「広島ブログ」

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2023年3月

2023年3月31日 (金)

2023.3月のブルーベリー農園その4

標高が約400mある東広島市豊栄町のブルーベリー園に毎週安芸区の自宅から週末農業で通っているが、3月も終わりに近ずくと野草、花木の花が次々と咲きてくれてブルーベリーの剪定作業や、切った枝の野焼きの作業も心地よい。また、国道2号線の東広島市八本松町から安芸郡の海田町までのバイパスが開通したので農園への往復の時間が短縮されたので運転が楽になった。農園にはクマバチも29日には飛んでいたのでブルーベリーの開花、交配の4月がもうすぐ。

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326日(日)

一週間ぶりのブルーベリーの畑にはナズナの花がたくさん咲いている。この後ほかの伸びた草と一緒に刈られた。

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ブルーベリー畑や周りの里道などの緑の雑草が柔らかな葉を伸ばしてきたので、ところどころの場所で今シーズン最初の草刈りを行う。

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シデコブシの花がたくさん咲き、後ろのやにもコブシが点々と咲いているのが見える。

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ブルーベリー畑にはナズナの他にも、ムラサキゴケや

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カキオドシの花が咲きだした。まだ花数は少ない。

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ブルーベリー畑の剪定が続く。株もとに1本ツクシが顔を出している。畑ではツクシはあまりたくさん生えない。

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里山のふもとのクリスマスローズの花

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329日(水)

友人を交えて3人で農作業。まずは剪定したブルーベリーの枝を野焼きする。熾火ができたころにさつま芋を火の中に入れて焼き芋を作るのが楽しみの一つ。

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ブルーベリー畑の剪定を続ける。ところどころでとても太くて3m近い背の高い枝を切ることがある。植えて22年もなるととても大きくなる。

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一番下のブルーベリー畑の8列中2列の剪定がすんだ。剪定作業を振り返ると、ざっと450本切ったことになる。

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農園の家に裏庭に咲くキケマン

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年3月30日 (木)

原民喜詩碑修復工事―銘板の取り付け

33日のブログ「原民喜詩碑」の修復: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した原爆ドーム前にある「原民喜詩碑」の銘板の取り付け作業が、昨日午前11時から始まりました。

前日に広島市の担当者から連絡が入っていましたので、午前11時前に現場に行きました。現場に着いたときには、すでに作業が始まっていました。

最初の作業は、銘板が取り付けられる箇所、特に角の部分の修正作業です。

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それが終わると、銘板を碑本体に接着させるためのセメントが塗られていきます。接着剤など使用される場合もあるようですが、今回はセメントが使われています。丁寧な作業が続きます。

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セメントを塗り終わると、いよいよ銘板の取り付けです。銘文が書かれている部分は、まだ紙で覆われています。セメントとの接着面は、グレーの色です。元の黒い面とは大分違います。業者に訊ねると「こちらの面は、研磨をかけていないので、乱反射するために白っぽくみえますが、きちんと研磨すると黒御影石の黒色になります。」との答えです。少し不思議な気がします。

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銘板と碑本体のすき間の余分なセメントを拭い取ります。「今日は、銘板の紙は剥がしません」と言われていましたので、今日は新しい銘板を見ることが出来ないなと諦めていたのですが、銘板側のセメント拭き取るため、上の紙がはずされました。

新しい銘板を見ることが出来ました。

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銘板に刻まれた文字は、古いものをすべて再現することは出来ませんので、できるだけ近い文字をコンピューターで選び、刻印したということです。

ただ,この銘板の文章の作成者である佐藤春夫の名前など、終わりの3行だけは、元の文字を活かした修正したとのことでした。

セメントの拭き取り作業が終わりましたが、銘板が定着するまで,銘板がずれたり、とれたりしないように養生されました。

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この養生を取り除く作業は、31日に行われますので、それ以後は新しい銘板が、この地を訪れた人が見ることが出来るようになります。

今回の修復作業では、正面右上にあった欠けの部分も修復されています。

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修復された場所は、白くなっています。見たところ、周りとの色の違いがあまりにも目立つ気がしました。

しかし、この部分も研磨されて,ほぼ周りとの違いがわからなくなりました。

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 これで予定されていた修復作業は終了しました。いろいろな人の思いがこもって建立された「原民喜詩碑」。修復作業以前と全く同じというわけにはいかなかったようですが、文字などもはっきりと読めるようになりました。

いのちとうとし

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2023年3月29日 (水)

「被爆78周年原水爆禁止世界大会」実行委員会結成総会・第1回実行委員会の開催

原水禁国民会議が呼びかけ,今年の夏に開催される「被爆78周年原水爆禁止世界大会」実行委員会結成総会が、昨日東京で開催されました。

広島県原水禁からは、高橋克浩代表委員と大瀬敬昭事務局長の二人が参加しました。

結成総会で確認された「被爆78周年原水爆禁止世界大会」の概要を総会議案書を引用し紹介します。

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議案を提案する谷事務局長

1,大会開催形式

コロナ禍以前の大会規模をめざしながらも、参加者の安全安心に最大限配慮したとりくみを継続して行っていきます。

 ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経過しました。一向に止まない戦火は多くの死傷者を生み出し続け、「振り上げた拳」の降ろしどころが見出せなくなる混迷状態となっています。1日も早い停戦と、市民が安心して生活できる暮らしを実現させなければなりません。このような状況下においてエネルギー危機を喧伝し、原発推進政策までもが推し進められようとしています。私たちはウクライナの状況から何を学ぶのか、武力に対抗するために、さらに武力を身につけることからは平和は守れません。権力者による暴走を許さないためにも市民の平和を希求する声を、上げ続けることは重要です。核兵器禁止条約発効から2年を迎えました。日本は戦争被爆国としての責任でもある、世界中の核廃絶に向けた動きの先頭に立ってリードしていく立場が求められているのにも関わらず、いまだこの条約に署名・批准しようとする姿勢すら示していません。アメリカの顔色ばかりを窺い、NPT体制による核兵器廃絶が遅々として進まない国際状況を是とするような日本政府の動きについて、広範な市民の声をもって、本来果たすべき役割に邁進するよう求めていかなければなりません。このような情勢の中で迎える「被爆78周年原水爆禁止世界大会」は、大きな意味を持つ大会となるよう創り上げていく必要があります。コロナ禍を経ても平和を希求する市民の声は弱まるどころか、より一層強くなっていることを社会に向けて発信していきましょう。

2,大会コンセプト

被爆の実相を原点としたヒバクシャの 援護・連帯と核廃絶運動、それらの次世代継承を柱とします。

核兵器禁止条約と核不拡散条約による国際社会の核軍縮をめざします。

東日本大震災・福島原発事故から学び、脱原発社会の実現をめざします。

3.スローガン

メインスローガン 核も戦争もない平和な21世紀に!

サブスローガン 10本は、第2回実行委員会で確定します。

4.大会日程

  7月30日 福島大会

  8月4日~6日 広島大会

  8月7日~9日 長崎大会

   *広島大会、長崎大会は、1日目:開会総会 2日目:分科会・フィールドワーク 3日目:まとめ集会、閉会総会

参加者は、昨年の大会(広島大会1,200人)を上回るよう取り組みます。


以上が結成総会で確認されたことですが、広島県実行委員会結成総会は、分科会などの詳細が決まった後に開催する予定です。

いのちとうとし

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2023年3月28日 (火)

広島旧陸軍被服支廠出汐倉庫Open Week自由見学会

26日から4月2日までの午前10時から午後1時まで,わが町活性化委員会(出汐町内会旭二丁目町内会、南町4丁目町内会で組織)と地元の有志の皆さんが主催する「広島旧陸軍被服支廠出汐倉庫Open Week自由見学会」が開催されています。

私は、二日目の昨日、「薫風寮での生活紹介」がありましたので、それに参加してきました。

久しぶりに訪れる「広島旧陸軍被服支廠」です。「薫風寮」の紹介の前に、わが町活性化委員会の藤原美香さんによる広島旧陸軍被服支廠のついての解説がありました。

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これまでに聞いた話がほとんどでしたが、二つだけ紹介したいことがあります。

一つは、被爆建物としての被服支廠の話だけではなく、被爆前の被服支廠が果たしてきた役割、軍都としての広島の話があったことです。

二つ目は、いくつもある窓のことです。

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鉄の扉の奥には、ガラス戸があります。鉄の扉は、観音開き(二つの扉が左右に開く)になっていますが、内側のカラス戸は、横にスライドして開くようになっているとのことです。上の写真で2段目に並3つの窓は鉄の扉が壊れていますので、内側にガラス戸があるのがよくわかります。鉄の扉のことは、気にしてみてきましたが、内側のガラス戸の作りについて聞いたのは初めてのことです。

いよいよ今回のメイン「薫風寮での生活紹介」です。戦後、広島旧陸軍被服支廠の倉庫は、様々な目的で使用されました。その一つが、広島大学の学生寮「薫風寮」です。

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薫風寮として使われたのは、一番南に東西に建つ旧10番庫(現4号棟・国が所有)の西側半分です。東側半分は、日通の倉庫として使用されました。

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一番手前の半開きになっている入り口が、薫風寮の玄関です。

奥の方が日通倉庫ですが、みえにくいので拡大します。

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の写真の青い服の女性の後ろ側が、倉庫への車の出入りのため盛り上がり、アスファルトが敷いてあります。薫風寮の入り口は、石積みで坂となっていますので、違いがわかります。

説明していただいたのは、広島観光ボランティア協会の石井さんです。石井さんは、自分で調べた集めた資料をもとに話されました。

ここが広大の寮として使われたのは、1964年(昭和40年)6月から1995年(平成7年)3月に広島大学の東広島市への統合移転によって廃寮になるまでです。

面積は、1,488m、53名収容でしたが、倉庫を改造したため,窓も小さく食堂・風呂等の設備も十分ではなかったと言われています。

石井さんは、自らが集めた当時の写真などもふんだんに用意され、ここに「人間の営みがあった」ことをわかりやすく解説されました。

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当時の写真をここで紹介することが出来ないのが残念です。

現在、中に入ることは出来ませんが、当時の薫風寮を想像させるものが二つあります。

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一つは、二階部分のテラスに柵が設けられていることです。この柵は、薫風寮として使われた部分だけに設置されています。

もう一つは、下の入り口上部からまっすぐ上に伸びている煙突です。ちょうどこの部分にお風呂があったようですので、そのための煙突と思われます。

広島旧陸軍被服支廠は、これまでのも何度も訪れていますが、そのたびに新しいことを知ることが出来ます。今回もいくつも新しい発見がありました。

主催者や石井さんに感謝です。

今回の自由見学会では、4月1日に大学生が作成した紙芝居の上演、最終日の2日には、建物ガイドも予定されているようです。誰でも自由に参加できますので、ぜひ足を運んでみてください。きっと私と同じように、また新しい発見が必ずあるはずです。

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2023年3月27日 (月)

第9条の会ヒロシマ結成31周年記念講演会

昨日、午後2時から原爆資料館地下会議室で「第9条の会ヒロシマ結成31周年記念講演会」が開催されました。

湾岸戦争後、国際貢献を名目に自衛隊が海外に派遣され、憲法改悪の動きが急になった1992年、「憲法9条はヒロシマの誓いそのものだ」と「核のない、軍隊のない平和な社会をめざして」発足したのが、第9条の会ヒロシマです。

第9条の会ヒロシマのホームページには、結成宣言が、当時の世話人代表だった岡本三夫さんの名前で次のように掲載されています。

「日本国憲法9条は、国の焦土化と広島、長崎の原爆被災という未曾有の犠牲によってあがないとられた国民的遺産です。それは過去の戦争に対する厳しい反省の上に立った先見的思想であり、21世紀のモデルとなりうるものとして国際的にも高く評価を獲得しつつあります。

私たちは、日本の侵略戦争によって多大な被害を与えたアジアの人々への謝罪を込め、平和・人権・民主主義を根幹とする憲法を護る抜き、絶対不戦を決意し、ここに『第九条の会ヒロシマ』を結成します。」

現在「第9条の会ヒロシマ」は、戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマそうがかり行動実行委員会に参加し,私たちと行動を共にしていますが、結成時から始まった「新聞意見広告」は、現在の独自の行動として続けられています。

今年の記念講演の講師は、憲法研究者の若尾典子さんで、タイトルは「ずっと憲法を研究してきた理由(わけ)」です。若尾さんの講演は、初めて聴きました。

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「『何でそんなに興味があるの』と問いは、みんなが思っていること。その私の答えは『あなた』はなぜ『憲法』についてききたいの?」との話から講演は始まり,自らの憲法との出会い、個人的体験が語られました。

主要な条文は、二つ。9条と24条です。

特に24条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」について、改めて読み直すことからの提起は、新鮮でした。

そして、日本国憲法の特殊性として9条と24条があり、その中には「非暴力」の考え方が提示されているというまとめには、なんとなく納得でした。

特に24条についての講演は、ほとんど聴いたことがありませんでしたので、日本国憲法の奥深さを知ることが出来た思いです。その意味でも興味を引かれる講演でした。

今国会でもいよいよ改憲論議を推進しようとする動きが強まっているだけに、憲法改悪に反対する運動の強化が必要だと改めて決意して会場を後にしました。

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2023年3月26日 (日)

衆議院憲法調査会と中山太郎さん

「元自民党衆議院議員中山太郎さんが、今月15日に逝去された」ことが、23日から24日にかけてマスコミで報道されました。

心からご冥福をお祈りいたします。

マスコミ報道では、外務大臣などの要職を務めたことなどの経歴とともに、衆議院憲法調査会(現在の衆議院憲法審査会の前身)の会長を務められたことが、特に詳しく触れられています。

今日、中山太郎さんのことを取り上げるのは、2000年6月から2003年10月までの私の衆議院議員としての活動の中で、どうしても忘れることの出来ない中山太郎さんとの関わりがあるからです。

私のわずか3年3ヶ月余りの国会議員活動の中で、特に強く印象に残っている活動が二つあります。

一つは、在外被爆者に被爆者援護法適用を実現させるための活動です。このことについては、いろいろな場で報告していますので、今日は省略します。

二つ目は衆議院憲法調査会の委員としての活動です。中山太郎さんとの関わりは、この憲法調査会の活動を通じてです。

2000年1月の通常国会から活動が始まった衆議院憲法調査会ですが、私が同調査会の委員となったのは、翌年1月の通常国会から、衆議院が解散した2003年10月までの2年10ヶ月です。中山さんは、衆議院憲法調査会の発足以来、同会の会長に就任されていますので、私が活動していた時期も当然のことですが、会長として憲法調査会の運営の責任者としての役割を果たされてきました。

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中山太郎さんが憲法改正推進者であることはよく知られていますが、私がここで紹介したいのは、憲法調査会の運営にあたっては、「少数意見も含めて一人一人の考え方を丁寧に聞き、民主的な運営に努力された」ことです。

当時私は、社民党のオブザーバー理事(議員数が少ないため正式の理事にはなれなかった)として、憲法調査会の議事のあり方を協議する理事会への参加が許されていました。オブザーバー理事でしたが、理事会での発言は正規の理事と同じように発言することが出来ましたし、私の意見の多くが、とりあげられ、運営に反映されました。例えば、地方公聴会における意見陳述者の選考です。最初の仙台での地方公聴会こそ、各党の推薦方式でしたが、それ以降は,私たちの意見を取り入れ、意見陳述者を公募によって選ぶ方式に変えられたことも、その一つです。

中山会長が、少数者の意見を尊重する憲法調査会の運営を心がけられたのは、次のような考えがあったからだと私は思っています。

それは、「国の基本法である憲法を改正するためには、ただ多数決(憲法改正には、三分の二以上の賛成が必要)によって決めるのではなく、与野党の枠を超えてできるだけ多くの議員の賛同を得て進めるべきだ」という考えがあったからだと私は考えています。

だからこそ中山会長は、丁寧で民主的運営を心がけてこられたと確信しています。

今の衆議院憲法審査会の進め方は、「憲法改正それ自身が目的化」しており、中山太郎会長が心がけてこられて「憲法への向き合い方」は全く見ることが出来ません。

中山太郎元衆議院議員の訃報に接し、今そのことを思い起こしています。

いのちとうとし

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2023年3月25日 (土)

発送配電の分離は所有分離でなければならない

私たちの使用する電気は発電所で作られ、送電線を経由して変電所や電柱を経て届きます。大きく発電→送電→配電という行程を経ます。

これまでは、中国電力などの大手電力会社はこの行程をすべて担っていました。しかし福島原発事故を経験して「電力システム改革」を行うことになり、主に三つの「改革」が実施されたのです。

特に大きな改革は、2016年4月からの電力事業の全面自由化でした。自由化とともに、全国で約700社の「新電力会社」が生まれたとされています。大規模なところではガス系や通信系と呼ばれるもの、また再生可能エネルギーの電気を専門的に売るというのも作られました。

大手電力会社にとって、完全自由化は大きな脅威というほどの存在では無かったと思うのですが、電力市場にも自由競争時代に突入したのでした。

自由化になっても送電線や配電線は中国電力の独占物ですから、自由な競争を行うためには、発電部門と送配電部門をきちんとした形で分離するということが大切になってきました。

分離の形態には大きく「会計分離」、「法的分離」、「所有権分離」という三つの大きな形態があるのですが、中国電力は「法的分離」という形にしました。

2020年4月1日中国電力本体からの100%資本出資の子会社として、送配電会社「中国電力ネットワーク株式会社」が設立されスタートしたのでした。

私たちは分離1年前の2019年に開催された第95回株主総会で、発送配電事業の分離の形態は「所有権分離」とし、送配電事業会社の名称は「西日本電力ライフライン株式会社」とする株主提案議案が提出しました。分離の状態を明確にするために、あえて社名に「中国電力」という言葉を入れないようにしたのです。

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自由競争を行う上で大切な情報は、お客さんの月々の電気使用量・名前・住所などの顧客情報です。「中国電力ネットワーク株式会社」はこれらの情報も、管理することになりました。

自由にお客が電力会社を選べるようになった中で、中国電力本体の営業部門も、「中国電力ネットワーク株式会社」が持っている顧客情報は、それを盗み見することはお客の「取った、取られた、取り返した」の競争上許されないことでした。

発送配電分離が開始された当初は、中国電力本体から送電会社である「中国電力ネットワーク株式会社」への職員の相互異動はしない(ノン・リターン)とし、会社建物内の構造も、しっかりと分離するなどの配慮を行うということにしたのですが、現在それがきちんと守られているのかどうかは、よく分かりません。

私たちが株主提案した分離の形態を「所有権分離」とし、送配電事業の会社名称を「西日本電力ライフライン株式会社」とする議案は否決されました。しかし、その提案の正しかったことが、昨年来から明らかになった「顧客情報の不正閲覧事件」によって証明されていると思っています。この度の事件については、新電力会社や消費者だけでなく、政府内からも強い批判が上がっています。

この事件は、公正な競争を阻害し、電力自由化の理念を踏みにじる行為で、福島原発事故の教訓も失った悪質な不正行為といえます。

事件の反省と責任を形にて、今後の自由競争を進めるためには、発送配電事業の分離は「所有権分離」とすることが求められていると思います。そうしないと同様の事件は、必ず起こるでしょう。そして多くの新電力会社が潰されてしまいそうです。

木原省治

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2023年3月24日 (金)

今年も見事に咲きました「普門寺のシダレ桜」

全国各地で、例年より早い「桜の開花」のニュースが届いていますが、私が毎年楽しみにしている普門寺のシダレ桜も,今年も見事に花を咲かせています。

今年は、開花を見届けようと3月に入ってから毎日のように普門寺の境内を覗いてきました。

つぼみがピンク色に色づいたのを見つけたのが、312日でした。

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「あと何日で開花か」と、これからは毎日訪れようと思っていた矢先にコロナに感染。やっと外出が出来るようになり、気になっていた普門寺を訪れたのが、3月21日でした。

10日間の間に、開花が進み七分咲きでしたが、あいにくのどんよりとした曇り空。

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この日は、桜が開花すると開かれる山門も開いていましたが、天気のせいでしょうか境内には、人影は全く見えません。

翌日は、昼前から青空らが広がりましたので、再び普門寺を訪れました。昼時間と重なったからでしょうか、境内にはたくさんの人影があります。

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桜の花には、青空が必要です。

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境内の南側のボケも満開です。

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今週は、雨模様のどんよりとした日が続きましたが、青空がみえる貴重な一日でした。

週末の明日25日は、天気予報では「晴れ」になるようですので、カメラ、スマホを手に訪れる人が、一段と多くなると思います。

わたしも満開のシダレ桜を見るため、もう一度訪れようと思っています。

いのちとうとし

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2023年3月23日 (木)

2023.3月のブルーベリー農園その3

319日に東広島市豊栄町のブルーベリー農園に行くとツバキやシデコブシ、アシビやスイセン、ナノハナなどが咲いていたし、ソメイヨシノの花芽はすっかり膨らんでいて冬の気配を押しのけて春がずずっと来ていた。

農作業は単調だが、周りの春景色に囲まれながら体を動かしている。

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319日(土)

午後農園に着く。農園の花壇のシデコブシが数輪花開いている。

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彼岸なのでスイセンやツバキや菜の花を積んでまずは墓参り。

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3段あるブルーベリー畑の一番上の畑にスイセンが咲きだした。

 

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真ん中のブルーベリー畑で枝の剪定と枝の片づけの作業を続ける。

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ブルーベリーの花芽、早稲のスパルタンという品種。

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農園の周囲の里山のエビネ。花芽が顔を出している。

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夕方車で帰る途中にある梅の木の畑。満開だ。

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3月21日(火)

里山にあるブルーベリー縁に行く途中の林の中のヤブツバキ。濃い緑の照り葉の中に点々と赤い花が咲く。

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農園の家の蔵のそばの庭の八重咲のツバキは本格的に咲きだした。

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小さい畑ののり面には草が伸びだした。ところどころで八重のスイセンが咲いている。

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雨が心配だったが、ほとんど降らなかったので真ん中の畑でブルーベリーの太い枝を中心に選定を続ける。枝の片づけは別にして、あと少しでこの場所の剪定も終わる。この日はキジが元気な鳴き声を聞かせてくれた。 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年3月22日 (水)

三原地区・府中地区の3月の「19日行動」―その2

今日は、小川敏夫さんから届いた府中地区の3月の「19日行動」の報告を紹介します。

【府中地区】

安保法制(戦争法)に反対する府中市民の会は、19日午後330分から上下Aコープ前で、午後5時から府中天満屋前でそれぞれ11人が参加し、30分間のリレートークとスタンディングを行いました。今日は、3人のリレートークを紹介します。

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上下Aコープ前

Aさん: 私は1月に大阪から故郷の神石高原町に帰ってきました。府中のみなさんが7年にわたって安保法制に反対する行動を行っておられることに敬意を表します。

 さて、女優の吉永小百合さんが12月の中国新聞で、ワールドサッカーが盛り上がっているときにそれを利用して隠れるように安保3文書を閣議決定したことは卑怯で許さないと言われていました。

 まさしく正々堂々と国民に説明できないものになんの正当性があるのでしょうか。こうしたことは許してはいけません。

Bさん:増大する軍事費を国債と増税で賄おうとしています。岸田政権と財界の独裁と言えます。国民の生活をなんと思っているのでしょうか。物価高とコロナで困っている国民、過疎化、少子高齢化の問題を解決することこそ大事ではないでしょうか。そのことに予算を注ぐべきです。お金の使い方が間違っています。

日本国民一人一人が主人公です。戦争反対、軍事国家より平和国家の願いをお持ちの方、手と手をつないで平和憲法を実施する国に戻しましょう。

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府中天満屋前

Cさん:3月16日に、沖縄県の石垣島にミサイル部隊の陸上自衛隊の駐屯地が開設されたと報道されていました。このニュースで思ったのは私の叔父さんのことでした。戦争が終わって帰ってきてから、いつも寒い寒いと厚着していました。原因は戦争でマラリアにかかり、その後遺症です。そうしたこともあって私はマラリアの勉強のために石垣島に行ってみました。

石垣島には、八重山平和祈念館という建物があり、マラリアについて解説されています。「石垣島など八重山地方では軍の命令により、住民がマラリアが発生する地域に強制的に避難させられて亡くなった、いわゆる「戦争マラリア」で3,600人あまりが犠牲になりました。」と解説されています。

島民や沖縄県は「軍の命令による強制疎開が死亡の原因」とし、遺族への補償と謝罪を求め続けましたが、国としては「軍命」の存在が認められないから補償も、公式謝罪もしないと言っていました。犠牲者が、軍人ではなく島民であったためです。

戦後50年たった1995年に政府は、補償も謝罪もしないがその代わり沖縄県を通じて八重山平和祈念館などの建設費を補助するとしました。

島民は戦後50年もたち遺族も高齢化していることからやむなく受け入れたそうです。

しかし遺族の方は「幼かった兄をマラリアで失った親の悲しみはどれほどだったかと思います。旧日本軍の行為は住民に対する犯罪行為であり、後世に語り継ぐことが遺族の使命です。愚かな歴史を繰り返さないことを心に誓います」と言われています。

国として遺族への補償も、謝罪もしていない政府がなぜ石垣島に軍の施設をつくれるのでしょうか。

今回の駐屯地の開設からも軍隊の本質が見えてきます。石垣島が攻撃対象になるのは明らかです。しかし軍隊が島民を守ることはありません。

安保法制はアメリカの武器を買い、日本の軍需産業を大きくすることだけが目的です。そこにあるのは企業の利益だけです。

戦争のない国に向けて多くの人のご理解ご支持をお願いいたします。

小川敏男

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2023年3月21日 (火)

三原地区・府中地区の3月の「19日行動」

三原地区・府中地区の3月の「19日行動」の報告が届きましたが、今日は三原から届いた藤本さんの報告を掲載します。

【三原】

18日(土)、午後1時30分から18人が参加して三原駅前において戦争への道につながる安保法制(戦争法)の廃止を求めて定例の「19日行動」を行いました。

最初に司会者が「3月11日の東日本大震災・福島原発事故から12年が経過。今なお避難生活を余儀なくされている方々が3万1千人おられる。特に原発事故で災害を受けた福島県は復旧にも至っていない地域が多くある中で、岸田政権は原発回帰に舵を切ったが東京電力第一原発事故は収束していない。原発事故を風化させることなく、住民の命と暮らしを守るための政策が求められる」と訴えて街宣活動を始めました。

リレートークで6人の弁士は、憲法改悪、軍備拡大にひた走る岸田政権の許しがたい暴挙に対し、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた憲法9条を守り抜くため、みんなで「反対」の声を上げていきましょうと訴えました。

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今日は、その一人岡崎敏彦さんの訴えを紹介します。

岡崎さんは、「毎月この場に立って私たちが生きている限り何としても戦争はしてはならない。戦争は人を殺す。今起きている戦争を止めさせなくてはならないという思いで訴えている」と述べ、次のようなスピーチをしました。「①一昨日の中国新聞の社説、『中国がロシアに武器を供与する。こういうことをすべきではない』ということだったが、『本当に戦争をしてはならない。直ちに止めよう。外交で解決しよう』という論調とはなっていない。そのことを思うにつけ岸田総理の国会における発言は、平気で堂々と『平和憲法をきちんと守る。武器輸出三原則はもちろんのこと、軍事大国にはならない。専守防衛を』を謳いながらやっていることは国民をなめている。こういう国会での論戦が行われることについてマスコミはもう少しチェックをすべきである。

②私はもう新しい戦前になっていると思っている。戦前にしてならない。なんとしても外交努力によって戦争を直ちにやめろという大きな動きを作っていかなければならない。その動きを作ることができるのは、もう二度と戦争はしない。戦争するための軍隊や戦争する道具を持たないと謳いあげた『憲法』を持つ私たち日本の大きな役割である。私たちは今一度、このことを常に訴えながら国民は絶対戦争はしない。戦争はしてはならないという覚悟をもって、政治を見ていく必要があると思っている。

③今日は新しく『選挙に行こう』という横幕を持って立っている市民がいる。間もなく地方選挙が始まるが平和な地域づくりとなるよう私たちは求めていかなければならない。憲法で謳われているように政治を動かす、政治の主役は『国民』です。そのことを肝に銘じて新しい戦前にさせないよう、これからも外交によって平和な世界づくりを作っていきましょう。最後は政治の場に私たちの代表を作ることです。戦争をさせない国民の声・主権者の覚悟を示していこうではありませんか。」と熱く訴えました。

藤本耕治

編集者】小川さんから届いた府中の行動の様子は、明日紹介します。

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2023年3月20日 (月)

ベトナムの歴史(その22) 抗仏闘争-3の6

再び始まったフランスの植民地支配

第二次世界大戦後、ホー・チ・ミンが建国したベトナム民主共和国はフランスからの独立を求める闘いを展開します。1946年~1954年にかけて戦われた第一次インドシナ戦争です。日本降伏後の戦後処理を話し合ったポツダム会談(1945年7月26日)でアメリカ・イギリス・ソ連は、「インドシナは北緯16度線を境に、北は中華民国軍、南はイギリス軍が進駐して、約6万のインドシナ駐留日本軍を武装解除してフランス軍に引き継ぎ、インドシナの独立を認めない」とします。8月15日の無条件降伏で日本軍がベトナムから撤退すると、ポツダム会談に基づき、3月に日本軍のクーデター(仏印武力処理)によってベトナムを追われていたフランス軍が再び進駐を始めます。そのフランス軍が本格的な進駐を完了するまでの間、イギリス軍がインド兵を従え北緯16度線以南に、以北に中華民国軍(国民党軍)が進駐します。

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イギリス軍に投稿したベトナム駐留日本軍

北部では中国国民党軍の共産主義敵視政策によって多くのベトミン系労働者が逮捕・追放され、45年11月にはインドシナ共産党は偽装解散に追い込まれます。南部では英仏軍がサイゴン(現ホーチミン市)のベトミン勢力を襲撃します。この時、ハノイからホー・チ・ミン主席が南部の国民に呼びかけた奴隷として生きるより自由に死ぬことを選ぶ」という呼びかけの言葉は、ベトナムの人々を奮い立たせました。これを受け一般市民が暴動を起こし、本格的な武力衝突に発展していきます。

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蜂起したベトナム南部の人民軍

46年2月までにフランス軍は機械化師団、植民地師団、戦闘機や輸送機など約100機の空軍部隊、戦艦、軽巡洋艦、大型駆逐艦、空母などをベトナムに展開します。ベトミンとの間でベトナム民主共和国の独立とトンキン(ベトナム北部)へのフランス軍駐留を認める暫定協定を結びますが、フランスは一方的に権益の多くがある南部に傀儡政であるコーチシナ共和国をつくります。

その後、フランスとベトナム民主共和国(ホー・チ・ミン主席)との間で独立問題について話し合われますが、フランスは独立を認めようとせず交渉は決裂します。

そして1945年11月23日、フランス領インドシナ北部の港湾都市ハイフォンでフランス海軍艦船の砲撃で市民6,000人が殺害される「ハイフォン事件」が起きます。この事件を引き金に12月19日、フランス軍はベトナム民主共和国の重要施設やホー・チ・ミン官邸を襲撃し、第一次インドシナ戦争が始まったのです。

フランス軍による「ミーチャック村虐殺事件」

最高時には29万1,000人もの部隊を投入したフランスにとって、ベトナムの植民地支配体制を再び確立するための侵略戦争であり、ベトナムの人々にとってはフランス支配を打ち砕き、民族独立を達成するための解放戦争です。同時にフランス領インドシナ連邦の下で植民地支配に苦しむラオスやカンボジアの人々が独立を求める戦いでもありました。下表が交戦国です。

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戦いは1954年5月のデェンビエンフーでの勝利を経た81日まで続き、ベトミン兵士と民間人が70万余り戦死、50万人以上の戦傷者が出たと言われています。フランス軍が7万5,000人、同盟軍1万9,000人が戦死したと言われています。(幾つか異なった数値も言われている)

ベトナム戦争での韓国軍による「タイビン村虐殺事件」(1966年2月)、同じく韓国軍による「フォンニィ・フォンニャット村虐殺事件」(1968年2月12日)、米軍による「ソンミ村事件」(1968年3月16日)などは知られていますが、第一次インドシナ戦争のフランス軍による虐殺事件はあまり知られていません。

1947年11月29日、フランス軍は「ミーチャック村虐殺事件」を起こします。ベトナム北中部のクアンビン省フランス軍が起こした「ミーチャック村虐殺事件」は、326軒の家を焼き払い、多くの女性を強姦し、女性170人、子ども157人を含む300人余りを虐殺した極悪非道な戦争犯罪です。

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ミーチャック村虐殺の慰霊公園

フランス軍の残虐な戦争犯罪行為が繰り返される中でのベトナム人民の不屈の戦いを描いた『不敗の村』(グエン・コック著)を思い出します。フランス軍の略奪や陣地構築などの労役に苦しむベトナム中西部の幾つもの少数民族が起ち上がり、ベトミンとともに多くの犠牲を払いながら戦う姿が描かれています。

20代の頃、『不敗の村』や『不屈』(グエン・ドック・トアン著)を読んだことがベトナムとの交流を続け、少数民族の子どもたちへの奨学支援活動を続けていることにつながっているのかも知れません。機会があれば、是非この2冊を手にしてみて下さい。

ソウル中央地裁、初めて韓国政府に賠償責任

2月7日、ベトナム戦争当時の1966年2月に韓国軍が起こした「タイビン村虐殺事件」事件でソウル中央地裁が、参戦した韓国の軍人の証言などをもとに韓国政府に対し被害女性に賠償金支払いを命じた判決を出しました。

この判決は、「ベトナムの民間人が戦争中の被害の賠償を求めて提訴することはできない」、韓国軍の虐殺への関与は「明白な証拠がなく」、銃撃は「戦時下の特殊な状況における正当な行為」などの韓国政府の主張を退け、賠償責任を認めた初めての判決です。

ところが先日(3月10日)、韓国政府が判決を不服として控訴したと報道されました。韓国政府が上告を取り下げ、判決に基づき被害者に対する謝罪と補償を真摯に履行することを強く求めます。

この瞬間にもウクライナでは子どもや女性、高齢者など多くの市民の尊い命が無残にも奪われています。 ロシアはバフムト包囲を解き、これ以上市民の命を奪わないこと!

ウクライナ、ロシア双方とも直ちに停戦し、和平に向けたテーブルに着くこと!

銃と砲弾ではなく言葉で戦え!

 

次号ではアメリカの軍事物資支援が始まり、軍事顧問団が派遣された1950年から54年のディエンビエンフーの戦いまでを辿ることにします。

(2023年3月20日、あかたつ)

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2023年3月15日 (水)

2023.3月のブルーベリー農園その2

国道2号線の海田町から東広島市八本松町の間の東広島・安芸バイパスが319日の夕方開通するのに合わせて、12日は開通記念ウオーキングが行われたので、安芸区の自宅から東広島市豊栄町に行く途中瀬野でも八本松でもウオーキングに参加するたくさんの人がバイパス目指して歩いていた。農園からの帰りが早くなるので有難い。12日は暖かいが、風が強かった。ブルーベリーは葉芽も花芽も膨んで来ているので遠くから見ると赤みを帯びた色合いの密度が増しているのが分かる。

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38日(水)

この日は友人4人オール女性で剪定した枝を畑から野焼きする場所まで運び出して、

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燃やしていく。火が落ち着いたら、サツマイモを火の中に入れる。

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30分ほどで焼き芋が焼けた。全部で12本。4人のうち3人がサツマイモを持参した結果。昼に食べ、残りはそれぞれ持ち帰る。食べるとほのかに煙の香りがするのがうれしい。

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312日(日)

バサバサ切ったブルーベリーの太い枝を積み重ねた置き場所とブルーベリー畑。

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2段目のブルーベリー畑で剪定した枝を運び出す作業を続ける。

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もう一人はひたすら太くて古くなった枝を根元から切っていく。

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その地面にはあちこちで雑草が花をつけている。

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ナズナ、ホトケノザ、オオイヌノフグリが地面に広がる。早春の時の調べを思う。

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ヤブツバキもぼちぼち咲きだした。

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剪定作業のほかに、ブルーベリーの穂木を採取。森の工房やので苗木を栽培するので持ち帰る。これだけで約500本分の挿し木ができる。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年3月14日 (火)

中国電力への申し入れと不可解な対応

11日に「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」を開催した同集会実行委員会は、呼びかけ人の山田延廣弁護士など3名の代表が、中国電力本社を訪れ、集会参加者の総意として、中国電力株式会社瀧本 夏彦代表取締役社長執行役員宛ての下記の要請書を提出しました。


島根原発再稼働及び上関原発建設を中止し、原子力発電からの撤退を求めます

 

日頃から、電力供給のためご尽力されていますことに敬意を表します。

東京電力福島第1原発事故の発生から12年目を迎え、私たちは3月11日に「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」を開催し、改めて日本から原発をなくし自然エネルギーへの転換を進めて行く必要性を確認してきました。

以下、参加者の総意として、貴社に以下の点を要求するとともにその理由を記しますので、ご回答いただきますよう要請いたします。

1.島根原発2号機の再稼働を断念するとともに、3号機を運転しないこと。

2.上関原発の建設計画を白紙撤回すること。


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これまでも何度も「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」後、中国電力に申し入れを行い、その場で中国電力の考え方を聞く場が持たれてきましたが、今年は玄関での「要請書」提出のみとなりました。

実行委員会事務局から、事前に中国電力に対し「要請書の提出」と話し合いの場を持つことを要望しましたが、今回初めて「話し合いの後、その結果などをSNSで発信しないことを約束しなければ、話し合いに応ずることは出来ない」との不当な条件がつけられました。

実行委員会としては、到底受け入れられる条件ではありませんので、過日中国電力を訪れ、「なぜこんな条件をつけたのか?またいつからそうなったのか」を質しました。

中国電力の言い分は次の通りです。

①社内で定めたルールであり、従来から、この方針で対応してきた。

②従って、これまでも同じ対応をとってきた。

③別の団体ではあるが、SNSで「間違った内容が発信された」

この中国電力の説明に対し、次の点を指摘しました。

①従来からお願いをしてきたと言うが、これまで一度もそのようなことを言われたことは無かった。

②例えば、中国電力の利用者である個人の質問や意見に対しても同様な対応を求めるのか

③どのような伝達手段を使うのかは私たちの自由であり、このような規制をかけることは、表現の自由や言論の自由を規制することになる。

④SNSで間違った内容の発信があったと言うが、昨年一年間では何件あったのか。また私たちの団体で、そのような事実があったのか。

これに対し「①従前から行ってきた②個人に対してはそのような規制はしない③は回答なし④昨年一年間で1件あった.ただ申し入れを行って、削除に応じてもらった」と、とても私たちが納得できる説明とはいえないものでした。

最後に「従来と同じような方法で話し合いの場を持つように再検討して欲しい」と要望したのですが、後日の回答は、全く修正されませんでした。

こうした経緯かがあり、今回は手渡しのみの「要望書提出」となりました。

今回の中国電力の対応変更は、電力事業者としてあってはならない対応ですので、集会実行委員会は、改めてこの問題に関しての要請を行うことにしています。

いのちとうとし

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2023年3月13日 (月)

「原爆供養塔の線香立て」の由来

平和公園の原爆供養塔の北側、納骨堂入り口に「献納」と掘られた縦約55センチ、横約60センチ、高さ約60センチの線香立てがあります。

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今月の月命日法要に参加したとき気づいたのですが、右側側面には「鹿児島県鹿屋市西原町木場昭春」左側側面には「昭和38年8月贈」と刻まれています。

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「なぜ鹿児島の人が?」ということが気になり、一緒に法要に参加していた元朝日新聞記者の宮崎さんに尋ねたところ、「共同通信の佐々木記者がそのことを詳しく調べて記事にしていますよ。佐々木記者は、今産休中ですけどね」と教えてくれました。

帰宅後、知り合いの共同通信の記者に問い合わせたところ、「記者は佐々木夢野ですが、ネット用に詳細を記したものがあります」とその記事のアドレスを教えていただきました。早速検索してみると、詳細の情報を得ることが出来ました。

それによると,佐々木記者は、2021年夏に「鉢の中がセメントのようなもので固められている。教えてくれた市民によると『以前は水が入るようになっていた』が、水をためる穴の部分がふさがれていた。原爆の犠牲者を追悼する大切な場所で、誰が何のためにこんなことをしたのか。」ということから取材が始まり、「そもそもこの鉢は何のためにここにあるのか」へと発展したようです。

佐々木記者の記事https://nordot.app/848107195526594560?c=39546741839462401には、「鉢の中がセメントで固められた」問題だけでなく、この線香立て(最初は、「花立台」として寄贈)がたどった経緯が詳しく書かれています。

私が知りたかった「なぜ鹿児島の人が寄贈したのだろう」ということも,きちんと取材され書かれています。

佐々木記者の了解を得ましたので、今日は、記事を引用しながら紹介したいと思います。

「商店を営んでいた昭春さんは、63年7月5日に商工会議所の仲間と広島旅行をし平和記念公園を訪れた際、『原爆ドーム前の花立て台がブリキや板で作られた粗末なもので、あまりに見劣りする』と心を痛めた。鹿児島に戻って鹿児島県肝付町の御影石の産地を訪れて鉢の製作を依頼し、7月29日に発送し、献花用として寄贈したという。総経費は1万円。広島『平和祈念館施設管理事務所』は『喜んで頂戴する。早速現場に備え付けたい』と回答したという。」「昭春さんのコメントも載っている。『8月6日の原爆記念日までに間に合わせようと急いだ。被爆者の霊が安らかに眠るよう役立てば幸いだ』」

これらの経緯がわかったのは、佐々木記者が取材を初めて寄贈者の遺族を見つけることが出来、そして昭春さんの長女から「地元の新聞に載った」との情報を得て、該当する新聞記事がないか鹿児島県立図書館に調べてもらい、今は廃刊となった「鹿児島新報に記事がある」と教えられ、たどり着いたようです。

また記事によれば、取材が始まった当初「鉢は市の所有物ではなく、設置目的も不明」と言っていた広島市は、その後の調査で寄贈された際の記録が見つかり「当初から市の所有物だったことが分かった」と明らかにしたようです。

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この鉢の修復は、木場昭春さんの長男の「献花用ではなく今の場所のまま、砂を入れて線香を立てられるようにしてほしい」との希望で、焼香台として活用されることになりました。

その後、毎月の月命日の法要では、線香台として活用されています。

佐々木さんの記事には、これらの経緯が詳しく書かれていますので、ぜひ読んでみてください。

今回もまた広島の不思議な出会いに巡り会うことが出来ました。

いのちとうとし

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2023年3月12日 (日)

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」を開催

東日本大震災,そして東京電力福島第一原子力発電所爆発事故から12年目となる昨日午前10時から秋葉忠利さん(前広島市長)箕牧智之さん(被爆者)森滝春子さん(市民運動家)山田延廣さん(弁護士)岡田和樹さん(有機農家)の呼びかけで「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が、150人の参加を得て開催されました。

この集会は、福島原発事故が起こった翌年から、福島の原発事故被災者を忘れず、ヒロシマが連帯していく意思を表明するために始まり、毎年3月11日を中心に開催してきました。

今年の集会は、大月純子さんの司会で始まり、最初に全員で東日本大震災で犠牲となった人たちへの黙祷を捧げました。

次に呼びかけ人を代表し山田延廣弁護士が「今日で12年、しかしあろうことか岸田首相は、原発回帰、大軍拡を進めようとしています。このことから思うことは、人は忘れやすい。そして権力者によって忘れやすくさせられる」と指摘しながら最後に「市民一人一人の力は弱いが、スクラムを組んで『核と人類は共存できない』を訴え続けよう」と呼びかけました。

続いて福島県からこの集会のために参加された大河原さきさん(原爆事故被害者団体連絡協議会事務局)の『福島からの訴え』がありました。

大河原さんは、「20年代の頃に広島の原爆資料館を訪れたとき、まさか自分がそのような目に遭うとは思わなかった。汚染土が詰め込まれたフレコンバックは、見た目には見えなくなったかにみえる。しかし、・・・こんな中での岸田首相の原発政策改悪は、福島の事故の教訓をないがしろにし、被害者の思いを踏みにじるものだ。他県の被爆許容量が1ミリシーベルトであるのに、福島は20ミリシーベルト。健康被害は矮小化され、被害者が切り捨てられている。」と訴え、さらに汚染水の海洋放出問題について「海は私たちの共有財産だ。汚染水の海洋放出を許さないため、これからも連帯して核のない社会をめざしましょう」と呼びかけました。

続いて下記の集会アピールが、私鉄の藤井さんから提案され全員の拍手で採択されました。

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福島原発事故から12年を迎えます。この間、福島はどう変わったのでしょうか、原発事故の教訓は生かされているのでしょうか。しかし、人々の願いを省みようともしないこの国の現実が福島の人々や市民に不安と怒りをもたらしています。

 事故を起こした福島第一原発の廃炉作業は遅々として進まず、放射能汚染された「帰還困難地区」の除染も進んではいません。国は地元や全国の漁業者や市民が「海を汚すな!」と声を挙げ、福島県の43市町村が反対決議したにもかかわらず、全く聞く耳を持たず汚染水の海洋放出を強引に推し通そうとしています。

福島原発事故を教訓に原発撤退を決めたドイツやイタリアをはじめ、安全対策費の高騰で中止や延期に追い込まれ、使用済み核燃料の処分に困った国が原発推進をとめています。

 GXグリーントランスフォメーション実行会議の基本方針において、岸田政権は原発推進の有識者会議のお墨付きを得て、これまで原発新増設さえ抑えていた第6次エネルギー基本計画を覆し、老朽原発の運転期間延長、新増設、次世代型革新炉の開発など、原発推進へと舵を切りました。しかも、過去に各地で行ってきた公聴会も行わず強引に推し進めようとしています。

 福島原発事故を起こした東京電力の旧経営陣の刑事裁判は控訴審においては、津波確率予測「長期評価」の信頼性が認められず、被告人らを免罪した一審の不当判決が維持されてしまいました。

(略)

福島原発事故を風化させないためにも、福島に寄り添い、福島の現状を学ぶとともに、原発の再稼働・新規建設に反対し、原発をなくし、自然エネルギーへの転換を求めていきましょう。


最後の全員でアピール行動を行い、デモ行進に移りました。

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デモ行進は、「フクシマを忘れない!」「中電は、島根原発を再稼働するな」「中電は上関原発計画を中止しろ」などのシュプレヒコールを繰り返し、市民の訴えながら、原爆ドーム前から中国電力本社前まで行いました。

自治体選挙前ということもあり、参加者は例年よりやや少なくなりましたが、だんだんと原発事故が風化させられようとしている今、集会を通じて、集会の名のとおり、福島と連帯しフクシマを忘れないことが大切だと思います。

いのちとうとし

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2023年3月11日 (土)

平和教育の構築を!

23年28日の市教育委員会議において、広島市教育委員会が「平和教育プログラム」を改訂することが報告され、「ひろしま平和ノート」小学校3年生教材からの「はだしのゲン」削除が明らかになりました。市教委は、「漫画の一部を教材としているため、被爆の実相に迫りにくい」「浪曲は、児童の実態に合わない。鯉を盗む描写は、誤解を与える恐れがあり、補足説明が必要となるため、被爆の実相に迫りにくい」等と課題をあげています。

80年近く昔が舞台であり、現在の子どもたちにとって時代背景がわかりにくい部分があって当然です。しかし、その壁を越えて子どもたちの心に迫る普遍的な力が「はだしのゲン」にはあります。実際、現場の教職員は補足資料など工夫しながら授業をし、子どもたちはゲンを通して戦争や原爆の実相に触れ、中沢啓治さんが作品に込めた二度と戦争や原爆を繰り返させてはならないという強い思いや怒りを受け止めてきました。

市教委が「平和教育プログラム」の検証を行った有識者会議においても、議論の末に削除すべきとの結論に至った様子はなく、このたびの市教委の説明は到底納得いくものではありません。通常の授業のどの教材であっても、子どもの実態や地域の実態をふまえて授業づくりをするのは当たり前です。ましてや、人権や平和を学ぶことが教育の最上位目的であることを踏まえると、まさにこれは私たちの『本務』であり、業務削減すべきは全くそこではありません。

「はだしのゲン」については、2012年に学校図書館での閲覧制限を設けた松江市を始め、他の自治体や広島市にも、一部の人々からの圧力がかけられてきました。その状況を踏まえると、十分な理由もなく削除を決め「こういう大きなことになるとは思わなかった」という市教委の認識は疑わざるを得ません。

加えて、今回の改訂では中学校3年生教材から「第五福竜丸」を削除することもわかりました。広島市が核兵器禁止条約の締結を求めるのであれば、当然、核実験による被害や核軍拡競争の実相、核廃絶に向けたとりくみを学ぶ教材として欠かすことができないものであるはずです。

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2014年度版 ヒロシマ平和カレンダー(広島平和教育研究所)

3月6日、広島県教職員組合(広島市教組と連名)、広島平和教育研究所、一般社団法人広島教育会館は、広島市教委に対し、教材としての評価を明らかにすること、削除に至った経緯を明らかにすること、削除を撤回し平和教材として活用すること等を求め、申入れを行いました。

現行の「平和教育プログラム」も、加害の歴史を学ぶものになっていない等の課題があります。今回改めて行政のつくる平和教育の限界も感じました。だからこそ、問われているのは私たち自身です。行政に平和教育の推進を求めるとともに、日本国憲法・子どもの権利条約の理念の実現をめざし、私たちの実践の積み重ねによって、ヒロシマの平和教育を構築していく必要性をひしひしと感じています。

【情報提供】

■現行の「ひろしま平和ノート」と改訂に係る会議の議事録(315日までDL可)

https://87.gigafile.nu/0315-cb735bb80fab0260f0f5f679df78e9f5

■オンライン署名:ヒロシマの心『はだしのゲン』を「平和ノート」から削除しないで!

https://chng.it/gjG5dNPn

広教組 頼信直枝

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2023年3月10日 (金)

何故、戦争をしたい国になろうとするのか

 2月28日、来年度予算案が衆議院で可決され、参議院での可決を得なくても年度内の成立が決まりました。「大きな混乱も無く」というどころか、「なんの波風もなく」という感じで、やるせなさだけが残っています。

岸田内閣によって安保3文書が、昨年12月16日に閣議決定されました。この安保3文書による政策を、お金で形にした予算です。安保3文書とは①国家安全保障戦略②国家防衛戦略③防衛力整備計画といわれるもので具体的には、

・トマホーク中距離ミサイル500発購入

・攻撃型無人機・高速滑空弾開発

・43兆円防衛費・GDP2%

・敵基地攻撃能力

 などです。

その基礎は昨年5月23日の「岸田・バイデン共同声明」にあります。この声明では、「岸田総理は日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費を相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領は、これを強く支持した」というのにあります。この声明をきっかけに、まさに堰を切ったように具体的な兵器導入プランが動きだしました。

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この内容は1960年の「改定安保批准国会」以降、かってなかった事態といえると思うのです。自衛隊のスタンスを「専守防衛」から「敵基地攻撃」へ転換させ、「臨戦態勢化した日米安保」といえる状態にさせてしまいました。

大人でも子どもでも、いざこざや喧嘩をした時、まずは話し合いで解決させようとするのが、懸命なやり方でしょう。まずは顔と顔を合わせて話しをし、どうしたら暴力・殺人という戦争にならないかを考え、努力することが常識だと考えるのです。しかしその努力が、政治家の姿に見いだせないのです。

インドでG20の外相会議が開かれていましたが、同じ会場にいてその気になれば顔を合わせての話しは可能なのに、それをしない、そうするように促す人もいない、まさに「根性無し」です。戦争をすれば何万、何百万もの市民が死んでしまう事態になるということよりも、個人としてのメンツと政治的な立場を長続きさせることしか考えないのでしょうか。

クラウゼビッツという軍事学者が「戦争論」という古典の中で「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」という有名な言葉がありますが、今の政治家の姿を的確に示しているものだと思います。

もっともらしく「抑止力」という言葉が使われますが、「やってくればやり返すぞ」という単純な「懲罰的抑止」というものと、国際世論を味方に引き入れて国際的な力を含めてあくまでも抵抗し拒否する考えの「拒否的抑止」という考え、今のウクライナの姿に似ているようにも思えますが、僕にはよく分かりません。

もう一つは「これをしなければ、こんないいことがあるぞ」というご褒美による抑止という「報償的抑止」という考えです。北朝鮮の軍事的な脅威が強まった時、食糧支援や燃料提供を条件にしたことが、その例です。

バイデン大統領にも岸田首相にも、「報償的抑止」という考えはないようですね。なにも考えようとしない思考停止、ノーアイディアだと思います。

日本が専守防衛という立場に立つのなら、この報償的抑止を考えるべきです。今の状態を喜んでいるのは、日米の軍産複合体と軍事産業だけだと考えるのですが。

3月8日、上京して国会議員への要請活動を行いました。自民党も含めて議員会館内の40人ぐらいの議員事務所を回りました。国会開会中ということで、議員本人との面談は少なかったのですが、とても有意義な活動でした。議員会館外の歩道では、この問題での市民団体による集会も行われていました。

木原省治

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2023年3月 9日 (木)

峠三吉詩碑前祭

日曜日の3月5日午後2時から、広島文学資料保全の会と四國五郎追悼の会の呼びかけで平和公園内の原爆詩人峠三吉詩碑の前で、「峠三吉没後70年・碑前祭」が開催されました。

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「峠三吉碑前祭」は、1963年にこの碑が完成してから、5年ごとに開催されていたようですが、没後50年にあたる2003年を最後に、開催されずにきたそうです。

しかし、今年は没後70年というだけでなく、ロシアによるウクライナ侵略の中、核兵器使用の威嚇が現実味を帯びてきたにもかかわらず、日本政府は核兵器禁止条約に背を向けている現在、峠三吉の「原爆詩集」は、人類への警鐘を鳴らし続けている意味を改めて、思い起こすことが大切だと開催することになったようです。

当日は、約100人が参加しました。

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全員での黙祷の後、主催者を代表して千葉県東金市から参加された原爆資料保全の会顧問の水島裕雅さんが、「命を懸けて原爆詩集を書いた峠さんは今、何を思っているだろう。怒っているのか。深い悲しみで今の状況を見ているのではないか。『何とかしろ,何とかしなければならない』と峠さんに言われているような気がする」とあいさつ。

次にこの峠三吉詩碑の設計をした四國五郎の長男光さんが「峠さんに関わるすべてをやるという強い思いがあった父は、碑の階段部分を含めて設計した。シベリアから帰国した父はすぐに峠さんに会い、『本当にいい人に巡り会えることが出来た。本当にありがたい』と心の底から思った。私は、碑文の『にんげんをかえせ』を最初に読んだとき、『原爆犠牲者を返せ』と思っていたが、父は『人間性を返せということ』だといった。人間性を奪うものは絶対に許さないということを呼びかけると同時に誓いの言葉でもある。峠さんの詩集は、人類に残した貴重な遺作だ」と話しました。

その後、あいさつやメッセージの紹介、献花に続き、原爆文学を研究する大学生や、峠と知友を描いた演劇作品「河」の出演者によって「原爆詩集」に収録された4作品の朗読がり、碑前祭は終了しました。

その後参加者は、峠三吉の墓がある西應寺に移動し、お墓に献花するとともに本堂を借りて、懇談会が行われました。

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この峠三吉碑前祭と呼応するように原爆資料館地下1階情報資料室では、峠の没後70年に合わせた企画展が開かれ、代表作「原爆詩集」の草稿や本人直筆の日記などが展示されています。普段は非公開の資料が特別展示されていますので、私も行ってきました。

この特別展示は、13日までの開催ですので、ぜひ見に行って欲しいと思います。

いのちとうとし

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2023年3月 8日 (水)

2023.3月のブルーベリー農園その1

3月になった。標高の高いところにある東広島市豊栄町のブルーベリー農園も春めいてきたが、生き物の気配もないし枯れ草などを見ると冬の景色も混在していて全部春になったという気分にはなれない。冬ベースの服装でブルーベリーの剪定、剪定枝の処理を続けている。作業をしていると近所の農家から剪定で出た枝を挿し木にしたいと声がかかる。今が挿し木の適期なのでお渡しした。穂木を手にして楽しそうだった。

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35日(日)

4日は薄曇りだったが、5日は一日中いい天気だった。

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ジャーマンアイリスや野菜を育てている畑の山すその梅の木。数輪小さな花が開花。

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①里山のブルーベリー園から田んぼや街並みを望む。遠くで野焼きの煙が上がっている。

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②里山のヨメナの花が立ち姿のまま枯れて先端に種を宿している。まだ冬の景色が残る。

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③里山のヤブツバキは一輪だけ花開いているが雪にやられたのか花びらがちぎれ花唇の黄色が春まつようす。

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ブルーベリー畑の一番上の剪定後の枝の片づけを続ける。

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並行して3段あるブルーベリー畑のまんなかで剪定を続ける。根もとの枝分かれのところでふるい枝を切った株。切り口の大きさは幼児の掌くらい。

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早春なのでラッパズイセンの葉がもう10㎝位伸びてきた。

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ススキの枯れ枝には冬がまだいるよう。

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5時前のブルーベリー畑。

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夕日に枝先がきらきら光る様は春の景色。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2023年3月 7日 (火)

原爆犠牲者月命日の法要と原爆供養塔の芝生張り替え

原爆犠牲者の月命日となる昨日、久しぶりに原爆供養塔で行われる月命日の法要に参加しました。

献納の文字が刻まれた大きな線香タテには、ろうそくに火がともされ、線香が煙を上げ,法要に準備が整いました。午前8時50分頃から呉市の白蓮寺住職の吉川信晴さんの「重誓偈」(じゅうせいげ)の読経が始まります。参加者は7人ほどでしたが、一緒に唱和します。読経が終わると、10項目の歌詞が書かれた「原爆と世界平和」が,いつものように歌うように読み上げられました。そして「明るい社会をみんなで」愛唱歌「かがやけわがふるさと」の1番と3番を吉川住職が独唱されて,前半部分が終わりました。

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その後、いつものように法話が始まりました。「ウクライナでは多くのいのちが奪われています。ウクライナの戦争が終わったとしても、このいのちが戻ることはありません」心に残った言葉です。

法話が終わったのは、午前9時半です。

今回久しぶりに月命日の法要に参加したのは、ちょっとした訳がありました。先週の木曜日の夕方,原民喜歌碑を見に行ったとき、遠目にブルーシートがかけられ原爆供養塔が見えたので、その現場を確認しようと平和公園を訪れたところ、原爆供養塔にはしごがかけられて作業が進んでいました。

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作業中の業者さんに聞くと、「原爆供養塔の芝生のはりかえをしています。」とのことでした。土まんじゅうの上の芝生が全部剥がされて、土がむき出しになっています。この日から、新しい芝生が,植え始められた様で、一番上の2段ぐらいが貼り終えたところでした。

その時に「6日の月曜日には、ここで朝から月命日の法要が行われる」ことを業者さんに話しました。

そんなことがありましたので、業者の対応ぶりも見たいと思い、昨日の月命日法要参加となりました。

業者は、数台の作業用車で法要が始まった8時50分頃に到着されましたが、そのまま作業をせずに待っておられ、法要が終わると同時に作業が始まりました。後で業者に聞くと、「いつもは8時半頃から作業をするのですが、今日は法要があるということで、少し遅く到着しました。」と話され、法要が終わるのを待った作業を開始されたようです。先週金曜日に話した時には、6日の月曜日に月命日の法要が行われることは知っておられなかったようですので、あのとき話しておいてよかったなと思いました。

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今回は、芝生の張り替えだけでなく、原爆供養塔に伸びていた枝もかなり切り取られたようですので、光がよくさすようになっています。

G7がらみの工事のようですが、芝生の張り替え時期としては、これからが植物が芽吹く前のよい時期だということでした。原爆供養塔は、土まんじゅうの形をしていますので、きちんと並べて植えるのは、平面に植え替えるよりも難しい作業となるようですが、今週中には、終了するとのことでした。

平和公園の管理は、基本的に広島市緑政課が担当していますが、原爆供養だけは、遺骨の管理等を行うため原爆対策部の調査課の所管となっていることも今回わかりました。

調査課の話によれば、芝生に一部に傷みが生じればその都度修理をしていますが、全面的な張り替え作業は、10数年ぶりになるとのことでした。

芝生の張り替えが終わると、その周辺には白い石が敷き詰められて、すべての作業が終了するようです。

いのちとうとし

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2023年3月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その45) ベトナム象、広島を歩く-9

「越すに越されぬ大井川」

4月9日に四日市宿を出立した象の旅は、さらに50日近く続きます。

私のふる里、備前国岡山藩に4月12日、播磨国姫路藩に4月16日、4月26日に京都に入ります。28日には中御門天皇に拝謁します。象とはいえ無位無官のものが参内する先例がないことから、「従四位広南白象」に叙されます。

東海道を下り江戸に向かった象一行は5月13日、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と箱根馬子唄に歌われる難所に差し掛かります。郷土史研究会の2月例会で「広島を歩いたベトナム象」を発表したとき、「象は東海道を歩いたんですか?大井川はどうやって渡ったんですか」との質問をいただきました。

 「梅雨による増水のため3日間足留めされた」という説もあるようですが、大井川の川会所に残る『川留記録』には川留め事実はなく13日に象は大井川を渡っています。通常の水深は2尺5寸(約76cm)で川留めの基準水深が4尺5寸(約136cm)ですからそれ以下だったのでしょう。

川幅は約10町(約1090m)、大井川を挟んでそれぞれ350人いた川越人足が象の渡る上流で肩を組んで何列にも並びます。激しい流れを人間で堰を造って、象が歩き易いようにしたのです。こうして無事に大井川を越えたと伝えられています。

下の絵はその時の様子を描いたもので、ささご会が製作した紙芝居「江戸に像が来た」からお借りしました。

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大井川を意外と楽に乗り切ったベトナム象、天下の険・箱根越えでついにダウンしてしまいます。急遽、江戸に「象不快」と急報され、近郷から馬のお産を取り上げる名人が呼び出されますが、為す術もなかったようです。失敗すれば切腹ものと関所役人たちが箱根権現で護摩を焚いてもらったり、福井芦川の駒形神社の御札をもらったりと大変だったようです。

その御利益か(?) 4日後には回復し、5月21日に江戸に向かいます。そして25日、六郷川(現在の多摩川)に30艘の船を浮かべ杭で固定。その上に板を敷いた船橋を仮設し渡り、遂に江戸入りを果たします。

「時代の寵象」哀れ、無残な死

5月27日、第8代将軍・徳川吉宗に拝謁。その後も、「従四位広南白象」(時代の寵象)を見学する大名や有力旗本が相次ぎます。絵師によって象画が描かれ、瓦版で虜になった江戸っ子は錦絵や双六に興じ、『象志』や『安南紀略藁』、『月堂見聞集』などベトナムと象に関する書物が綴られます。

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しかし、浜御殿に暮らすベトナム象に対する厚遇は長く続きません。開幕100年余、幕府財政の逼迫と揺らいできた幕府権力の確立に力を注ぎ、今日で言う行財政改革と政治改革、倹約と殖産奨励などの「享保の改革」を進める吉宗にとって、年間200両(約2600万円)もの金喰い象は放置できません。早くも翌年、享保15年(1730年)6月30日には江戸の名主宛の「象払下げの触」を出します。ところが、なかなか買い手が見つかりません。

11年後の寛保元年(1741年)4月27日、中野村の百姓・源助と柏木村の百姓・弥兵衛が買い取ります。

そして払い下げの翌年、寛保2年(1742年)12月13日にベトナム象は死んでしまいます。

源助は象の餌の竹笹を浜御殿に運んでくる武州中野村の百姓でしたが、金儲けに聡い男でした。一回約10kg、一日に100kgという山のように出る象の糞の掃除を手伝う傍ら、糞をもらい受け近郷の百姓に肥料として分け(売り)ました。享保15年(1730年)、おりしも江戸で麻疹や疱瘡が流行します。源助は内藤新宿の場末、淀橋通りに店を開き、象の糞を「象の涙」と名付け「麻疹と疱瘡、腫れ物に効く」と売り出します。

幕府から、「試候処効能も有之、疱瘡、麻疹、面疔、其の他腫之薬に候間、望之者は右之所江参調可申候」というお墨付きまで貰い、大儲けをしたと伝えられています。

推定7歳で日本に来たベトナム雄象は21歳で亡くなります。60~80歳と言われる象の寿命の3分の1~4分の1という短い生涯です。

源助と弥兵衛に買い取られ僅か一年余りで死んだベトナム象の死因は餓死と凍死と伝えられています。この一事を見てもベトナム象が源助らにどのような扱いを受けたのか、想像に難くありません。

西条四日市宿から一気に江戸に駆け上り、異郷で寂しく亡くなるまで書きあげました。道々にベトナム象の足跡を辿る記録はまだまだあり、様々なドラマが展開されますが、象の旅を追うのは一旦ここで区切りとしたい思います。次号から何回かで「ベトナム象広島を歩く」シリーズを閉じたいと思います。

〔エピローグの予告〕

1.なぜ、ベトナム象は日本に来た

(1)当時のベトナム事情

(2)どのようにして象は運ばれた

2.エピローグ

(1)象好き日本人

(2)「暴れん坊将軍」は何のためにベトナム象を買った

(3)ところで、どうなった  ベトナム象を追う旅の出発点“東広島の地を最初に踏んだ人は誰?”

(4)間近!「ベトナム象来訪300年周年」  2029年4月8日(日)

(2023年3月日、あかたつ)

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2023年3月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その44) ベトナム象、広島を歩く-8

ベトナム象、西条四日市宿に入る

ベトナムの雄象(推定8歳)が長崎を発って27日目の享保14年(1729年)4月8日、わがまち「西条四日市宿」に着きました。その記録が木原家の文書に「象御登セ覚書」として残されています。下の写真がそうです。

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「一 享保14年4月、長崎から江戸に登る象が、4月8日、四日市宿の御茶屋に泊まった。宰領の高木作右衛門と家来は御茶屋の上ノ間、その他は台所の上の間に泊まった。象は御馬屋の馬3匹の間仕切りを取り除き板で囲った。象遣い4人も馬小屋に付き添った。一 御代官の松原助佐衛門様がお越しになり、宿で諸事について仰せつかった。」と書かれています。

下の図は1870年(安永9年)頃の四日市宿の地図(地図上の崩し文字以外の書き込みと作図は筆者)、右下の写真は四日市宿の本陣跡(御茶屋跡)です。本陣跡は西条駅東の酒蔵通りに面して残っています。

西国街道(旧山陽道)を西から上ってきた象は半尾川を渡り、中央やや右の御茶屋(本陣)に入ります。半尾川に架けられた橋は恐らく小さな土橋か板橋だったと思います。長崎奉行所は山陽筋各藩に3㌧余りの象が渡る橋の補強について、「一 土橋、薄き板橋、薄き石橋などは厚さ6~7寸(18~21cm)の角材を平らに並べ、その上に薄く土を敷き」、「欄干がない橋は取り付けるように」という御触を出しています。

四日市宿でも半尾川と古川の橋補強工事が慌ただしく進められたことでしょう。

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至れり尽くせり 象の寝所

橋補強の作事にとどまりません。四日市宿の“てんやわんや”は、まだまだあります。馬小屋を改造した象小屋づくりがあります。下左図は竹内家文書に残された「御茶屋の間取り図」です。中央右辺りに馬小屋が設えられています。これを象小屋に改造したと伝えられています。下右図は「享保の象、枚方市を歩いた日」からお借りした象小屋のイメージです。象小屋は、「一 高サ 八尺余、入 三間程、横 弐間半程、内、一間半程象出入之口」と長崎奉行所の御触に基づき作られ、番所や番方の配置も御触に従ったものになっています。

御触書には小屋の形状だけではなく、その快適性など事細かく指示されています。「一 小屋に(隙間)風が入らないように、小屋内の地形は片方を少し下り(低く)するように、象は度々小便するので溜まらないようにすること。一 小屋の中に藁を弐尺(60cm)程敷き、昼夜役人が付き添うように」。

象の寝床に注目してください。何やら敷き詰められています。小便に濡れないように藁が敷き詰められ、傍らには象遣いが控えています。小屋の外には足軽が立哨しています。

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大飯喰らいの象 飼料に四苦八苦

 人間にとって欠かすことのできない衣食住、象にとっても衣はともかくとして食住は不可欠です。住は整いましたが食(餌)が大変です。なにしろ想像を絶する大喰らいです。長崎奉行所の御触を見てみましょう。

勘違いしないでください。これは一日分です。

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御触に指示された餌を一覧表にまとめたもの。(筆者作成)

大量の植物類、お粥にして冷ました米8升、餡入饅頭はことのほか好物だったようです、焼酎(酒)も好物で多い時には9升も呑んだそうです。

下の囲みは木原家に残された古文書の一部です。準備して欲しいと要請された象の餌です。「いたぶ葛 右は大きな松或いは大石(岩)などに有る・・・・」と書かれています。右下が「いたぶ葛」ですが、私にはどのような植物なのかよく分かりません。

ネッでト検索すると「みんなの趣味 園芸」に「子供の頃、良く食べていたイタブ(イヌビワ)。散歩道になっていたのを思い出し立ち寄ってみました。黒く色付いて食べ頃の実がなっていたので食べてみました。甘いけど微妙。もっと熟さないといけないのかな。子供の頃はもっと甘く感じたのですが・・・こんなものなのかな。」とありました。私も子どもの頃、野山でたいていの実や葉、茎などを食べましたが、記憶にありません。(名前を知らなかっただけかも)。

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いずれにしても、大量の餌確保です。

代官様の指示で四日市宿の宿役人(しゅくやくにん)の“てんやわんや”、“四苦八苦”する姿が目に浮かびます。

 

(注1)木原家:

(2023年3月5日、あかたつ)

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2023年3月 4日 (土)

3月の「3の日行動」と危険な火ばさみの撤去

戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会は、毎月3日に実施している「3の日行動」を今月も昨日午後5時30分から本通電停前で実施しました。

今月のメインテーマは、「岸田大軍拡,大増税に反対しよう! 広島湾の日米共同軍事訓練は即時中止を」でしたので、私も最後にマイクを握り次のことを訴えました。「①1年が経過したロシアによるウクライナ軍事侵略の即時停戦を求める②岸田首相は、平和外交の努力をせず、防衛費の大幅増を進めているが,それは平和を作るのではなく戦争への道を進めることになる③せんじつ実施された広島湾での日米共同軍事訓練は平和の海を再び軍事への海に変える行為で絶対に許されない」ことなどを訴えました。

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私の他に4人の弁士がマイクを握り「①子育て支援政策②河合買収事件の被買収者が立候補することは認められない③自治体職場でも非正規雇用が増えている。非正規雇用問題の解決こそ安心の暮らしの基本④松井市長は、にぎわい作りだけ強調し、図書館をエールエール館に移転するのは、平和文化都市としてふさわしくない.現地での立て替えを求めて運動を続ける」等を訴えました。4人の弁士のうち、3人が女性だったことが特徴的でした。

昨日の行動参加者は、30人でした。

 

木に食い込んだ火ばさみは、撤去されました。

3月2日のブログえっ どうなっているの?ちょっと危険だな!: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)に書いた「木に食い込んだ火ばさみ」が、危険だからと昨日撤去されました。

午後2時過ぎ広島市の担当者から電話で連絡がありましたので、「3の日行動」に参加する前に現場に行ってみました。

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伐採前

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伐採後

ひこばえが育って伸びた幹に食い込んでいましたので、そのすぐ下でこの幹が伐採されています。火ばさみが木に取り込まれた面白い景色でしたので、残して欲しいような気持ちもしたのですが、現場を見た担当者が「危険」と判断し、すぐに対処したようです。現場を見れば、伐採してよかったと思いました。

いのちとうとし

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2023年3月 3日 (金)

「原民喜詩碑」の修復

原爆ドームの東側に原爆作家の「原民喜詩碑」があります。

先日、原爆ドームを訪れた時、原民喜詩碑で作業している姿が目に入りました。

作業中の方に「何をされているのですか」と尋ねると、詩碑の一部に壊れたところがあるので、その修理を行っているということでした。

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私が目にしたのは、作業は、詩碑の裏面の「原民喜詩碑の記」を取り替えるため、古いものを取り外しているところでした。

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「今日は取り外しただけで、しばらくして新しいものを取り付けます」とのことです。

「壊れたのですか」と問うと、「壊れたわけではありませんが、真ん中ほどにひびが入ったので、新しいものに取り替えることになったのです」とのことでしたので、無理にお願いをして、すでにトラックの積まれていた取り外した古い石板を見させてもらいました。

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「原民喜詩碑の記」に記された文章については、修復が完了したときに紹介したいと思っていますが、確かに白い亀裂があります。小さな亀裂ですので、よく見ないとわかりませんが、写真の左側の「天」の文字から右斜め下の「生」の文字にかけて走っているのがわかります。

原爆ドーム前の集会に参加し、再び前を通るとすでに作業は終わり、裏面はブルーシートで覆われ「お知らせ」が書かれた紙が貼ってあります。

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最後の一行に「広島市都市整備局緑政課」と書かれていましたので、後日広島市緑政課を訪ねて話を聞きました。

担当者の話によれば、「この亀裂が見つかったのは、2014年市民からの通報で知りました。現地を調べたとき、石材業者に確認したところ、人為的に壊されたものではなく、経年劣化によって発生した亀裂だとわかりました。修復も考えたのですが、当時は予算のこともあり、すぐに修復することは出来ませんでした。ところが、昨年末になって碑そのものの角がかけているという情報提供があり、検討した結果、裏面も含めて修復することにしたものです。」

さらに「裏面の『原民喜詩碑の記』は、取り外したものを業者が持ち帰り、元の文字と同じような状態になるように作り替えることにしていますので、少し時間がかかると思います。」とのことでした。

実は、緑政課を訪れる前に原民喜の研究者である竹原陽子さんから、この情報の提供は受けていました。2014年も昨年も,広島市に情報を提供したのは竹原さんや原時彦さんたちだったそうですが、竹原さんは私が連絡して初めて「修復が始まった」ことを知ったようです。

原民喜が亡くなった日3月13日には毎年「花幻忌」が開催されていますので、それまでには修復が完了すると思い、「裏面の修復が行われる日が決まったら連絡をください」とお願いをして帰りました。

いのちとうとし

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2023年3月 2日 (木)

えっ どうなっているの?ちょっと危険だな!

すぐ脇を歩くことがよくあるのですが、初めて気がつきました。

最初に気づいたときは、この周辺を清掃活動される人が,火ばさみを木に引っかけたまま置き忘れたのかなと思いました。

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それにしては、少し変だな!と思い、近づいてみました。

やっぱり変です。

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違う角度から見ても、木の中から、火ばさみが出ています。

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さらによく見ると、木から生えているようにも見えます。

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ここまで木に食い込むまでには、相当の時間がたっているように思いますが、その割には火ばさみは、ほとんどさびていません。

私が、最初目にしたとき「置き忘れたのかな」と思ったのは、火ばさみが新しいもののように見えたからです。

どれぐらいの時間がかかれば、こんな状態になるのか不思議です。

しっかりと木に食い込んでいますので、火ばさみは堅く固定化されており、触ってみたのですが、全く動きません。高さも1m20cmぐらいの位置ですので、そばを通れば危険です。気になりましたので、帰宅後、広島市に連絡を入れました。「時々、例えば公園のフェンスの金網が、すぐそばの木に食い込みことなどあります。すぐ現場を見てみます」との返答でした。

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しばらく後に担当者から連絡がありました。「確かに、今のままでは危険ですので、できるだけ早く脇に伸びた部分を切り取って取り除くことにします。情報提供ありがとうございました。あれぐらい食い込むには、一年二年という単位ではなく、かなりの年数が経っています。」

この木は、元安川左岸の原爆犠牲建設労働者・職人の碑と中曽根句碑の中間、石造りのベンチとテーブルがある場所のすぐ近くに植わっています。

多くの人が通る場所にもかかわらず、なぜ今まで誰も気づかなかったのかと不思議な気がしますが、すぐに対処していただくことになりましたので、一安心です。

いのちとうとし

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2023年3月 1日 (水)

戦いと痛みー第2次世界大戦中のポーランド国民 グダンスク第2次世界大戦戦争博物館巡回展

先日、ある講演会に参加するため原爆資料館地下会議室を訪れた時、「えっ」と思う光景が目に入りました。

いつもは、「新着資料展示」が行われている特別展示室の前に見慣れない看板が掲示されていたからです。

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看板には、小さな文字で「グダンスク第2次世界大戦戦争博物館巡回展」と書かれ,その左側に赤い大きな文字で「戦いと痛みー第2次世界大戦中のポーランド国民―」と書かれています。会期は、2月17日から3月21日です。

会場に入ると正面に「ごあいさつ」として次の内容が書かれたパネルが立っています。

「第2次世界大戦勃発の地として知られるポーランド・グダンスク第2次世界大戦博物館において,2022年(令和4年)10月14日から12月31日まで広島市・長崎市主催の『ヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展』を開催しました。これを機に相互交流の一環として,同館が世界各国で開催している巡回展『戦いと痛みー第二次世界大戦中のポーランド国民』をここ広島で開催することにしました。

1939年(昭和14年)9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まりました。本展では、第2次世界大戦中のポーランドの人々の体験を中心に紹介します。

この展示会が、改めて戦争の悲惨さ平和の重要性について考えるきっかけとなることを願っています。」

この「あいさつ」文によって、この展示会の経緯を知ることが出来ます。

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会場に入ると,赤い自問に白文字での解説、そして豊富な写真がつけられた写真パネルが並んでいます。同館が作成した写真パネル23枚が展示され、当時のポーランドの人々の体験を知ることが出来ます。もちろんその中には、ホロコーストの問題もありますが、私が改めて痛感させられたことは、ポーランドが東西の大国ドイツ・ソ連によって分割され蹂躙され続けた歴史です。

この展示を見ていると、今進行しているロシアによるウクライナへの軍事侵略が重なって見えてきます。「ヒロシマ・ナガサキ原爆展

この「巡回展」は、ネットを検索してみると2019年9月1日から12月22日まで、大阪で同展が開催されています。グダンスク第2次世界大戦博物館は、2017年にオープンし、その名のとおり「第2次世界大戦に特化した展示」になっており、「巡回展」は、世界60カ国で開催される予定のようですので、オープン時から計画されていたと思われます。

入り口正面の「あいさつ」が書かれたパネルの右下には、グダンスク第2次世界大戦博物館の「ヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展」の会場の様子を写した写真があります。

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たくさんの人たちが訪れ熱心に見ている様子がわかります。

原爆資料館細田益啓副館長にお聞きしたところ、「ロシアによるウクライナ侵略、そしてプーチン大統領の『核使用発言』の影響もあったのではと思いますが、非常に関心は高く,入場者も多かった」とのことです。

第2次世界大戦勃発の地ポーランド・グダンスクと第2次世界大戦で最大の悲劇・原爆が投下された広島を結ぶこの「戦いと痛みー第2次世界大戦中のポーランド国民 グダンスク第2次世界大戦戦争博物館巡回展」もまさに時宜を得た企画だと思いますので、是非多くの広島市民に見に行って欲しい展覧会です。

いのちとうとし

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