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2023年3月20日 (月)

ベトナムの歴史(その22) 抗仏闘争-3の6

再び始まったフランスの植民地支配

第二次世界大戦後、ホー・チ・ミンが建国したベトナム民主共和国はフランスからの独立を求める闘いを展開します。1946年~1954年にかけて戦われた第一次インドシナ戦争です。日本降伏後の戦後処理を話し合ったポツダム会談(1945年7月26日)でアメリカ・イギリス・ソ連は、「インドシナは北緯16度線を境に、北は中華民国軍、南はイギリス軍が進駐して、約6万のインドシナ駐留日本軍を武装解除してフランス軍に引き継ぎ、インドシナの独立を認めない」とします。8月15日の無条件降伏で日本軍がベトナムから撤退すると、ポツダム会談に基づき、3月に日本軍のクーデター(仏印武力処理)によってベトナムを追われていたフランス軍が再び進駐を始めます。そのフランス軍が本格的な進駐を完了するまでの間、イギリス軍がインド兵を従え北緯16度線以南に、以北に中華民国軍(国民党軍)が進駐します。

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イギリス軍に投稿したベトナム駐留日本軍

北部では中国国民党軍の共産主義敵視政策によって多くのベトミン系労働者が逮捕・追放され、45年11月にはインドシナ共産党は偽装解散に追い込まれます。南部では英仏軍がサイゴン(現ホーチミン市)のベトミン勢力を襲撃します。この時、ハノイからホー・チ・ミン主席が南部の国民に呼びかけた奴隷として生きるより自由に死ぬことを選ぶ」という呼びかけの言葉は、ベトナムの人々を奮い立たせました。これを受け一般市民が暴動を起こし、本格的な武力衝突に発展していきます。

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蜂起したベトナム南部の人民軍

46年2月までにフランス軍は機械化師団、植民地師団、戦闘機や輸送機など約100機の空軍部隊、戦艦、軽巡洋艦、大型駆逐艦、空母などをベトナムに展開します。ベトミンとの間でベトナム民主共和国の独立とトンキン(ベトナム北部)へのフランス軍駐留を認める暫定協定を結びますが、フランスは一方的に権益の多くがある南部に傀儡政であるコーチシナ共和国をつくります。

その後、フランスとベトナム民主共和国(ホー・チ・ミン主席)との間で独立問題について話し合われますが、フランスは独立を認めようとせず交渉は決裂します。

そして1945年11月23日、フランス領インドシナ北部の港湾都市ハイフォンでフランス海軍艦船の砲撃で市民6,000人が殺害される「ハイフォン事件」が起きます。この事件を引き金に12月19日、フランス軍はベトナム民主共和国の重要施設やホー・チ・ミン官邸を襲撃し、第一次インドシナ戦争が始まったのです。

フランス軍による「ミーチャック村虐殺事件」

最高時には29万1,000人もの部隊を投入したフランスにとって、ベトナムの植民地支配体制を再び確立するための侵略戦争であり、ベトナムの人々にとってはフランス支配を打ち砕き、民族独立を達成するための解放戦争です。同時にフランス領インドシナ連邦の下で植民地支配に苦しむラオスやカンボジアの人々が独立を求める戦いでもありました。下表が交戦国です。

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戦いは1954年5月のデェンビエンフーでの勝利を経た81日まで続き、ベトミン兵士と民間人が70万余り戦死、50万人以上の戦傷者が出たと言われています。フランス軍が7万5,000人、同盟軍1万9,000人が戦死したと言われています。(幾つか異なった数値も言われている)

ベトナム戦争での韓国軍による「タイビン村虐殺事件」(1966年2月)、同じく韓国軍による「フォンニィ・フォンニャット村虐殺事件」(1968年2月12日)、米軍による「ソンミ村事件」(1968年3月16日)などは知られていますが、第一次インドシナ戦争のフランス軍による虐殺事件はあまり知られていません。

1947年11月29日、フランス軍は「ミーチャック村虐殺事件」を起こします。ベトナム北中部のクアンビン省フランス軍が起こした「ミーチャック村虐殺事件」は、326軒の家を焼き払い、多くの女性を強姦し、女性170人、子ども157人を含む300人余りを虐殺した極悪非道な戦争犯罪です。

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ミーチャック村虐殺の慰霊公園

フランス軍の残虐な戦争犯罪行為が繰り返される中でのベトナム人民の不屈の戦いを描いた『不敗の村』(グエン・コック著)を思い出します。フランス軍の略奪や陣地構築などの労役に苦しむベトナム中西部の幾つもの少数民族が起ち上がり、ベトミンとともに多くの犠牲を払いながら戦う姿が描かれています。

20代の頃、『不敗の村』や『不屈』(グエン・ドック・トアン著)を読んだことがベトナムとの交流を続け、少数民族の子どもたちへの奨学支援活動を続けていることにつながっているのかも知れません。機会があれば、是非この2冊を手にしてみて下さい。

ソウル中央地裁、初めて韓国政府に賠償責任

2月7日、ベトナム戦争当時の1966年2月に韓国軍が起こした「タイビン村虐殺事件」事件でソウル中央地裁が、参戦した韓国の軍人の証言などをもとに韓国政府に対し被害女性に賠償金支払いを命じた判決を出しました。

この判決は、「ベトナムの民間人が戦争中の被害の賠償を求めて提訴することはできない」、韓国軍の虐殺への関与は「明白な証拠がなく」、銃撃は「戦時下の特殊な状況における正当な行為」などの韓国政府の主張を退け、賠償責任を認めた初めての判決です。

ところが先日(3月10日)、韓国政府が判決を不服として控訴したと報道されました。韓国政府が上告を取り下げ、判決に基づき被害者に対する謝罪と補償を真摯に履行することを強く求めます。

この瞬間にもウクライナでは子どもや女性、高齢者など多くの市民の尊い命が無残にも奪われています。 ロシアはバフムト包囲を解き、これ以上市民の命を奪わないこと!

ウクライナ、ロシア双方とも直ちに停戦し、和平に向けたテーブルに着くこと!

銃と砲弾ではなく言葉で戦え!

 

次号ではアメリカの軍事物資支援が始まり、軍事顧問団が派遣された1950年から54年のディエンビエンフーの戦いまでを辿ることにします。

(2023年3月20日、あかたつ)

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