ベトナムの歴史(その23-2) 抗仏闘争-3の7のつづき
フランス軍を破ったディエンビエンフーの戦い
アメリカの軍事支援を受けたフランス軍に、ベトミン軍は随所で攻勢をかけます。フランス軍は新兵器ナパーム弾などで反撃しますが、劣勢は挽回できず、戦費は増大し国民の反対も高まり、インドシナからの撤退を考え始めます。戦後の和平交渉を有利に進めるために大規模な作戦を立て、周囲を2000m級の険しい山に囲まれた標高460mの盆地に位置し、陸路は無いに等しい要衝・ディエンビエンフーに兵力を集中します。ディエンビエンフーには日本軍がつくった飛行場もあり、フランス軍は分解した戦車や銃火器、弾薬を空輸し、最終決戦地の体制を整えます。
このような山岳地帯にベトミン軍が重火器で攻勢をかけてくるとは考えられない基地でした。ところがグエン・ボー・ザップ将軍に指揮された人民軍は、山砲(105mm榴弾砲)やロケット砲・対空火器などを分解し、人力で運び上げました。山野を切り開き、兵員や武器弾薬など資材を運ぶ道路を建設。昼間は木で覆い隠し夜間に輸送。ベトミン軍の物資は乏しく、トラックも限られていました。肩に武器と弾薬、背に15kgの米を負い夜間50km、昼間30km移動。木で補強した自転車に300kgの資材を積み・・・・と、輸送のほとんどは人力が頼りでした。
大砲をロープで引き上げるベトミン軍
駄目な場合は分解し車輪や砲架、砲身を運びました
大活躍した自転車部隊。1台で約200~300㎏の荷物を運び計2万台が動員されました。いざという時には彼等も戦闘に参加します。(出典 ディエンビエンフー軍事歴史博物館)
こうして、基地を囲む山々の峰まで運び上げ、要塞を見下ろす位置に設置し、密かにフランス軍を包囲したのです。
ディエンビエンフーの戦いは1954年3月13日に始まり5月7日までの55日間続き、フランス軍の大敗で終わりました。勝利したベトミン軍の犠牲も甚大で、死者が約8,000人、負傷者約15,000人。フランス軍の死者は2,293人、負傷者11,721人でした。
10年前に友人と訪れたディエンビエンフー
筆者もかねてよりディエンビエンフーには一度は行きたいと思っていましたが、10年前の2013年、ベトナムとの交流を始めた当初からの仲間で50年来の友人である久保さん(HVPF理事)と二人で訪れました。写真左下は激戦地の丘に残るフランス軍の塹壕に佇む久保さん。右下は犠牲者が眠る「ディエンビエンフー烈士墓地」で、子どもの頃の体験を話してくれた女性と筆者(筆者の右は通訳、女性の右は墓地で墓参者に線香を売っている女性)です。話をしてくれた女性は、ほぼ毎日、墓地を訪れているとのことです。
1847年のダナン攻撃に始まったフランスの植民地支配は、第二次大戦中の一時期を除き100年余り続き、ディエンビエンフーの戦いに勝利したことでベトナムの人々はフランス支配から脱しました。しかし、それはまだ真の民族独立への一歩であり、その後、アメリカの介入により更に20年間も続くベトナム戦争への序章だったのです。
左上の写真はディエンビエンフーの「チュンタム1市場」で魚を売っていた女性です。親しみを込めて声をかけてくれた笑顔がとても素敵で、思わずシャッターを切りました。右上の写真は少数民族の衣装を纏ったシャイな女性です。カメラを向けると最初、眉をひそめていましたが次第に笑顔でポーズ(?)をとってくれました。ディエンビエンフーにはタイ族、モン族、ザオ族、ザイ族、テイ族、ハニ族、シラ族など20の少数民族が住んでいます。この女性は民族衣装からおそらく、モン族の女性だと思います。
話は飛びますが、ベトミン軍が攻勢をかけたディエンビエンフーのフランス軍基地にはベトナムの少数民族も狩り出され、各陣地に配備されていました。その中にタイ族で構成された部隊もありました。ベトミン軍はその陣地に攻撃をかける前に、「明日(3月17日正午)の攻撃開始の前までに、戦闘を止めてそれぞれの村に帰るよう」にスピーカーで呼びかけたそうです。堅く守られていたはずの他の陣地が破られたのを目の当たりしたタイ族は一斉に逃げ出し、残ったフランス兵も仕方なく撤退し、ベトミン軍は戦うことなくしてその陣地を攻略したそうです。
市場で出会った女性たちは、こうした実体験・追体験した平和への意志強固な人たちだったのだと、10年経た今、あらためて思い起こしています。
昨年10月に始めた「抗仏闘争シリーズ」は今号で閉じたいと思います。ベトナム戦争に入る前に、次号から数回にわたって「抗仏戦争に加わった元日本兵」に関して報告したいと思います。
(2023年4月21日、あかたつ)
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