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2023年3月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その44) ベトナム象、広島を歩く-8

ベトナム象、西条四日市宿に入る

ベトナムの雄象(推定8歳)が長崎を発って27日目の享保14年(1729年)4月8日、わがまち「西条四日市宿」に着きました。その記録が木原家の文書に「象御登セ覚書」として残されています。下の写真がそうです。

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「一 享保14年4月、長崎から江戸に登る象が、4月8日、四日市宿の御茶屋に泊まった。宰領の高木作右衛門と家来は御茶屋の上ノ間、その他は台所の上の間に泊まった。象は御馬屋の馬3匹の間仕切りを取り除き板で囲った。象遣い4人も馬小屋に付き添った。一 御代官の松原助佐衛門様がお越しになり、宿で諸事について仰せつかった。」と書かれています。

下の図は1870年(安永9年)頃の四日市宿の地図(地図上の崩し文字以外の書き込みと作図は筆者)、右下の写真は四日市宿の本陣跡(御茶屋跡)です。本陣跡は西条駅東の酒蔵通りに面して残っています。

西国街道(旧山陽道)を西から上ってきた象は半尾川を渡り、中央やや右の御茶屋(本陣)に入ります。半尾川に架けられた橋は恐らく小さな土橋か板橋だったと思います。長崎奉行所は山陽筋各藩に3㌧余りの象が渡る橋の補強について、「一 土橋、薄き板橋、薄き石橋などは厚さ6~7寸(18~21cm)の角材を平らに並べ、その上に薄く土を敷き」、「欄干がない橋は取り付けるように」という御触を出しています。

四日市宿でも半尾川と古川の橋補強工事が慌ただしく進められたことでしょう。

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至れり尽くせり 象の寝所

橋補強の作事にとどまりません。四日市宿の“てんやわんや”は、まだまだあります。馬小屋を改造した象小屋づくりがあります。下左図は竹内家文書に残された「御茶屋の間取り図」です。中央右辺りに馬小屋が設えられています。これを象小屋に改造したと伝えられています。下右図は「享保の象、枚方市を歩いた日」からお借りした象小屋のイメージです。象小屋は、「一 高サ 八尺余、入 三間程、横 弐間半程、内、一間半程象出入之口」と長崎奉行所の御触に基づき作られ、番所や番方の配置も御触に従ったものになっています。

御触書には小屋の形状だけではなく、その快適性など事細かく指示されています。「一 小屋に(隙間)風が入らないように、小屋内の地形は片方を少し下り(低く)するように、象は度々小便するので溜まらないようにすること。一 小屋の中に藁を弐尺(60cm)程敷き、昼夜役人が付き添うように」。

象の寝床に注目してください。何やら敷き詰められています。小便に濡れないように藁が敷き詰められ、傍らには象遣いが控えています。小屋の外には足軽が立哨しています。

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大飯喰らいの象 飼料に四苦八苦

 人間にとって欠かすことのできない衣食住、象にとっても衣はともかくとして食住は不可欠です。住は整いましたが食(餌)が大変です。なにしろ想像を絶する大喰らいです。長崎奉行所の御触を見てみましょう。

勘違いしないでください。これは一日分です。

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御触に指示された餌を一覧表にまとめたもの。(筆者作成)

大量の植物類、お粥にして冷ました米8升、餡入饅頭はことのほか好物だったようです、焼酎(酒)も好物で多い時には9升も呑んだそうです。

下の囲みは木原家に残された古文書の一部です。準備して欲しいと要請された象の餌です。「いたぶ葛 右は大きな松或いは大石(岩)などに有る・・・・」と書かれています。右下が「いたぶ葛」ですが、私にはどのような植物なのかよく分かりません。

ネッでト検索すると「みんなの趣味 園芸」に「子供の頃、良く食べていたイタブ(イヌビワ)。散歩道になっていたのを思い出し立ち寄ってみました。黒く色付いて食べ頃の実がなっていたので食べてみました。甘いけど微妙。もっと熟さないといけないのかな。子供の頃はもっと甘く感じたのですが・・・こんなものなのかな。」とありました。私も子どもの頃、野山でたいていの実や葉、茎などを食べましたが、記憶にありません。(名前を知らなかっただけかも)。

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いずれにしても、大量の餌確保です。

代官様の指示で四日市宿の宿役人(しゅくやくにん)の“てんやわんや”、“四苦八苦”する姿が目に浮かびます。

 

(注1)木原家:

(2023年3月5日、あかたつ)

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