「原民喜詩碑」の修復
原爆ドームの東側に原爆作家の「原民喜詩碑」があります。
先日、原爆ドームを訪れた時、原民喜詩碑で作業している姿が目に入りました。
作業中の方に「何をされているのですか」と尋ねると、詩碑の一部に壊れたところがあるので、その修理を行っているということでした。
私が目にしたのは、作業は、詩碑の裏面の「原民喜詩碑の記」を取り替えるため、古いものを取り外しているところでした。
「今日は取り外しただけで、しばらくして新しいものを取り付けます」とのことです。
「壊れたのですか」と問うと、「壊れたわけではありませんが、真ん中ほどにひびが入ったので、新しいものに取り替えることになったのです」とのことでしたので、無理にお願いをして、すでにトラックの積まれていた取り外した古い石板を見させてもらいました。
「原民喜詩碑の記」に記された文章については、修復が完了したときに紹介したいと思っていますが、確かに白い亀裂があります。小さな亀裂ですので、よく見ないとわかりませんが、写真の左側の「天」の文字から右斜め下の「生」の文字にかけて走っているのがわかります。
原爆ドーム前の集会に参加し、再び前を通るとすでに作業は終わり、裏面はブルーシートで覆われ「お知らせ」が書かれた紙が貼ってあります。
最後の一行に「広島市都市整備局緑政課」と書かれていましたので、後日広島市緑政課を訪ねて話を聞きました。
担当者の話によれば、「この亀裂が見つかったのは、2014年市民からの通報で知りました。現地を調べたとき、石材業者に確認したところ、人為的に壊されたものではなく、経年劣化によって発生した亀裂だとわかりました。修復も考えたのですが、当時は予算のこともあり、すぐに修復することは出来ませんでした。ところが、昨年末になって碑そのものの角がかけているという情報提供があり、検討した結果、裏面も含めて修復することにしたものです。」
さらに「裏面の『原民喜詩碑の記』は、取り外したものを業者が持ち帰り、元の文字と同じような状態になるように作り替えることにしていますので、少し時間がかかると思います。」とのことでした。
実は、緑政課を訪れる前に原民喜の研究者である竹原陽子さんから、この情報の提供は受けていました。2014年も昨年も,広島市に情報を提供したのは竹原さんや原時彦さんたちだったそうですが、竹原さんは私が連絡して初めて「修復が始まった」ことを知ったようです。
原民喜が亡くなった日3月13日には毎年「花幻忌」が開催されていますので、それまでには修復が完了すると思い、「裏面の修復が行われる日が決まったら連絡をください」とお願いをして帰りました。
いのちとうとし
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