シュウモーの庭
先月の27日、「広島旧陸軍被服支廠出汐倉庫Open Week自由見学会」(広島旧陸軍被服支廠出汐倉庫Open Week自由見学会: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)の会場で、主催者のわが町活性化委員会・藤原美香さんから「すぐ近くの皆実平和住宅の中に『シュウモーの庭』が有るのをしっておられますか」と教えていただきました。
初めて聞く話でしたので、帰りに現地を訪れました。小さな庭園ですので、気をつけないとわからない場所にありましたが、皆実平和住宅集会所のすぐ前で見つけることが出来ました。
解説板が有りますので間違いありません。解説板には次のように書かれています。
「皆実平和住宅と『祈平和』灯ろう アメリカの森林学者フロイド・シュモー氏(1895年~2001年)は、原爆で家を失った人たちの住宅を建てるため約4,000ドルの募金を集め、1949年(昭和24年)、仲間とともに広島を訪れ、市内4カ所に住宅や公民館など20戸を超える『広島の家』を建てました。(中略)
この皆実町にも2棟4戸の『広島の家』を建て、これは『平和住宅』と名付けられました。ここに地元の人たちも手伝って小さな庭を造り、『祈平和』,『THAT THERE MAY BE PEACE』と彫った灯ろうを置きました。
その後、シュモー氏が建てた住宅は建て替えられ,庭も移設されまたが、シュモー氏の心は『皆実町平和住宅』という名称と庭の灯ろうに生き続けています。
広島市は1983年(昭和58年)11月,『広島の家』の建設・寄贈を通じて平和運動に尽力したシュモー氏に広島市特別名誉市民の称号を贈りました。
私たちは、この灯ろうとともにシュモー氏をはじめ『広島の家』の建設に関わった人々の人類愛と深い平和への思いを伝えていくことを誓います。」
続けて「広島平和記念資料館付属展示施設シュモーハウス 中区江波二本松にあるシュモーハウスは、唯一現存する『広島の家』です。シュモー氏をはじめ、被爆後に寄せられた海外からの支援を伝える展示施設として改修し、2012年(平成24年)11月に開館しました。」と記載されています。
私がシュモーハウスとして思い浮かべるのは、江波二本松にある展示施設のことでしたので、ここに縁(ゆかり)の「シュウモーの庭」があることは全く知りませんでした。
庭園の前には、鎖が取り付けられていますので、最初は中に入るのを遠慮したのですが、「祈平和」,「THAT THERE MAY BE PEACE」と彫った灯ろうを間近で見たいと思い、ここを管理する広島市南区役所の建設課を訪れ、許可を得て中に入り写真を撮りました。
2007年(平成19年)に広島平和記念資料館が開催した企画展「海外からの援助 被爆者の援助と込められた再建への願い」で作成されたパンフレットにこの皆実町の「平和住宅」の建設の様子を収めた貴重な写真がありました。うちの2枚を紹介します。
「建設が進む『広島の家』」のタイトルがついています。
一番左の帽子をかぶっているのがシュモーさんです。
「完成した『広島の家』の前での記念撮影」とタイトルがつけられた写真の右隅に「灯ろう」が写っています。
この写真のキャプションには、次のように書かれています。
「最初に完成した皆実町の家には、3,800家族から入居希望があり、広島市の抽選で,4家族に決まった。」
当時住宅事情が本当に深刻なものであり、シュモーさんが建てた2棟4戸の住宅がどれだけ貴重なものだったかが、この文章からうかがえます。
別の写真のキャプションには、石灯ろうについて次のように書かれています。
「庭園の石灯ろうには、日本語で『祈平和』、英語で『THAT THERE MAY BE PEACE』というシュモー氏の思いが刻まれた。シュモー氏にとって住宅と庭園は希望と祈の象徴だった。」
広島の復興には、こうした海外からの援助があったことを忘れてはならないと改めて感じました。
いのちとうとし
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