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2023年4月10日 (月)

元・中国電力社長、白倉茂生さんの逝去

 中国電力の元社長、白倉茂生さんが去る2月25日に満87歳で亡くなられたという連絡がありました。白倉さんは、2001年の株主総会で第7代の社長に就任され、06年までの5年間社長をやっていました。

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毎日新聞より転載

 白倉さんとの出会いは、白倉さんが社長として総会議長をされていた時の株主総会です。それなりに緊迫感のある総会が終了し、総会場が『ほッ』とした雰囲気になった時、白倉さんから「木原さん、本を出版されましたね。読みましたよ」と声を掛けられたのです。

「ありがとうございます」と議長席側に近づいたら、警備会社の人に行く手を遮られました。書いた本とは『原発スキャンダル』という題名のものです。それから僕は白倉さんに手紙を書きました。

白倉さんは広島県安芸郡海田町の生まれで、小学4年生の時に原爆の閃光に襲われました。14年2月20日付けの毎日新聞記事によると『とっさに机の下に隠れたが、爆風で窓ガラスは割れ、畳が跳ね上がった』話しておられます。

翌7日に、お母さんとお兄さんと一緒に親戚を探しに市内の白島町に向かっています。だから入市被爆者となります。

社長を退任されて自由人になられた後、食事を共にすることがありました。初めての時は、紙屋町にあるメルパルク2階の店で昼食を食べました。その時に話されたのは「株主総会の時のことは一生忘れられない」という言葉でした。山口大学工学部大学院客員教授として、火力発電の問題で講義をすることがあると話されていたと思います。

それからは年賀状のやり取りが続いていましたが、21年だったと思いますが、電話が掛かってきました。「木原さん、こんど自叙伝を出すのだけど、一文書いてくれないだろうか」とのお願いでした。すぐに「私が書いてよいのですか」と聞き返したのですが、白倉さんは、即座に「木原さんに書いてほしいからお願いしているのですよ」と丁寧に話されました。字数制約の中で、「白倉さんからもらったちょっとした出来事」という原稿を書きました。

僕は株主総会での出会いを書いた後、次の文章で締めました。

『白倉さんは人間味のある優しい思いやりの有る人だなと思った。

そのこと(株主総会)があって以降、私は相対する立場の人にも、必ず挨拶の言葉をかけることを心掛けた。挨拶にどういう反応をするかで大げさかも知れないが、その相手の余裕というか人間味を、白倉さん的にいわせれば「情」の育ち度が分かる。

立場の異なる人たちとの関係も、根底が通じ合っていれば繋がりは保てるし、人間としての尊厳の心を持つことができる。ずっと以前の株主総会の場のちょっとした出来事が、白倉さんから貰った人生の大きな教訓となった。

その根底にあるのが、白倉さんの云う「情」ではなかろうか。』

自叙伝は2021年夏に、ハードカバーの立派な装丁で出されました。『白倉茂生の言葉-「情」の継承-』というタイトルが付けられていました。

白倉さんが亡くなられたという連絡は、ご家族からのハガキでした。『亡くなる前日には米寿の祝いをしてご機嫌でした。たまたまテレビで木原様の姿を拝見して喜んでおりました。又、会いたいと話したのが昨日の事のようです』と。

木原省治

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