、昭和37年4月の慰霊碑前12日間の座りこみ行動である。(中略)4月20日から核実験計画を中止せよと要求して座りこみ行動がはじめられた。通して座りこむのは吉川清君と私であったが、私は大学に辞表を提出して背水の陣の決意で座りこんだ。」と書かれているので、森滝先生が、この時座りこみをされたことははっきりしています。

問題は、「昭和32年の慰霊碑前座りこみ」の時どうだったのかです。その時のことを次のように書かれています。「この時、広島では三月下旬から四月中旬にかけて被爆者数名が原爆慰霊碑前で『祈りと抗議の座りこみ』をつづけた。吉川清、小林薀徹、南小一、河本一郎などの諸君であった。」これを読む限りでは、この時の座りこみには森滝先生は参加されていません。ところが、この記述の少し後に「この数名の被爆者有志の行動に動かされて広島県被団協は四月六日にこの人たちを囲んで『祈りと抗議の座りこみ』をおこない,その場で被団協の抗議大会を開いた。しかし、この数名の座りこみは猶もつづけられ,遂に四月二〇日の実験抗議広島市民大会にこぎ着けて座りこみ行動を打切った」と書かれています。これを読むと、一日だけですが、4月6日には、吉川さんなど4人に加わって県被団協の抗議大会に集まった人たちと一緒に座りこまれたことになります。

ですから、「森滝先生が最初に座りこみをされたのは?」の答えは、「昭和32年(1957年)4月6日」と言ってよいのではないかと思います。これが私が得た一応の結論です。

この他にも調べてみてかわかったことがあります。

その一つは、森滝先生の記述では、「3月下旬」となっている座りこみが始まった日は、「3月25日」だということです。「4月6日の県被団協の抗議大会」には、山口、岡山、愛媛の各県代表も参加し、参加者は100人でした。また「4月20日の原水爆実験抗議広島市民大会」は、市民や学生、被爆者など1000人が参加し,資料館下で開催されています。場所が、資料館下となっており、ちょっと不思議な気がしましたので、気象台の過去の天気を調べてみました。それによると、昭和32年4月20日の広島市の降雨量は「31.1mm」で一日中雨が降っています。雨が降っていたため、会場が資料館下となったようです。

これらは天気情報を除いていずれも中国新聞社が発刊した「年表ヒロシマ 核時代50年の記録」に記載されていたのでわかったことです。、調べてみるといろいろと新しいことがわかりますので、楽しみながら進めています。

いのちとうとし

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