広島旧陸軍被服支廠出汐倉庫Open Week自由見学会
26日から4月2日までの午前10時から午後1時まで,わが町活性化委員会(出汐町内会旭二丁目町内会、南町4丁目町内会で組織)と地元の有志の皆さんが主催する「広島旧陸軍被服支廠出汐倉庫Open Week自由見学会」が開催されています。
私は、二日目の昨日、「薫風寮での生活紹介」がありましたので、それに参加してきました。
久しぶりに訪れる「広島旧陸軍被服支廠」です。「薫風寮」の紹介の前に、わが町活性化委員会の藤原美香さんによる広島旧陸軍被服支廠のついての解説がありました。
これまでに聞いた話がほとんどでしたが、二つだけ紹介したいことがあります。
一つは、被爆建物としての被服支廠の話だけではなく、被爆前の被服支廠が果たしてきた役割、軍都としての広島の話があったことです。
二つ目は、いくつもある窓のことです。
鉄の扉の奥には、ガラス戸があります。鉄の扉は、観音開き(二つの扉が左右に開く)になっていますが、内側のカラス戸は、横にスライドして開くようになっているとのことです。上の写真で2段目に並3つの窓は鉄の扉が壊れていますので、内側にガラス戸があるのがよくわかります。鉄の扉のことは、気にしてみてきましたが、内側のガラス戸の作りについて聞いたのは初めてのことです。
いよいよ今回のメイン「薫風寮での生活紹介」です。戦後、広島旧陸軍被服支廠の倉庫は、様々な目的で使用されました。その一つが、広島大学の学生寮「薫風寮」です。
薫風寮として使われたのは、一番南に東西に建つ旧10番庫(現4号棟・国が所有)の西側半分です。東側半分は、日通の倉庫として使用されました。
一番手前の半開きになっている入り口が、薫風寮の玄関です。
奥の方が日通倉庫ですが、みえにくいので拡大します。
の写真の青い服の女性の後ろ側が、倉庫への車の出入りのため盛り上がり、アスファルトが敷いてあります。薫風寮の入り口は、石積みで坂となっていますので、違いがわかります。
説明していただいたのは、広島観光ボランティア協会の石井さんです。石井さんは、自分で調べた集めた資料をもとに話されました。
ここが広大の寮として使われたのは、1964年(昭和40年)6月から1995年(平成7年)3月に広島大学の東広島市への統合移転によって廃寮になるまでです。
面積は、1,488m2、53名収容でしたが、倉庫を改造したため,窓も小さく食堂・風呂等の設備も十分ではなかったと言われています。
石井さんは、自らが集めた当時の写真などもふんだんに用意され、ここに「人間の営みがあった」ことをわかりやすく解説されました。
当時の写真をここで紹介することが出来ないのが残念です。
現在、中に入ることは出来ませんが、当時の薫風寮を想像させるものが二つあります。
一つは、二階部分のテラスに柵が設けられていることです。この柵は、薫風寮として使われた部分だけに設置されています。
もう一つは、下の入り口上部からまっすぐ上に伸びている煙突です。ちょうどこの部分にお風呂があったようですので、そのための煙突と思われます。
広島旧陸軍被服支廠は、これまでのも何度も訪れていますが、そのたびに新しいことを知ることが出来ます。今回もいくつも新しい発見がありました。
主催者や石井さんに感謝です。
今回の自由見学会では、4月1日に大学生が作成した紙芝居の上演、最終日の2日には、建物ガイドも予定されているようです。誰でも自由に参加できますので、ぜひ足を運んでみてください。きっと私と同じように、また新しい発見が必ずあるはずです。
いのちとうとし
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