峠三吉詩碑前祭
日曜日の3月5日午後2時から、広島文学資料保全の会と四國五郎追悼の会の呼びかけで平和公園内の原爆詩人峠三吉詩碑の前で、「峠三吉没後70年・碑前祭」が開催されました。
「峠三吉碑前祭」は、1963年にこの碑が完成してから、5年ごとに開催されていたようですが、没後50年にあたる2003年を最後に、開催されずにきたそうです。
しかし、今年は没後70年というだけでなく、ロシアによるウクライナ侵略の中、核兵器使用の威嚇が現実味を帯びてきたにもかかわらず、日本政府は核兵器禁止条約に背を向けている現在、峠三吉の「原爆詩集」は、人類への警鐘を鳴らし続けている意味を改めて、思い起こすことが大切だと開催することになったようです。
当日は、約100人が参加しました。
全員での黙祷の後、主催者を代表して千葉県東金市から参加された原爆資料保全の会顧問の水島裕雅さんが、「命を懸けて原爆詩集を書いた峠さんは今、何を思っているだろう。怒っているのか。深い悲しみで今の状況を見ているのではないか。『何とかしろ,何とかしなければならない』と峠さんに言われているような気がする」とあいさつ。
次にこの峠三吉詩碑の設計をした四國五郎の長男光さんが「峠さんに関わるすべてをやるという強い思いがあった父は、碑の階段部分を含めて設計した。シベリアから帰国した父はすぐに峠さんに会い、『本当にいい人に巡り会えることが出来た。本当にありがたい』と心の底から思った。私は、碑文の『にんげんをかえせ』を最初に読んだとき、『原爆犠牲者を返せ』と思っていたが、父は『人間性を返せということ』だといった。人間性を奪うものは絶対に許さないということを呼びかけると同時に誓いの言葉でもある。峠さんの詩集は、人類に残した貴重な遺作だ」と話しました。
その後、あいさつやメッセージの紹介、献花に続き、原爆文学を研究する大学生や、峠と知友を描いた演劇作品「河」の出演者によって「原爆詩集」に収録された4作品の朗読がり、碑前祭は終了しました。
その後参加者は、峠三吉の墓がある西應寺に移動し、お墓に献花するとともに本堂を借りて、懇談会が行われました。
この峠三吉碑前祭と呼応するように原爆資料館地下1階情報資料室では、峠の没後70年に合わせた企画展が開かれ、代表作「原爆詩集」の草稿や本人直筆の日記などが展示されています。普段は非公開の資料が特別展示されていますので、私も行ってきました。
この特別展示は、13日までの開催ですので、ぜひ見に行って欲しいと思います。
いのちとうとし
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