なぜ非公開?そして見直しの理由は?
最近、広島市教育委員会が広島県教育委員会教育長宛に発出した「埋蔵文化財の取扱いについて(依頼)」と表題がつけられた文書のコピーを入手しました。発出者は、広島市教育委員会となっていますが、一番下部に記載された「お問い合わせ先」は、広島市市民局文化スポーツ部文化振興課文化財担当となっていますので、実際の文書作成は、市民局文化振興課が行ったことがわかります。
この文書の中程に、この文書が発出されることになった経緯が次のように書かれています。
「この度本市では、明治期以降の軍都広島の歴史を伝える主要な軍関係の機関・施設等の遺跡について、その歴史的価値を鑑み埋蔵文化財として取り扱うこととしてその運用を見直しを行いました。」
そしてその後に「明治期以降の主要な軍関係の機関・施設等の遺跡が比較的良好に残存している可能性があり」として、「計画立案の段階での速やかな事前協議の撤退して欲しい」としています。
新たに明治期以降の軍関係施設を歴史的価値として取り扱うことになったことに反対するものではありませんが、旧陸軍輜重隊後の遺構を「価値がない」と壊してしまった広島市が、なぜ「埋蔵文化財取扱いの運用の見直し」をすることになったのか,その理由が知りたくなり、経緯を調べてみました。
この文書の発出日は「令和4年7月29日」(原文のまま)となっていますので、「運用の見直し」が行われたのは、それ以前になります。
そこで、広島市のホームページから「広島市文化財審議会」の開催状況を見ると、これに該当するのは,令和4年(2022年)3月22日に開催された令和3年度第1回の審議会です。
当日の議題は5項目ですが、その5番目に「埋蔵文化財として取り扱う近現代に属する遺跡の範囲について」があります。今回の見直しは、この審議会で承認されたと思われますので、付されている「議事要旨」を見ることにしました。「議事要旨」は、会議録です。
「議事要旨」を開いて、びっくりしました。この「埋蔵文化財として取り扱う近現代に属する遺跡の範囲について」の議題は、非公開となっていますので、議事録や提出された資料を見ることができません。これでは「広島市がなぜこのような見直しを行ったのか」の理由を知るすべがありません。
議題から見て、個人情報等が含まれていることは考えられませんので、この議題をなぜ非公開にしなければならなかったのか不思議です。
実は、当日の4番目の議題は「切り取りを行った旧陸軍施設遺構の活用について」ですが、この議題も非公開となっています。ここで言う「旧陸軍施設遺構」は、サッカースタジアム予定地から発掘された「旧陸軍輜重隊」のことだと思われます。この遺構のことは周知の事実であり、しかも広島市は私たちに対し,正式ではないとしながらも「設置場所は、ファミリープールの周辺に」という考え方を示していますので、なおさら非公開にする意味がわかりません。
元々広島市文化財審議会は、その審議会の議題に一つでも非公開の議題があれば、すべてが非公開で開催され、しかも会議録も全く公開されずに運営されてきましたので、数年前に私がその問題点を指摘し、改善はされました。
しかし、今回は不可解な問題がありますので、2月9日に上記文書に書かれた問い合わせ先の文化振興課に「①見直しとなった理由②2つの議題がなぜ非公開になったのか」を明らかにするように問い合わせのメールを送りました。
「回答には少し時間がかかる」と言うことですのでしばらく待つしかありません。「どんな回答が寄せられるか」待っているところです。
広島市からの回答が届けば、紹介したいと思います。
いのちとうとし
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