「広島ブログ」

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2023年2月

2023年2月28日 (火)

2023.2月のブルーベリー農園その2

ブルーベリー農園の周囲をなわばりにしているキジの雄がしきりに鳴き、ばたばたっと羽をたたく音が聞こえる。元気そうだ。25日の農園の天気は、3時過ぎか雪が少し降った後で小雨に変わった。だから寒く気温は5度くらいだった。まだ冬用の作業着で身を包んで農作業をした。ところで安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園には車で行きは1時間10分くらいだが、帰りは国道2号線の八本松から瀬野の間が混んで1時間20~30分かかる。この国道2号線の八本松から海田町までのバイパスが3月19日にようやっと開通することが告知されている。特に農園から帰るのが早くなるので体の負担が軽くなるのを期待している。

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 2月23日(木)

農園の近くにある柿の木。道沿いにあるこの木は古木で古い墓のそばに1本だけ立っている。鳥が食べつくせなかった実が黒く皺んで落ちずに残っている。

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先週来た時には咲いていなかったオオイヌノフグリ。まだまばら。

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2月25日(土)

①ブルーベリーの剪定は3段あるブルーベリー畑の一番上が終了したが、枝の片づけが残っているので剪定と並行して野焼きする場所まで運ぶ作業を続ける。

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②剪定の作業は2段目に移っている。この畑は1列で32本ある。今日は午後から始めて1列を剪定した。

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③手首くらいの太さのブルーベリーの枝を切る。昨年の剪定ではコードレスの剪定はさみを購入したが、今冬剪定の作業のためにコードレスの短めのチェンソーを買いそろえた。太い枝をたくさん切るので体の負担が少なくなる。使うとき押し付けるのではなく押しながら少し引っ張るように使うとうまい具合に切れる。

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④庭の小屋のそばの寒々としたナンテン穂先。ナンテンの赤い実は鳥に食べられきれいになくなった。

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⑤庭のシデコブシの蕾。4時前小雨が降ってきた。

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2月26日(日)

2月の朝の光に映えるのは酒蔵の冬の仕込みの風景。もう安芸区に一つしかなくなった酒蔵「本州一」の煙突の煙と、炊きあがった酒米の湯気。去年の晩秋から今年の晩冬まで続く営みが、いまどきの言葉でいう「可視化」されている。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

【編集者】遊川さんの「ブルーベリー農園便り」は、来月から8日、15日、23日、月末にお届けします。

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2023年2月27日 (月)

「改憲発議反対・軍備増強を許さない」中国ブロック集会

そうがかり行動山口実行委員会と中国ブロック平和フォーラムが主催する「改憲発議反対・軍備増強を許さない中国ブロック集会」が、昨日午後1時から,山口市民会館で400名が参加し開催されました。

地元山口のそうがかり行動実行委員会増本事務局長の司会で始まった集会は、主催者を代表あいさつの後、本集会のメインであるジャーナリスト志葉玲(しばれい)さんが、「ウクライナ危機から問う日本と世界の平和 改憲・大軍拡を許さない!」と題して講演。

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志葉さんの話は、「ウクライナ戦争が始まっていた2度目の取材を終え、ウクライナから先日帰国したばかりだ」と言う紹介からスタート。「日本のメディア、評論家等の解説では『NATOの東方拡大が原因』だと説明している人もいるが、ウクライナの人々は『プーチンの個人な的野望』から始まったと言っている」と、現地を訪れて感じたことが話されました。特に、2022年4月に訪れたブチャデの虐殺については「最低限のルールすらロシアは守っていない」と厳しく批判するとともに、「停戦をという声があるが、こうした事実からウクライナでは簡単に停戦できないという気持ちになっている」と現在の状況を説明。「即時の停戦が必要」と考えている私の思いとはやや違うなという感じの話でした。

ブチャの様子は、今年2月の訪問で直接市民から取材した状況も報告されました。また現在の激戦地であるウクライナ東部のクラマトルスク訪問時には「12日から16日まで滞在したが、毎日警報が鳴り続き、滞在中に市内の病院の敷地内にロケット弾が着弾した。この病院は、以前にも攻撃されすでに使えなくなっていた。」など、激しいロシア軍の攻撃の中で、住民や民間施設が被害を受けていることが紹介されました。

さらに「ロシアのウクライナへの侵攻は国連憲章違反で、市民や民間施設に対する攻撃は国際人道法違反。決して許されることではない。しかし、それを非難するアメリカもイラク戦争で全く同じことしている。また米国が支援するイスラエルも国際人道法違反を繰り返している。米国も深く反省し、外交・防衛政策の見直しが必要だ」と訴えました。中東にも何度も取材をされている志葉さんならではの発言です。

最後の提言として「日本国憲法の前文には『われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉をある地位を占めたいと思う』とある。憲法9条を守るだけでなく,戦争自体が世界からなくなるために、憲法の理念を活かした行動をしていくべきだ」と呼びかけ、講演は終わりました。

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最後に中央のそうがかり行動藤本康成代表委員が、今後の行動提起として「最も大切ないのちが奪われている今、ウクライナでの即時停戦を求めます。5月3日に開催される憲法を守る中央集会では、5月に開催されるG7サミットで『停戦を呼びかけることを求める』アピールを出すことにしています。日本が戦争をせずにきたのは憲法9条があったからです。憲法9条の改悪の発議を絶対にさせない運動を強化しましょう」と呼びかけました。

広島からは、この集会に千人委員会などから約30名が参加をしました。

いのちとうとし

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2023年2月26日 (日)

2023.2月のブルーベリー農園その1

東広島市豊栄町でブルーベリーの栽培をしているが、安芸区の自宅から週末農業で2000年から車で通い続けている。夏に実ったブルーベリーの大半は安芸の郷に納品している。安芸の郷では事業所の森の工房みみずく、さくらで加工、販売を続けていて、今の季節は冷凍保存した実を1キロ単位で販売している。昨年が豊作だったので冷凍のストックもしっかりある。2月下旬の農園は、1月に比べて日差しが明るく、山も畑も田んぼも雪は解けて木々は芽が膨らんできており淡い色合いの風景が広がっている。

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2月18日(土)

①17日から18日にかけて小雨が続き、午後に農園についた時にも小雨だったが、昼ご飯のあとには上がっていた。

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②3段あるブルーベリー畑の一番下の水路が泥で詰まっているので取り除く。イノシシの仕業かもしれない。

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③ブルーベリー畑の下の休耕田の水たまりでカラスが1羽水浴びをしている。

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④今日は剪定はしないので、一番上のブルーベリー畑で剪定した枝を野焼きする場所に移動させる。

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⑤今年の剪定の方針は古くなった太い枝を1株で最低1本切ることにしているので、太い枝がたくさんたまった。

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同じ日の農園の周囲の様子

①梅のつぼみ。開花はもう少し先。

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②ちらほらとホトケノザの葉が伸び、先っちょに今年の初花がのぞく。

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③エビネの葉は積もった雪に抑えられてべたっと地面にくっついている。

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2月21日(火)

JR海田市駅構内の早咲きのサクラが咲きだした。まだ3分咲きか。名前は不明(カワズサクラにみえるが・・・)

 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

【編集者】遊川さんの「ブルーベリー農園便り」が、2ヶ月ぶりに届きました。報告していなかったのですが、遊川さんは年末に自転車に乗っていて事故に遭い,その治療が長く続いていました。2月18日は、ようやく動けるようになり、自分で車を運転して農園に行けたそうです。また今までのように「ブルーベリー農園便り」が届くと思います。

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2023年2月25日 (土)

設置から11年で変貌した原子力規制委員会

3月11日が来ると、福島原発事故から12年となります。事故の反省から、原子力規制行政は変化をしました。その一番の大きなものは、福島原発事故の翌年9月12日に原子力規制委員会が発足し、13年7月8日に「新規制基準」が施行されたことだと思います。

福島原発事故前の原子力行政は、原発の推進側と、それを規制する側の組織が同じ経済産業省の中に存在するという、「なれあい体質」の中にありました。この体制を直すために、原子力規制委員会設置法が12年6月に参議院本会議で可決・成立したのです。

原子力規制委員会の仕事は、改正された原子炉等規制法に基づいて①シビアアクシデント(過酷事故)対策を義務化する②最新の知見を新基準として、既設の原発に対しても適合を義務化する③電気事業法の規制下にあった運転段階における規制を原子炉等規制法に移す④40年運転制限制を導入すること、などが決められたのです。

原子力規制委員会は内閣からの独立性を高めるために、国家行政組織法第3条が定める「3条委員会」として位置づけられ、これまでの「なれあい体質」から独立性を強く打ち出したのです。

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また運転基準よりも厳しいとされる「30項目の対策」を織り込んだ、「新規制基準」が作成されました。

原子力規制委員会の初代委員長になった田中俊一さんは、「新規制基準に合格したからと言ってその原発が安全だとは言えない。我われは新規制基準に適合しているか否かを審査しているだけだ」と発言しています。これは間接的に新規制基準では不足があることを指摘していると思われました。

新規制基準で不足していること、たくさん在りますが私が指摘したいのは、事故時における避難の体制が無いことと、無いために避難対策を審査する機関がないことです。

米国原子力規制委員会(NRC)は、避難体制についても規制・審査対象にしています。ニューヨーク州のロングアイランドという岬にあるショアハム原発を、避難計画が不備として運転を許可しませんでした。

日本の避難体制は各自治体が決めることになっており、原発を持っている自治体にはとても大きな負担になっています。

そして「40年運転ルール」は、これも福島原発事故からの大きな教訓でした。しかしこのルールが、岸田文雄首相の「ひと声」でいとも簡単に破棄されようとしています。原子力規制委員会の委員の中でも、「40年運転ルール」が現実的に撤廃されることに委員の一人が反対を主張されましたが、多数決という強引な手段で撤廃が決められてしまいました。

福島原発事故の体験から、あれだけ苦労して国民的な議論をして決めた40年ルール、これを後退させることは許せません。

山中伸介原子力規制委員長の「運転延長について規制委は意見を述べる事がらではない。それは政治が決めること」という発言、これは責任放棄の最たるものではないでしょうか。新規制基準は原則40年を決めているのですから。

もし40年ルールを撤廃するというのなら、40年という決まりで再稼働を容認した島根県は、あらためて再稼働の是非を判断することを求めるべきです。それぐらいが言えなくて、県民の代表者といえるのでしょうか。

木原省治

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2023年2月24日 (金)

ウクライナに平和を 大軍拡大増税NO―市民集会開催

ロシアによるウクライナへの軍事侵略が始まって今日で一年となります。

戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマそうがかり行動実行委員会(以下「ヒロシマそうがかり行動」)が主催する「ウクライナに平和を 大軍拡大増税NO」市民集会が、昨日午後1時半から原爆ドーム前で開催されました。

ヒロシマそうがかり行動世話人冨樫恵さんの司会で集会は始まりました。開会のあいさつは、共同代表の石口俊一弁護士です。

最初のスピーカーは、一年前ウクライナへの軍事侵攻時いち早く原爆ドーム前での集会を呼びかけたハチドリ舎の安彦恵里香(あびこ・えりか)さんです。

続いて安保法制違憲広島訴訟事務局長の松岡幸輝弁護士が、安保違憲訴訟の現状を報告。3人目のスピーカーは、保育士の関田(せきた)京子さん。関田さんは、保育現場の状況を話しながら、真の子育て支援は何かを訴えました。各人の話を詳しく紹介したいのですが、前で横断幕を持っていたため、メモをとることが出来ませんでしたので、名前だけの紹介です。

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3人のスピーチの後、2月21日明らかとなった「瀬戸内海での日米共同軍事訓練」の中止を求める声明を、ヒロシマそうがかり行動世話人の藤元康之さんが読み上げ提案し、全員の拍手で確認されました。声明の一部です。

「岸田首相は広島市を選挙区とし、核兵器なき世界をめざすと言いながら、その言葉とは裏腹に、歴代自民党政権が踏み込まなかった軍事費(防衛費)の2倍増や敵基地攻撃能力(反撃能力)保有など、憲法9条に反する大軍拡を推し進めようとしている。沖縄など南西諸島では、自衛隊による「要塞化」が進められ、『台湾有事』があおられる中で日米共同軍事訓練が行われて住民の不安が高まっているが、それと同様の軍事訓練が、ついに広島湾で行われようとしている。

  広島湾は、広島と四国や島々の間をフェリーや漁船などが行き交う生活の海であり、また自動車や様々な生活物資の輸出入の貨物船などが出入りする海でもあり、大型軍艦2隻がLCACを行き来させることは危険このうえない。2014年におおすみが釣り船と衝突し死亡事故を起こしたのも記憶に残っており、県民の不安は高まるばかりである。

ウクライナへのロシア侵攻により、世界の軍事緊張は高まり、核戦争がいつ起こるかもしれない危機の中、その緊張をさらに高める日米共同軍事訓練を、それも広島湾で行うことは平和への道に逆行するものである。

岸田首相はじめ防衛当局に、ヒロシマの地から抗議し、訓練中止を強く要求する。」

最後に、私が次のようなまとめのあいさつをし、30分の予定が少し長くなりましたが、集会は終了しました。

私は、次のことを訴えました。「①ロシア・ウクライナは、直ちに停戦せよ。それがウクライナに平和をつくる第一歩。いかなる戦争も否定する.それがヒロシマの心。②新しい戦前が始まったと言われる。戦前は軍部の暴走によって誤った戦争への道を進んだと言われているが、今は内閣の暴走によって戦争への道を突き進んでいる。この暴走を止めるのは、国会の役割。しかし、今国会がその役割を果たしているとはとてもいえない。軍事力の強化では平和を作ることはできない。再び過ちを繰り返さないためには、主権者である私たちが、声を上げ続けよう」

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原爆ドーム前での集会を終えた参加者350人は、「ウクライナに平和を 戦争は今すぐ止めろ、核兵器を使うな、大軍拡はいやだ、大増税もいやだ、憲法9条を守れ、憲法改悪反対」などのシュプレヒコールをしながら、八丁堀の岸田文雄事務所をめざしてデモ行進を行い,現地で流れ解散となりました。

いのちとうとし

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2023年2月23日 (木)

広島市の平和ノート「はだしのゲン問題」で広島県被団協箕牧理事長が申し入れ

広島市が作成する「ヒロシマ平和ノート」が次年度の改訂で「はだしのゲン」が削除される問題について、広島県被団協の箕牧智之理事長と前田耕一郎事務局長が、広島市教育委員会を訪れ、下記の内容の申し入れを行いました。私も箕牧理事長にお願いし、同行しました。

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(前文省略)

1 まずお伺いします。

・「はだしのゲン」を「平和教育ノート」から削除するに当たって、これほどの反応がある重いものであることを想定されなかったのでしょうか。

広島市は、中沢さんの作品・活動を評価して名誉市民とし、また、一連の中沢作品の原画の寄贈を受けて、貴重なものとして平和記念資料館で管理していると我々は認識しています。

その中沢さんの作品の扱いについてより慎重な判断があってしかるべきではなかったかと思いますがいかがでしょうか。

(2) 新聞報道によって経緯を見ると次のとおりです。

識者や学校長たち13人の会議でプログラム全体の内容を検証。うちゲンの場面(1)(2)について「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との意見が出た。作中の別場面を引用する案も出たが、「漫画の一部を取り上げるだけでは、被爆の実態に迫りにくい」として、場面(3)も載せず、(被爆者の体験談に)差し替えることにした。」217日中国新聞。( )部分と下線は被団協で挿入)

別場面の引用をせず差し替えることにしたとの結論に至る過程で、どれほどの検討がなされたのでしょう。会議録や決裁過程を示して議論の経緯と内容を教えてください。私たちは「はだしのゲン」には様々なエピソードがあり、切り口を変えることによって「はだしのゲン」を残す対応ができたのではないかと考えています。削除せず今回予定の体験記を加える方法もあったのではないかとも思います。どうでしょうか。

2 次に、外すことについての市側の対応についてです。

先にも触れたとおり広島市は中沢さんから作品原画の寄贈を受けて管理しており、広島市は事前に遺族の了解を得て原画を無償で利用できるようになっていると承知しています。

平和教育ノートに原画を使用するに当たって、広島市は遺族に了解を得たのでしょうが、使わなくなることについて報告したのでしょうか。

削除を決めたのであれば遺族に経緯の説明と感謝の意を込めて連絡するべきだったのではないでしょうか。それが無償で掲載を承諾している遺族への礼儀だと思いますがいかがでしょうか。

3 もうひとつ重要なことがあります。

ご承知のとおり原爆の使用がもたらす結果は酷いものです。多くの人が一時に死に、傷つき、後々まで苦しみます。そして、戦争も多くの酷い死をもたらします。

私たちはその酷さを子どもたちにしっかり認識して欲しいと思っています。そのことによって原爆・戦争はいけないとの考えを身につけることができると考えるからです

その点において私たちは「はだしのゲン」の果たしている役割を高く評価しています。

広島の子供たちには私たち原爆で被害を受けた者たちが肌身で感じた悲惨さ、酷さを知った上で「平和」を口にし、訴えて欲しいと思っています。

教育は本当に大切なものです。かつて我が国は、国民を、そして子供たちを戦争に協力させ渦中に巻き込んでいきました。その反省から現在の憲法があり、それに基づいた教育があります。過ちを繰り返さないため、「平和」についての根本を子供たちに理解させるよう力を尽くして頂きたい。それを心から願っています。

核、力による支配の脅威が大きくなっている今、広島の平和教育の重要性はますます高まっていると感じています。このことに心を致しながら教育を進められるよう強く念じ、申し入れます。


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これに対し、広島市は「子どもたちにわかりやすい内容にしたいと思いで改正を検討したものであり、『はだしのゲン』を意図的に削除したものではない。高校生が使う『平和ノート』には、中沢啓治さんのことがそのまま残っている。今回の改正では、この部分だけでなく,他にもかなりの修正を行った」などの説明がありました。しかし、十分に納得のできる内容とはいえません。

また「これほどの問題になるとは思わなかった」との認識を示しましたが、これは「はだしのゲン」に対する認識の低さを示したものといえます。さらに「はだしのゲン」の著者中沢啓治さんの遺族に、未だ全く説明していないことも明らかになりました。頭をひねる広島市の対応といわざるを得ません。

広島市は、「この問題を審議した会議の議事録は、情報公開請求があれば公開する」としています。本来なら情報公開請求をしなくても,自らが情報を公開すべきだと思いますが、会議の内容を吟味する必要があると感じました。

いのちとうとし

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2023年2月22日 (水)

府中地区の2月の「19日行動」

府中地区は、今月も、上下Aコープ前,府中天満屋前の2カ所で「19日行動」を行いました。上下は、午後3時から10人が参加、府中天満屋前は午後4時半から11人が参加しました。

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上下地区

今回もリレートークとスタンディングでアピール行動を行いましたが、今日はリレートークの内容を紹介します。

Aさん 

2月24日は一年前にロシアがウクライナに軍事侵攻した日です。1年たちますが戦争はおさまるどころか、アメリカやEC諸国はあらたに戦車をウクライナに提供するなど戦争はさらにひどくなりそうです。一方、日本では岸田首相は台湾の蔡英文(さい・えいぶん)総統が「戦争はしない」といっているにもかかわらず、「台湾有事」をあおりたて「軍事費を現在の2倍にする。そのために消費税を引き上げる」と言っています。しかし世論調査では「防衛増税不支持は67%」となっています。軍備拡大は許せません。

Bさん

LGBTの問題でも岸田首相は「認めたら社会が変わる」と言っています。多様性や多文化を認めない政治も安保法制の問題とかかわっています。岸田首相のやり方は他かの意見を聞かず、独善的で閉鎖的で許されません。

Cさん 

2月13日に原子力規制員会は、原則40年と言う原子炉の運転期間の規定を削除して60年に延長する改定案が多数決で了承しました。5人のうち一人が「科学的、技術的知見に基づくものではない」と反対し、賛成した2人の委員からは「外から定められた締め切りを守らなくてはいけないということで議論をせかされた」「こういう形で決めなくてはいけないことに違和感を覚える」と議論の進め方に意見が出されています。これでは戦前の言論統制で、大本営発表です。こんな政権を許してはいけません。

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府中地区

Dさん 

国民の気持ちと岸田首相とは違っています。例えばトルコとシリアでの地震の死亡者は4万6千人と報道されています。東日本大震災の死亡者は2万2千人ですから、2倍の人が亡くなっています。

多くの日本人は「日本はトルコと仲良くして国民同士が観光で行ったり来たりしたらいい。そうすりゃ戦争もおきん。昔から日本とトルコは仲が良かった。日本の地震のときも支援してくれている」。

トルコと日本の友好関係は、1890年の和歌山県串本町沖でのトルコ船の遭難で村人が懸命な救助を行ったことからはじまっています。「海難1890」という映画にもなっています。また、1985年216名の日本人がイランのテヘラン空港へ取り残された時、トルコは自国の国民を優先せず日本人をトルコ航空で救出しています。このときトルコ政府は1890年の遭難事故の借りを返しただけと言っています。

こうした歴史を知っているから日本の人々はトルコ・シリア救援カンパに積極的に応じています。国民のこうした行動からも岸田首相はすべての困っている国の救援活動、国際貢献に力を入れるべきです。すべての国と仲良くすることが日本の防衛につながります。軍事で絶対に平和を守ることはできません。トルコとの友好関係がそのことを教えています。岸田首相は国民の気持ちに沿った政治を行うべきです。

 

終了後、3月10日(金)に山口地裁岩国支部で開かれる祝島裁判の傍聴・支援バスが尾道から出ることと、2月25日(土)午後2時から尾道市人権文化センターで第3回憲法学習会を開催する案内があり参加要請がありました。

小川敏男

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2023年2月21日 (火)

三原の「2・18行動」

2月18日(土)、小雨が降る中、1330分から三原駅前において22人が参加して定例の街宣活動を行いました。

街頭では24日でロシアによるウクライナ侵攻から1年を迎える中、敵基地攻撃能力の保有や防衛費の倍増などを盛り込んだ「安保関連3文書」の閣議決定や台湾有事、沖縄南西諸島へのミサイル基地の配備計画など日本の安全保障政策の大転換をはかり、戦争できる国へと突き進む岸田政権に対して、6人の弁士が「軍拡よりも平和を!」と口々に訴えました。

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 リレートークで齋尾和望さんは、①ウクライナの問題、台湾有事の問題、北朝鮮の動向などとんでもない軍拡が進んでいる。国会も通さずに何でもかんでも閣議決定、数の横暴が続いている。あまりにも国民に説明されていない。しかし、国民はこれを認めようとしている。こうしたことが心配である。市民・良民は政治家にだまされやすい。これが現実のものになっているような気がする。②軍拡の中で課題になっている2000億円以上かかるトマホークをアメリカの言うとおりに購入する。時速900㎞で飛ぶようですが飛んでくる仮想敵国からの時速は24000㎞飛ぶので話にはならない。そんなものでは日本は守れない。いよいよ戦前が始まったのではないかという声が新聞やテレビなどで報じられている。このまま軍拡が進んでしまうと意に反して間違いが起こりやすい。戦争になりかねない。こうしたことを私たちは危惧している。③「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた憲法9条。私たちは大変な犠牲を出した。その中で勝ち取った憲法です。押し付けられた憲法ではありません。憲法9条の精神はあくまでも話し合う。話し合いによって紛争を解決する。今朝の中国新聞の衆院議長や外相を務めてこられた河野洋平さんの記事のように、「憲法の精神は話し合いだ。そういうことを訴える人がいなくなった。戦争体験者が政治家の中でだんだんいなくなった」と憂いでいた。話し合いをしよう。話し合いをした動きがどこにあるのかが見えてこない。そういうことを皆さんと共有したい。と訴えました。

 先月の街頭行動は、JR駅員・警察署員による街宣活動への妨害がありましたが、弁護士を介してJRと協議を継続しているということもあり、当日は駅員からのあいさつはありましたが混乱なく街頭行動を終了することができました。

藤本講治

【編集者】藤本さん、雨の中ご苦労様でした。三原の「19日行動」は、冬期は19日に最も近い土曜日に実施されましすので今月は18日(土)に実施されましたので「2.18行動」となっています。府中からも報告が届いていますが、府中の「19日行動」は、明日紹介します。

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2023年2月20日 (月)

ベトナムの歴史(その21) 抗仏闘争-3の5

以前と大きく異なった抗仏・抗日闘争

前号まで日本軍の仏印進駐について見てきました。今号はその日本軍進駐期におけるベトナム解放(抗仏・抗日)闘争について見てゆきたいと思います。昨年10月20日の「ベトナムの歴史」(その16)で、100年余にわたるフランス植民地支配に抗する戦いを大きく3つに分け紹介しました。その「第3期、第二次世界大戦中の日本軍侵攻による『二重の軛』といわれる期間を含む1945年までの間」の解放闘争です。

1847年のフランス軍ダナン攻撃以来の抗仏闘争とこの間の戦いは、それまでの闘争と大きく2つの点で異なっています。一点目は、それまでのフランス植民地支配に対する戦いから、日本の侵略に対する戦いが加わった「抗仏・抗日闘争」です。二点目は戦いの質と量が大きく異なっています。すなわち、それ以前の阮王朝の官吏や軍人による勤王攘夷運動から民族の独立解放をハッキリと目指したこと。そして、労働者や農民、少数民族を蔑視した狭く孤立分散した勤王運動から、労働者・農民・商工業者、少数民族まで包含した幅広い戦線が作られてきたことです。

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ベトナムの原風景で川下り!秘境!ヴァンロン自然保護区 本文とは関係ありません。 (YahooJapanより)

ベトナム独立同盟会(ベトミン)の活躍

 その推進者はホー・チ・ミンに指導されたベトナム独立同盟会(ベトミン)です。日本軍がベトナム北部に侵攻した翌年、1941年5月19日に結成されます。日本軍の南部侵攻2ヶ月前です。幾つもの村々でベトミンは日本軍が強制買い上げ(徴発)した米を運ぶ運搬船を襲撃したり、日本軍の村襲撃を多大な犠牲を払いながらも撃退します。そうした戦いを通してベトミンは知識人や宗教家を含む広範な影響力と政治基盤を持つ政治勢力に成長し、正規軍・地方軍・民兵組織を中央から身近な村段階までつくりあげます。

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日本軍のための米運搬船を襲撃したベトミン (岩波ブックレット 証言 昭和史の断面『ベトナムの日本軍』より)

1944年2月15日付けのインドシナ共産党の機関誌『解放の旗』第3号から引用した一節を紹介します。「現在のインドシナにおいて、日本の災禍は、種族、宗教、階級の別なく自由主義的・進歩的傾向を持つすべての人々の上にふりかかってきている。インドシナの土地で生活する外国人で日本侵略者の血の滴る手から抜け出ることを欲するものは誰でも、インドシナ人民とともに次の主要スローガンを掲げてインドシナ抗日民主統一戦線をただちに構築しなければならない。スローガンは、――平等・互助、――ベトナム独立である。」

 独立を果たした「8月革命」

日本は泥沼化した中国戦線、サイパン、グアム島など南方諸島での全滅、ビルマやフィリピンとすべての戦線での敗北が続きます。そうした1945年3月9日、日本軍はベトナムの単独支配権を手にするためフランス軍基地を襲撃し、ベトナムから放逐します。前号まで数回にわたり報告した「200万人餓死」の最中、敗北避けがたい戦況のもと断末魔のあがきとしてこの作戦(明号作戦)が強行されます。

その5ヶ月後、日本は無条件降伏します。

1945年8月15日に日本が降伏すると、ホー・チ・ミン(当時はグェン・アイ・クォックと名乗っていた)は翌8月16日に全国一斉蜂起(8月革命)を呼びかけました。その結びの一節を紹介します。「親愛なる同胞諸君! わが民族の運命を決するときがやってきた。立ち上がれ、全国の同胞よ、我々の力をもって自らを解放しよう。全世界の多くの被抑圧民族が、いま独立をかちとろうと競って前進している。我々はこれに遅れをとってはならない。前進! 前進! 同胞諸君、ベトミンの旗の下に勇敢に前進しよう」と。

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1945年9月2日、ホーチミン国家主席はバーディン広場で独立宣言を読み上げ、ベトナム社会主義共和国の前身であるベトナム民主共和国の誕生を告げた。(「ベトナムの声放送(VOV5)」より

そして、早くも9月2日にはベトナム民主共和国の臨時政府を組織し、「独立宣言」を発します。

しかし、日本軍に放逐されたフランス軍が再びベトナムに侵攻し、「ベトナム民主共和国」との新たな戦いが始まります。第一次インドシナ戦争と呼ばれる抗仏戦争です。

次号は1954年にディエンビエンフーでフランス軍を破るまでの戦いについて紹介します。

(2023年2月20日、あかたつ)

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2023年2月19日 (日)

全国被爆二世団体連絡協議会が「全国被爆二世交流会」を開催

全国被爆二世団体連絡協議会(以下「全国被爆二世協」という)は、昨日、今日の2日間、広島市の原爆資料館地下会議室で「全国被爆二世交流会」を開催しました。

全国被爆二世協は、総会と交流会を隔年で開催しており、今年は交流会の年です。

昨日午後2時から始まった交流会は、全国被爆二世協の平野克博事務局長の司会で始まり、最初に崎山昇会長があいさつ。崎山会長は,「第5の被爆者として被爆者援護法の適用を求めてきたが、未だ実現していません。裁判に訴えてきましたが、12月の長崎地裁、2月の広島地裁の判決は、国の立場に立った判断をするという不当なものでした。ただ、遺伝的影響の可能性までは否定できませんでした。私たちの運動にとっての一歩になったと思います。控訴して闘いを続けるとともに、政治への働きかけをさらに強化していく」と決意を表明しました。

来賓のあいさつ(私も原水禁を代表してあいさつ)の後、二つの講演がありました。

最初の講演は、「長崎判決・広島判決をどうみるか」と題して、「被爆二世集団訴訟」の在間秀和弁護団長の話でした。

在間さんの講演は、2017年2月提訴以来の経緯と判決を紹介し、「原告の主張に対し被告国がどのような反論をしたのか」を詳しく説明するとともに、特に「黒い雨裁判」の広島高裁判決との違いを指摘し、ここが控訴審できちんと審理されなければならないと提起されました。

印象に残ったことは「被爆二世問題は、これまでの原爆訴訟とは、意義が違う。これまでの原爆訴訟は、地域的な横への広がりを求めてきたが、2世裁判は縦(子、孫へ)影響を認めさせる裁判で核兵器の非人道性を問うものである。核兵器の使用が現在の問題として存在する今、この裁判の意義がある。」と指摘し、さらに「裁判所は、遺伝的影響があるかどうかはわからないとし、援護の措置を行うかどうかは立法の問題だとして判断を回避したが、この裁判をマスコミが報道することによって,被爆二世問題が社会的に広まった」と被爆二世裁判の意義を強調されたことです。

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講演する崎山会長

二つ目の講演は、「将来世代を含む核被害者の人権確立と核廃絶をめざしてー国際的な取り組み」と題して崎山昇会長が、①国連人権理事会に対する取り組み②ウィーンでの核兵器禁止条約第1回締約国会議関連行事に対する取り組み③第10回NPT再検討会議代表団派遣」などの活動について,現地での具体的活動内容が紹介し、最後に今後の取り組みとして「国内的には被爆二世裁判を闘い、被爆二世への援護に道を拓くための取り組みを進めるとともに、国際社会においても被爆二世や将来世代を含む核被害者の人権確立と核兵器廃絶をめざす取り組みを継続することが重要だ」と訴え、講演が終了しました。

最後に二つの決議「原爆二世に対する被爆者援護法の適用を求める決議」(岸田首相、衆参議長宛)「核も戦争もない社会の実現を求める決議」(岸田首相、売電アメリカ大統領宛)を確認し1日目の日程は終了しました。

二日目の今日は、午前9時45分から「フクシマの現状と課題」と題して,被爆二世裁判を医学面から支援している振津かつみさん(兵庫医科大学)の、フクシマの現状について報告を聞き、その後各県の運動の交流を深めることになっています。

いのちとうとし

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2023年2月18日 (土)

原爆二世訴訟広島原告団控訴状を提出

 

被爆二世訴訟広島原告団は、2月7日の広島地裁判決の不当判決を受け、2月16日広島高裁に対し控訴状を郵送で提出しました。

全国被爆二世団体事務局長で被爆二世訴訟の事務局長でもある平野克博さんは、マスコミに対し控訴に至った理由を次のように発表しました。


2017年2月の提訴以来、私たちは原爆被爆二世への援護を求め広島・長崎地裁において集団訴訟を闘ってきました。

2022年12月12日の長崎地裁、2023年2月7日の広島地裁の判決では、いずれも「被爆二世への、親の受けた放射線の影響は否定できない」としつつも、被爆二世の援護につながるような内容はなく、大変怒りをおぼえるような不当な判決でした。原告の悲痛な思いは裁判所に届きませんでした。

「黒い雨高裁判決」を出した広島の地において、黒い雨判決を否定するような内容であったことは非常に残念でなりません。

長崎においては昨年12月23日に控訴しました。

広島地裁における判決も長崎以下の内容であり、判決後の原告団・訴訟団そして弁護団で協議した結果、広島でも控訴することといたしました。

2月16日に控訴状を郵送しました。

今後ともご支援をよろしくお願いします。


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広島地裁判決後の報告集会

今回の広島地裁判決に対しては、判決言い渡し後の報告集会で,弁護団、原告団すべてから、その内容を厳しく糾弾する意見が出されていましたので、控訴は当然のことといえます。裁判では、地裁判決を不服とし控訴する場合は、2週間以内と定められていますので、それまでに一審である広島地裁に届くようにと、早めの提出となったようです。控訴状の提出先は、一審の地裁ですが、訴状内の宛名は高裁名(今回は、広島高等裁判所)となります。

さらに控訴にあたっては、控訴理由書の提出が必要ですが、こちらは控訴の提起後50日以内に提出しなければならない旨が民事訴訟規則で規定されています。 ただ、控訴提起後50日以内の期限を破ると、控訴が却下されるという規定はありませんので、控訴状とは違い控訴理由書の提出期限が過ぎたというだけで控訴が却下・棄却されることはまずありません。

今回の被爆二世裁判の場合、控訴理由書の内容が重要な意味(もちろんどの裁判もそうですが、今回は特にという意味)を持ちますので、弁護団としても十分に検討した内容で提出することになると思います。

ちなみに長崎原告団の控訴理由書は、すでに50日を過ぎていますが、福岡高裁に対し,少し遅れるという連絡を入れ、現在原告団、弁護団、支援者によって控訴理由書の内容が検討進められています。ですから広島の控訴理由書の作成は,長崎の控訴理由書を参考にしながら進められることになると思います。

いのちとうとし

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2023年2月17日 (金)

ビッグひな展示―フジグラン広島

2月に入りましたので、元日からわが家の玄関に飾っていた「ウサギの絵馬」を「三次の土人形・天神さん」に変えました。再び寒さが戻っていますが、玄関だけは春が近づいたような気がします。

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最近、全国各地でたくさんのおひな様を集めて飾る「ビッグひな飾り」の様子が、ニュースとなっています。昨日、近くのフジグランに買い物に行ったとき、玄関に「2階でビッグひな展示をしている」というビラが貼ってありましたので,エスカレーターで2階に上がりました。2階につくとすぐに、大きなひな壇が目に入りました。

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会場の説明板には次のように書かれています。

「この企画は、徳島県阿波勝浦の春を告げる恒例のイベント『元祖ビッグひな祭り』よりヒントを得て開催を始めました。

『元祖ビッグひな祭り』は、全国から集まったひな人形を飾るお祭りで、会場には高さ8m,幅15m25段の雛壇を4面にピラミッド型に組んだ特大の雛壇がそびえ立ちます。

フジグラン広島の今年のひな壇の大きさは、縦5.4m横2.7m高さ1m35cmです。」

徳島県勝浦郡勝浦の『ビッグひな祭り』は1988年から始まり、35回目を迎える今年は2月25日から3月1日まで開催されるようです。

「ビッグひな祭り」の特徴は,全国各地のひな飾りは、正面だけに一方向を向いていますが、ひな壇がピラミッド状になっていることです。これまでにも府中市上下町や福山市鞆のひな祭りを見に行ったことがありますが、4方向(短い面は長い面の半分しかありませんが)にピラミッド状に飾られているひな壇は、初めて見ました。

勝浦の「ビッグひな祭り」とは、比較できませんが、フジグラン広島の「ビッグひな飾り」も初めて見るものはあっと驚かされる飾り付けです。

この「ビックひな飾り」を見て、わが家にも大内塗のひな人形があったことを思いだし、帰宅後、すぐに部屋に飾りました。

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何年ぶりかの登場です。

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ところでわが家のひな人形は、飾らないときにはこの二つの箱に入っています。二つの大内塗ひな人形は、同じ時期(40年以上前)に入手したものですが、箱書きの文字の並びが真逆になっています。作家のこだわりで、右側の小さい箱書きは,昔ながらの右から左への書き方になっています。今では珍しいかもしれません。

いのちとうとし

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2023年2月16日 (木)

G7広島サミットに対して岸田首相あてに申し入れ

 広島県原水禁は2月14日、秋葉忠利代表委員、大瀬敬昭事務局長が内閣府を訪れ、岸田文雄首相に対する「G7広島サミットへの申し入れ」を行いました。申し入れには仲介を頂いた原水禁国民会議の藤本泰成共同議長・谷雅志事務局長、立憲民主党・近藤昭一衆議院議員にも同席して頂きました。内閣府は、請願等調整担当官と専門職の二人が対応しました。

 今回の「申し入れ」は、1月27日の県原水禁総会で確認したもので、「核の先制不使用と『使用するとの脅迫はしない』ことをG7として宣言すること」を主に求めた要請です。

申し入れの全文は、「原水爆禁止広島県協議会第92回総会」開催: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)に掲載しています。

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申し入れ後に行われた記者会見で、秋葉代表委員は、申し入れの趣旨について次のように説明しました。

一つは、核抑止についてです。「この78年間、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在があったから。被爆体験、被爆の実相を伝え、核兵器を二度と使用してはならないということが世界に伝わってきたから」と被爆者の存在の大きさを指摘するとともに「核を持っていることが抑止力になったのではない。そういう強弁を通して許してしまうことは被爆者の存在を否定するに等しい。広島の地でG7のリーダーが存在を否定するような、非人間的・非論理的なことをしてはならない」ことを強調しました。

 二つめは、核兵器禁止条約の役割についてです。被爆者の高齢化が進んでいる中、「被爆者なき後、抑止力をどういう形で持ち続けるか? 法による支配と力による支配という対立項で考えると、当然法による支配になる。その選択肢しか人類は持っていない。そうすると、核兵器禁止条約にその根拠を求め、核廃絶を行っていくという道筋になる」ことを解説しました。

 三つめは、核兵器の先制不使用についてです。「現実的な対策としては、核保有国が核の先制不使用を宣言する。使うと脅すこともしないと世界に向かって約束する。それをG7の場で、しかも広島という地から行うことに意義がある。そうすることによって初めて、プーチン大統領の脅しを止めさせる説得力を他の核保有国が持つことになる」と、核兵器の先制不使用宣言の意義を強調しました。

この後記者から「カタカナヒロシマの意味は?」「核先制不使用の重要性をどう考えているか?」などの多数の質問がありました。さらにその後も原水禁本部に問い合わせがあるのなど、今回の申し入れに対する関心の高さを感じました。

 県原水禁としては、今回の申し入れをG7参加国の首脳宛てにも送付し、申し入れの内容が実現するよう引き続き取り組みを進めて行きます。

大瀬敬昭

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2023年2月15日 (水)

元気に育つかな?

雨が上がり少し日差しがあった昨日、「あの木はどうなっているのだろうか」と平和公園を訪れました。

「あの木」と言うには、昨年10月1日のブログ不思議な石碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)と10月28日のブログ「不思議な石碑」の顛末―その2: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した長崎から贈られた「ナンキンハゼ」のことです。

28日のブログで,広島市が「ナンキンハゼは、当初苗木を植えかえる計画をしていましたが、残った根の部分からひこばえが出ているのを見つけましたので、ひこばえを育てようと思っています。」と考えていることを紹介しました。

雪が積もる厳しい寒さがあったこの冬ですので、この「ナンキンハゼ」がどうなっているか少し気になったのです。

昨年訪れたときには、大きな葉をつけて元気にひこばえが育っていましたが、

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今回訪れると葉は全く見えません。近くに寄ると伸びたひこばえの幹も少し茶色になっています。

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ひこばえが大きく育っていることを期待していましたので、ちょっとがっかりです。

この状態を見ると,枯れたのではないか?本当に丈夫に育つのだろうか?と不安になります。

「でも、ハゼ科の木なら落葉してもおかしくない」「春になればまた葉が繁はずだ」と思い直し、期待を込めてその場を後にしました。

それでも気になりますので、帰宅後ナンキンハゼについて調べてみました。

やはりナンキンハゼは、秋に紅葉し、落葉する落葉広葉樹でした。昨年も11月頃にもう一度訪れておれば、ひこばえですのでまだ小さな木でしたが、立派に葉がついていましたので、ひょっとすると紅葉した様子を見ることができたかもしれません。

さらに耐寒性については「寒さには比較的強いですが、関東南部以南推奨です。」と書かれていますので、この冬の寒さによって枯れることはないようですので、安心しました。

もう少し暖かくなれば葉を出すと思われますし、成長速度は早い木のようですので、今年の春には、かなり成長した姿になるのではないかと思われます。

そのことを期待して、桜の花の咲く頃に改めてこの場所を訪れることにします。

いのちとうとし

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2023年2月14日 (火)

なぜ非公開?そして見直しの理由は?

最近、広島市教育委員会が広島県教育委員会教育長宛に発出した「埋蔵文化財の取扱いについて(依頼)」と表題がつけられた文書のコピーを入手しました。発出者は、広島市教育委員会となっていますが、一番下部に記載された「お問い合わせ先」は、広島市市民局文化スポーツ部文化振興課文化財担当となっていますので、実際の文書作成は、市民局文化振興課が行ったことがわかります。

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この文書の中程に、この文書が発出されることになった経緯が次のように書かれています。

「この度本市では、明治期以降の軍都広島の歴史を伝える主要な軍関係の機関・施設等の遺跡について、その歴史的価値を鑑み埋蔵文化財として取り扱うこととしてその運用を見直しを行いました。」

そしてその後に「明治期以降の主要な軍関係の機関・施設等の遺跡が比較的良好に残存している可能性があり」として、「計画立案の段階での速やかな事前協議の撤退して欲しい」としています。

新たに明治期以降の軍関係施設を歴史的価値として取り扱うことになったことに反対するものではありませんが、旧陸軍輜重隊後の遺構を「価値がない」と壊してしまった広島市が、なぜ「埋蔵文化財取扱いの運用の見直し」をすることになったのか,その理由が知りたくなり、経緯を調べてみました。

この文書の発出日は「令和4729日」(原文のまま)となっていますので、「運用の見直し」が行われたのは、それ以前になります。

そこで、広島市のホームページから「広島市文化財審議会」の開催状況を見ると、これに該当するのは,令和4年(2022年)3月22日に開催された令和3年度第1回の審議会です。

当日の議題は5項目ですが、その5番目に「埋蔵文化財として取り扱う近現代に属する遺跡の範囲について」があります。今回の見直しは、この審議会で承認されたと思われますので、付されている「議事要旨」を見ることにしました。「議事要旨」は、会議録です。

「議事要旨」を開いて、びっくりしました。この「埋蔵文化財として取り扱う近現代に属する遺跡の範囲について」の議題は、非公開となっていますので、議事録や提出された資料を見ることができません。これでは「広島市がなぜこのような見直しを行ったのか」の理由を知るすべがありません。

議題から見て、個人情報等が含まれていることは考えられませんので、この議題をなぜ非公開にしなければならなかったのか不思議です。

実は、当日の4番目の議題は「切り取りを行った旧陸軍施設遺構の活用について」ですが、この議題も非公開となっています。ここで言う「旧陸軍施設遺構」は、サッカースタジアム予定地から発掘された「旧陸軍輜重隊」のことだと思われます。この遺構のことは周知の事実であり、しかも広島市は私たちに対し,正式ではないとしながらも「設置場所は、ファミリープールの周辺に」という考え方を示していますので、なおさら非公開にする意味がわかりません。

元々広島市文化財審議会は、その審議会の議題に一つでも非公開の議題があれば、すべてが非公開で開催され、しかも会議録も全く公開されずに運営されてきましたので、数年前に私がその問題点を指摘し、改善はされました。

しかし、今回は不可解な問題がありますので、2月9日に上記文書に書かれた問い合わせ先の文化振興課に「①見直しとなった理由②2つの議題がなぜ非公開になったのか」を明らかにするように問い合わせのメールを送りました。

「回答には少し時間がかかる」と言うことですのでしばらく待つしかありません。「どんな回答が寄せられるか」待っているところです。

広島市からの回答が届けば、紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2023年2月13日 (月)

三篠小学校の被爆クスノキ

テレビ番組で「三滝寺散策マップ」が、三篠公民館に置かれていることが紹介されましたので、先日横川駅北口にある三篠公民館に行ってきました。「三滝寺散策マップ」は、「参道周辺編」「「境内編」の2部に分けて編集されています。

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カラー印刷で、私の知らない情報もたくさん盛り込まれています。このマップを手に三滝寺周辺を訪れてみたいと思います。

他にも何か資料はないかと「三滝寺散策マップ」が置かれていたコーナーで探していると「歩けば歴史が見えてくる昔めぐりマップ 御篠」という資料が目につきました。手にして中を見ると、三篠小学校に「被爆クスノキ」があることが紹介されています。三篠小学校は、三篠公民館とは道を挟んですぐ隣ですので、ここまで来たのだからとこの被爆クスノキを見に行くことにしました。

被爆クスノキは、校庭に植わっていますので、三篠公民館のある南側から見ることができますが、近くから見たいと思い、職員室を訪れ、教頭先生の了解を得て校庭に入らせていただきました。

校庭に入ると、大きく枝を広げ元気な姿の被爆クスノキが目に入ります。

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クスノキの根元に由来を書いた看板があります。少し字が薄くなっていますが、読んでみます。

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「爆心地から1,850m 三篠国民学校は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆により、木造校舎が倒壊し、その後の類焼により校舎は全焼しました。焼け跡には、鉄骨だけになった講堂の残骸が取り残されました。このクスノキは、三篠本町1丁目の日本電気計器検定所北側中田さん方で被爆したものです。道路の拡張工事のため、1954年(昭和29年)移植されました。(クスノキ保護工事 平成18年度三篠小学校PTA)」

この説明板で、別の場所で被爆したクスノキが、移植されたことがわかります。そして2006年(平成18年)の保護工事で作られたと思われるコンクリートによって根が保護されています。

このクスノキが被爆した「三篠本町1丁目の日本電気計器検定所」は、国道183号(可部街道・旧54号線)とJR山陽線が立体交差する場所の北東山陽線沿いにありましたが、現在は中広に移転しフジグランの店舗が建っています。三篠小学校からは、東に約330mぐらいの場所です。

ゆっくりと見終えて、教頭先生にあいさつするため再び職員室を訪れたとき、校舎の中に古い写真が飾られているのを見つけました。許可を得て、近くから見させていただきました。多くが、上空から移された学校写真です。古い写真では校舎などの配置は、現在と少し違っていますが、その中にかなり古い時期の被爆クスノキだとはっきりわかるものが一枚ありました。

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左下の青丸で囲ったのが、被爆クスノキです。この写真は、1968年(昭和43年)の初夏に写されてものです。現在のように枝はまだ広がっていませんが、ほぼ今と同じ場所にあります。

ところで、この三篠小学校には、40年ほど前には毎年何度も訪れていました。というのは、原水禁世界大会の分科会会場は,ほとんどが小・中学校の体育館や講堂を使っていました。私が原水禁大会の事務局を手伝うようになった1980年代前半から90年代前半にも学校を使用していました。貸していただけない学校も多くありましたが、三篠小学校は協力していただける学校の一つでしたので、その手続きのために毎年何度も訪れていたのです。しかし、当時は「被爆樹木」にほとんど関心がありませんでしたので、この被爆クスノキのことも全く知りませんでした。

今思うと・・・・。

帰宅後、広島市の「被爆樹木リスト」を検索すると、三篠小学校のある三篠1丁目には、後2カ所(三篠神社境内、光隆寺境内)に3本の被爆樹木があることがわかりました。もう一度三篠界隈を訪れたいと思います。

いのちとうとし

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2023年2月12日 (日)

「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」を開催

憲法を守る広島県民会議、広島県平和運動センター、広島県原水禁、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会の5団体が主催する「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」が、昨日(2月11日)午前10時から、広島弁護士会館で95人が参加し開催されました。

広島県平和運動センター大瀬事務局長の司会で始まった集会は、最初に檀上正光憲法を守る広島県民会議代表委員が,「建国記念の日」の由来に触れながら「新たな戦前を押し返す力をこの集会で作ろう」と主催者を代表してあいさつしました。

今年の記念講演の講師は、部落解放同盟広島県連合回復委員長の政平智春さん。演題は「『建国記念の日』を問うー改めて『元号』『日の丸・君が代』を考える」です。

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政平さんは、「天皇制がいかに欺瞞に満ちて作られたものか」について歴史をたどりながら厳しく指摘されました。特に、1868年に誕生した明治政権は、「天皇制絶対主義」のもと「近代身分制度」を作り、無謀な戦争に突き進んでいったことが強調されました。天皇制は、天皇を頂点とした上下関係を固定化した社会構造総体であり、それは単に天皇と国民の関係にとどまらず、それぞれの職場、地域などに「小天皇制」が存在し、支配体制が作られおり、暴力(単に物理的暴力だけでなく、心理的圧迫も含め)によって維持されていることを指摘されました。

こうした状況を打破するための課題として「①天皇、皇族の政治利用を許さない②教育における天皇制の排除③元号、日の丸、君が代の強制反対④内なる天皇制との対峙」をあげ、講演は終了しました。

その後、憲法を守る広島県民会議藤本講治事務局長から下記のアピールが提案され、全体の拍手で確認しました。


211日は、明治政府が制定した「紀元節」にあたります。「紀元節」は、日本の歴史が天皇を中心として進んできたと考える歴史観(皇国史観)のもと、初代の天皇が即位した日を現代の暦に当てはめたものと言われてします。さらに、この「紀元節」は、「皇国史観」にもとづく戦前・戦中の軍国主義、全体主義を国民に植え付ける役割を果たしてきました。「天皇のために戦い死ぬことが最大の名誉」とされ、結果として自国民とともに世界中の人々を惨禍に巻き込んだあの無謀な戦争を招いてしまいました。

この反省に立ち、敗戦後「紀元節」は、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」を原則とする日本国憲法の施行で1948年に廃止されました。しかし、1966年、天皇の政治利用を画策する当時の政府・自民党が戦前回帰に反対する国民の声を無視し、国民の祝日「建国記念の日」として制定し、事実上「紀元節」を復活させました。

戦後、かつての「紀元節」は「建国記念の日」と名称は変わりましたが、天皇制を支える政策は、1979年に「天皇による時の支配」を象徴する「元号法」の制定、1999年に「日の丸」「君が代」を国旗・国歌と定める「国旗・国歌法」の制定、さらに憲法9条の改悪とともに天皇の元首化を明記した「自民党改憲草案」など国民主権・民主主義を基本とする日本国憲法とは全く相容れないものであり、かつての戦争で天皇が果たしてきた役割を私たち国民に押しつける動きは連綿と続いています。

また、昨年12月16日、岸田政権は私たちの反対の声を無視して,防衛力強化のために「安全保障関連の3文書」を閣議決定しました。この安保3文書では,敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有と防衛費を倍増し、今後5年間の防衛費総額を43兆円にしようとするものです。日本国憲法前文と第9条に示された平和主義とそれに伴う専守防衛の安全保障体制が大きく変貌するものであり、決して許されるものではありません。

私たちは、平和憲法の下で戦後78年間、戦争をしないで平和を守ってきました。この歴史的経緯とその意味をあらためて見つめ直し、日本の戦前回帰、戦争する国づくりに突き進む岸田政権に対峙し、平和と民主主義、人権が守られる社会を築くため考え・行動していくことを誓い,集会アピールとします。


最後に三木郁子戦争をさせない1000人委員会共同代表が、閉会のあいさつを行い「2・11ヒロシマ集会」は終了しました。

いのちとうとし

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2023年2月11日 (土)

ペンキぬりたてーだけでなく地図も直してください

街の様々な場所に地図が入った案内板がたっています。万代橋東詰にも案内板が設置されています。

先日、中区図書館からの帰り道に気づいたのですが、赤い文字で書かれた「ペンキぬりたて」のシールが貼ってありました。

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周りの黒い枠の部分が、最近ペンキの塗り替えが行われてようで,確かにきれいになっています。

ところが、よく見ると「ペンキぬりたて」のシールが貼られた地図の部分の右上が剥がれているのが気になります。

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案内板の一番上部の矢印と文字で建物や施設のあり場所を示している部分も,下の方が剥がれたようになっています。

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左下の紙がめくれているように見えるのは、どうもその下に書かれている「河川遊覧船乗船ゲート」を消すために貼られたシールのようです。半分なくなり、残った部分の一部も剥がれています。

ちょっと話が変わりますが、「カキ船」が元安橋下流の世界遺産原爆ドームバッファソーン内に移設されることが問題になったとき、「原爆ドームの近くではなく、アステールプラザ裏の遊覧船の乗船場が使われていないのだから,そこの移設すればよいのではないか」と広島市に申し入れたことがあります。そのときの広島市の回答は「今も数は少なくなったが使用されている」との答えでした。この剥がれたようなシールを見ると、そのときのことを思い出します。残ったシールから予測できることは、アステールプラザ裏の「河川遊覧船乗船ゲート」は、もう使われていないと言うことです。「そうであれば、あのとき広島市が?」という思いに駆られます。

ところで街中に設定された案内板、以前から問題意識を持っていました。

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上の写真枚は、広島市役所の敷地内南西の角(議会棟の西側・電車道と2号線の交差点)に設置された案内板です。写真の右下にあります。

この案内板にも「ペンキぬりたて」のシールが貼られています。私が問題意識を持ったのは、地図の部分です。

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元安橋東詰の案内板の地図は、そんなに日焼けしていませんので十分に地図の役割を果たしています。しかし、この市役所南西角の案内板の地図は、日焼けで文字が変色していますので、読みにくくなっています。道路と思われるものは、ほとんど見えなくなっています。

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これでは、案内地図としての役割は果たすことはできません。以前から気になっていたのは、このことで、すでにかなりの年月がたちます。文字表示は、英語、中国語、ハングルで書かれていますので、外国人にもわかるようにと言うことだと思いますが、これではなおさら外国人には地図を読み取ることはできません。

私が「ペンキぬりかえ」のシールに気づいてからすでに1週間以上が過ぎますが、まだこのシールが貼られたままです。

まさか、「ペンキぬりかえ」だけで終わることはないのでしょうね。

いのちとうとし

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2023年2月10日 (金)

4月からの電気料金値上げ問題公聴会

2月9日に平和公園内に在る国際会議場のダリアという部屋で、4月1日から中国電力が予定している電気料金の値上げ申請に係る公聴会が開催されました。

値上げ申請をしている電力会社では、相次いで公聴会が開催されているのですが、陳述人がゼロというのが何社か在ったのです。中国電力は、瀧本夏彦社長も出席し、陳述も4人が行い大いに盛り上がりました。私が話した内容を紹介します。

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始めに申請者である中国電力に対して意見と質問をいたします。

今、この時期、度重なる不祥事で消費者から強い憤りと批判を持たれている中、値上げの申請をすることが許せれるのかということです。

1には、中国電力が、中部・関西・九州4社との間で不当なカルテルを結んだとされる、独占禁止法違反事件です。この事件は電力事業の自由化を妨げる非常に大きな犯罪行為です。公正取引委員会から中国電力に対して、707億円の課徴金が課せられることになるこの事件、真相も責任の所在も、課徴金の処理も明らかにされていない状況の中では理解できません。カルテルによって受けた消費者の損害は、むしろ返還されるべきです。何よりもこのカルテル事件が起こった時の担当者部長は、瀧本夏彦社長、貴方ですね。

「関電から働きかけられたのに、全く迷惑千万だ」「関電に巻き込まれた」と、自分の責任は感じておられないように思われるのですが。それをいうのなら、堂々と中国電力の消費者が受けた損害賠償を関西電力に求めるべきです。707億円はどうやって処理されるのですか。また、この707億円という金額は、「規制料金の認可申請の概要」に掲載されている経営効率化の内訳を見ると2023年から2025年平均の合計が635億円で、この金額を上回るものとなっておりますが、どう対応するのか、回答をお願いします。

2には、新電力会社の顧客情報不正閲覧事件です。多くの大手電力が実施していたことで、まさに「みんなでやれば怖くない」という状況になっているように思えるのです。私は、送配電の分離は所有権分離という形にして自由な競争を促していくことを、様ざまな場で求めてきました。これも結果的に消費者に負担を強いたことになります。回答をお願いします。

3には、ホームページにおいて自由料金メニューを常に安いと記載したことによる景品表示法違反の問題、再発防止対策と回答をお願いします。

ある雑誌の2月号には、「ぼんくら同然の中国電」というタイトルで報じられました。本当に残念なことです。

次に経済産業省に対し、意見を述べるとともに回答を求めます。

私たちは、2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原発の大事故から、多くの教訓を得ました。

その主なことは、

①「原子力発電への依存度を減らしていく」

②「原発の新増設は行わない」、

③「再生可能エネルギーの電力を増やしていく」というものでした。この考えに基づいて、「再生可能エネルギー電力の固定価格買取り制度」、FITと呼ばれる制度が始まりました。

そして「電力システム改革」という名前に基づいて大きく3段階の改革が行われました。

第一の改革として電力広域的運営推進機関(OCCTO)が作られ、電力の広域融通をスムーズに行う体制が作られました。

また、第二段階として電力事業の完全自由化が行われました。

そして最終段階として、発送配電の分離が行われました。しかし、改革とされながらも、すべての改革が、中途半端な状況で行われたことが、電力価格の上昇を招いた要因の一つでもあると考えます。とくに最終段階の発送配電の分離は極めて中途半端です。

電力料金の値上げの原因は、あれだけ再生可能エネルギーによる電気の普及を言いながらも、その普及拡大に政策面においても技術面においても、本気で実行してこなかったこと、考えてこなかったことにあると思います。

化石燃料を使わない再エネ新電力事業を営んでいる方から聞こえてくる声は、なぜ我われが売っている電力価格まで値上がりになるのかという、苦情と疑問です。再生可能エネルギーによる電力の燃料費は基本的に無料です。

しかし再エネの電気は、FITという「固定価格買取り制度」でいったん送配電会社が買取ります。送配電会社とは中国電力の場合、中国電力ネットワーク株式会社です。一般的な太陽光発電のFIT価格がkWhあたり10円台に下がっている中でも、JEPX(日本卸電力取引所)から販売される市場価格は、日によっても時間によっても動き、大きく上昇しているのです。卸電力販売価格が、化石燃料による発電価格に連動していることが、最大の上昇理由だと考えます。

再エネを供給する新電力が、送配電会社からFIT電気を受け取る時の値段が市場価格になるという「市場価格連動制(特定卸供給制度」)が最大の問題です。経済産業省の回答をお願いします。

規制料金の値上げを行おうとする場合は、規制料金の性格上からも時間をかけ、これからのエネルギー政策も含め、国民的議論を行うことが必要だと考えます。これだけの物価上昇が続いている中、もっと慎重に審査すべきです。

特に中国電力については、カルテル事件の真相と責任が明らかになるまで、値上げ申請ができる立場ではないと考えます。

以上で私の陳述を終わります。ありがとうございました。

木原省治

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2023年2月 9日 (木)

旧被服支廠の保全を願う会懇談会の「慰霊祭と報告会」

被爆の実相の継承に努め、旧陸軍被服支廠をはじめとする被爆建物の保全のため、様々な啓発活動行っている「旧被服支廠の保全を願う会懇談会」の「慰霊祭と報告会」が、2月5日午前10時30分から、広島原爆資料館東館地下1階会議室で開催されました。

多賀副代表の開会あいさつのあと、原爆で犠牲となった人たち、とりわけ旧陸軍被服支廠の犠牲者を追悼するため、参加者全員で30秒間の黙祷を行い、一人一人が献花を行いました。

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続いて内藤副代表から、パワーポイントを使って、この間の取り組みについて経過が報告されました。この経過を受けて、多賀副代表から、次のような今後の活動方針が提案されました。

「被爆者の高齢化が進むなかで建物の価値を再考する気運が高まり、保存・活用策が検討されている。ヒロシマの過去と未来をつなぐ存在として、認識が高まっている。

しかし、倉庫群は、大規模であるため、その補修には多額の費用が必要となる。

旧被服支廠の保全を願う懇談会では、原爆ドームの保存のとき行われたような募金活動を進めていこうと考えています。そのためには、倉庫3棟を所有する広島県に,原爆ドームの保存基金のような募金体制を整えていただけると、募金に一層弾みがつき、広く世界から関心が集まるのではないだろうか。旧被服支廠の保全を願う懇談会は、『赤レンガ倉庫基金(仮)』の創設を要望する。」

会としては、今後この方針に基づき、早急に広島県への申し入れを行うことを確認しました。

会では、2020年から募金活動を開始し、現在36万円の寄付が集まっています。

今回の会議で、新たに切明千枝子さんが、共同代表に選出され、中西巌さんとの二人が共同代表となることになりました。

共同代表となった切明さんから、挨拶とともに改めて自らの旧陸軍被服支廠との関わりの話がありました。

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今年93歳の切明さんは、旧陸軍被服支廠と自分との関わりを話された後「今のことは忘れるのですが、あの頃のこと、被服支廠のことは忘れることがありません。旧陸軍被服支廠は、原爆ドームとは違います。原爆ドームが被爆前、県産物の展示館として民間が使っていたのですが、陸軍被服支廠はその名の通り、軍の施設として使われてきました。戦争を知り,戦後の復興を知る大切な建物です。どうしても残していかなければならない建物です。」と訴えられました。

この切明さんのお話で、会は終了しました。

旧陸軍被服支廠の建物4棟の保存は決まりましたが、未だどのように活用するのかは明らかになっていません。

募金を呼びかけるにしても、できるだけ早く「どのように活用するのか」をはっきりさせることがなければ、難しいと思います。保存活用方針の基本に、軍都廣島、そしてそれを担ってきた陸軍被服支廠の歴史、そして被爆の実相、復興の歴史がきちんと伝えられるように建物にすることが明記されなければなりません。そのような方向性がきちんと打ち出されるように、働きかけるのも私たちの役割だということを改めて感じた報告会でした。

いのちとうとし

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2023年2月 8日 (水)

被爆二世裁判 広島地裁不当判決

2017年2月17日に提訴して以来、約6年にわたって審理が続いた被爆二世裁判で、昨日広島地裁は、原告らの訴えをすべて棄却する不当の判決を示しました。

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その判決理由は、昨年12月12日に示された長崎地裁の不当判決の内容をさらに後退させるものとなっており、到底納得できるものではありません。

判決後の原告、支援者などの集会で、直ちに控訴することが確認されました。

広島での裁判では、「黒い雨訴訟」で画期的な判決が出されただけに、そこで示された被害者を救済する判断を十分にくみ取って広島地裁らしい判決が期待されたのですが、その期待を全く裏切る判決内容だといわざるを得ません。

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原告団、弁護団は直ちに抗議の声明を発表しましたので、その全文を掲載します。


 2017年2月に提訴以来、約6年の審理を経て、本日広島地裁は、原告らの請求を棄却するとの判決を示した。昨年(2022年)1212日の長崎地裁の判決に続いて、結論において、私たちの求めた被爆二世に対する賠償を否定したことは、到底納得し得るものではなく、強く抗議する。

 原爆による放射線の被害は、19458月に広島・長崎の人たちが人類史上初めて経験したものであり、極めて多数の人たちが、瞬時に、そして耐えがたい苦痛の末に命を失い、また被爆による深刻な健康被害に苛まれてきた。日本政府は、被爆者の切実な訴えを受けて、ようやく1957年に原爆医療法を制定し、以降現在の被爆者援護法によって被爆者援護の政策を続けてきた。

 原爆放射線が人間に遺伝的影響を与えるかについては、すでに1950年代から指摘されてきたことであり、現在に至るまで、多くの研究者がその影響を否定できないことを動物実験等科学的根拠をもって明らかにしてきた。現実に多くの被爆二世が、何らかの形で原爆放射線の影響を受けていることは否定できず、多くの二世が様々なガン等の疾病に苦しみ、またほとんどの被爆二世が健康に不安を覚える日々を過ごしてきた。本件裁判においても、原告の人たちはその現実を裁判所に切々と訴えた。

 これに対する国の対応は、「放射線被害があるという科学的根拠は示されていない」という主張を一貫して続け、原告らの訴えに全く耳を貸そうともしない不当極まりないものであった。

 この度広島地裁は、放射線被害の遺伝的影響の可能性を認め、被爆二世である原告らの主張の正当性を認める判断を示した、と理解することができる。この点における裁判所の判断は、当然のことといえるものの、それ以上に政府・厚労省の基本的対応の問題に言及していないことは決定的に不十分と言わねばならない。

 被爆者援護法1条3号は、「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」を被爆者として援護の対象とし、昨年の長崎地裁の判決においても、そして今回の判決においても、原爆放射線により健康被害が生ずる可能性がある事情の下に置かれていた者をいうと解されるとしている。そうであるならば、当然被爆二世に対しても同様に被爆者援護法による援護がなされるべきである。そして、そのための立法措置を怠ってきた国の責任は明らかである。にもかかわらず、今回の判決は極めて不十分と言わざるを得ない。この点においては、長崎地裁判決と同様であるが、今回の広島地裁判決における理由中の判断内容は、長崎地裁判決を一層後退させるものであり、強く抗議する。ことに、2021714日に広島高裁が黒い雨訴訟判決において示した援護法13号の被爆者についての解釈の重要な趣旨を否定している点、さらに遺伝学や動物実験の意義を理解していない点については、看過し得ないと言わざるを得ない。

 しかし判決は、「放射線被害の遺伝的影響」についてはその可能性を認めたと理解できる。国はこれまで一貫して「遺伝的影響の科学的根拠はない」と主張し、被爆二世に対する援護法上の措置を拒否してきたが、この対応が基本的に誤りであることが判決において指摘されたと受け止めるべきである。そして、国は、被爆二世に対する援護についてこれまでの態度を根本的に改めるべきである。私たちは国に対し、改めて、速やかに被爆二世、そして被爆三世等に対し、被爆者援護法上の援護の措置を執ることを求める。


この声明で明らかなように、広島地裁の判決は、いたずらに国側の主張のみを受け入れたものであり、原告被爆二世の被爆者である親を含めた自らの体験に基づく訴えを全く無視したものです。

この判決を覆すための高裁の闘いに向けて、一層の支援の強化が求められます。

いのちとうとし

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2023年2月 7日 (火)

ヒロシマとベトナム(その43)ベトナム象、広島を歩く-7

ベトナム象は「飢坂(かつえざか)」を登った?

大山峠を下った西国街道は八本松駅の南に位置する県教育センター前の道を東に進みます。そして八本松東のシャープの工場内を通って「材修場跡の碑」までほぼ平坦な道が続き、そこから四日市宿までの最後の登り、「餓坂」を越え西条の町へと入ります。船越さんに「餓坂」入口までお連れいただいたので、近いうちに歩いてみたいと思っています。

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「電子足跡:旧山陽道(西国街道)歩き旅 本郷宿から安芸中野へ 最高地点 松子山峠・大山峠越え」からお借りしました

案内板に「江戸時代にここを西国街道が通り、この峠の西側(八本松側)を飢坂と言います。江戸時代、飢饉の時、ここで多くの人が飢えて力尽き亡くなったことから、この地名になったと伝えられています。」と由来が書かれています。

ベトナムの像が西(八本松側)からこの峠を登った享保14年(1729年)には既に「飢坂」と呼ばれていたのか、いつごろから「飢坂」と呼ばれるようになったのかを調べてみました。下表はウィキペディアなどを基に作成した江戸時代の4大飢饉の表です。

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江戸時代の4大飢饉に関する広島藩の動向を広島県文書館作成の「広島県史年表」から探ってみました。寛永大飢饉(1642年)には、「百姓作食、種米に難渋する者多く、餓死者少なからず、凶作は正保元年まで続く」とあり、少なからぬ餓死者があったと思われます。その他、飢饉に関するであろう動きは「幕府、在々での酒造を禁止する」、 「広島藩、倹約に励み耕作に精出すべきとの幕令を領内に布達する」だけでした。

享保の飢饉(1732年)に関しては、「うんか大発生、広島領の田畑損毛31万4,028石余に及び、翌春まで飢人32万4,255人、餓死者 8,644人。福山領の田畑損毛5万2,917石に達し、翌春までの飢人2万830人、 餓死者731人に及ぶ」と書かれています。その他にも「飢饉救済のため郡中に救援米を支給」、「酒造りを 3分1造りに制限」、「町郡中飢人救米3万3,470石、家中扶持米不足の者への貸米1万2,000石余、 計4万5,470 石余放出する」などの記述があります。

天明の飢饉(1782年)」に関しては「気候不順により凶作、広島領の田畑損毛11万690石余に及び、飢民少なからず」のみ。天保の飢饉(1833年)に関しては藩内の飢饉に関するものはなく、「広島藩、幕命により、米払底の江戸に1万1,400石余を廻米する」というものだけでした。

江戸時代、広島藩を襲った96回の災害・飢饉

 私が所属する東広島郷土史研究会の12月例会で蔵楽恭子さんが「『社倉(注1)』を通してみる近世の農村・村役」について研究報告されました。その時頂いた資料(飯田米秋著『東広島近世年表』)に、賀茂郡原村でいなごの虫害が発生、洪水で水漬かり(天保2年、1831年)。肥前の国(注2)の者、原村で行き倒れ死亡(天保3年)。広島、福山両藩とも旱、冷害による損耗甚大(天保4年)。天候不順、大凶作(天保5年)。春から秋にかけて洪水、凶作、大飢饉となり餓死者多数出る。賀茂郡志和村、西野村(注3)、造賀村に百姓一揆起こる。原村八幡神社で施しの粥が炊き出される(天保7年)。路上に死者多数出る、疫病流行(天保8年、1837年)とありました。

『広島藩』(土井作治著)によると18世紀以降の広島藩内で記録されている災害・飢饉は96回に及ぶそうで、中でも享保の飢饉も天保の飢饉は相当深刻な大飢饉だったようです。

「飢坂」の名がついたのは西日本各地、特に瀬戸内沿岸に大きな被害をもたらした江戸中期の「享保の大飢饉」か、江戸後期の「天保の飢饉」かのいずれかと思いますが特定できませんでした。しかし、いずれにしてもベトナム象が峠を越えた時には、まだ「飢坂」の名は付いていなかった可能性が高いのではと思います。

3月13日に長崎を発ったベトナム象は歩くこと26日目の4月8日、わがまち西条四日市宿に到着しました。あと2カ月もすると「ベトナム象来宿295年」を迎えます。次号(その44)では、西条四日市宿でのベトナム象をたぐって見たいと思います。

(注1)社倉

飢饉などに備えて米や雑穀を蓄えておく倉のことで、天明飢饉後に全国に広まったもの。

広島藩の社倉は,海田市の儒者加藤缶楽の教えを受けた安芸郡矢野村の神官香川正直の指導によって矢野村・押込村で寛延2年(1749)社倉法による備荒貯麦をはじめたことに由来する。

(注2)肥前の国

   佐賀県全域、および長崎県の壱岐・対馬を除く地域の旧国名。当時は鍋島成義が治めていた。

(注3)西野村

   当時の賀茂郡は竹原市域も含まれており、現在の竹原市西野町。

(2023年2月7日、あかたつ)

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2023年2月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その42)ベトナム象、広島を歩く-6

4月8日、海田宿を出発したベトナム象は、穏やかな日和に恵まれ瀬野川沿いの西国街道を桜を愛でながら東へと進んだことでしょう。「出迎え松」を過ぎた辺りから山手に入り、延々と続く上り坂に入りますが、まだまだ何のことはありません。西国街道は瀬野駅手前を右折、2号線を超え東に向かいます。安芸区一貫田の一里塚を通り、再び2号線を超え、龍禅寺辺りから2号線の左山手を東に向かいます。

海田宿と西条四日市宿との間に位置する一貫田には、俳人の種田山頭火の歌碑が残されるなど、間宿(あいだじゅく)として賑わっていました。

西国街道随一の難所、大山峠

一貫田から瀬野川の北側山手を八本松に向けて上ります。かつてドライブイン前にSL「D51」が鎮座していた辺りを過ぎしばらくして瀬野川を南に渡りさらに上って行きます。下の地図はその辺りを示したもので、「旧山陽道(西国街道)のルート情報」(「Google Earth」)に筆者が手を加えました。

D51は瀬野川公園の一角に据えられています。

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大山峠は安芸郡と賀茂郡の境にある標高337m、麓からの比高は約250mと険しい難所です。次㌻の「瀬野川史跡案内図」には、3月に開通予定の東広島・安芸バイパス上に「瀬野馬子唄発祥地」と「代官おろし跡」と書かれています。

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「代官おろし跡」は余りにも急な坂のため代官様も籠を降り、付き人に後ろから押してもらってようやく峠を越えるたとのことです。籠を降りた場所と伝えられている辺りに安芸ライオンズクラブが建てた碑があります。

瀬野馬子唄は、この急な坂を一石5斗(約225kg)の米を背に振り分けた馬を曳きながら、「瀬野の三里とエー、大山の峠とヨー、大須なわてがなけにゃエー。瀬野の馬さはエー、金つき馬でヨー、夜になってもせいをだす」と唄ったということです。当時の馬は金つき馬と呼ばれる去勢されていない馬で、大変扱いが難しかったそうです。いずれの碑も西日本豪雨災害で壊れたため新たに作られています。

ところで、重さが3㌧を超え背丈5尺7寸(約173cm)だったと伝えられるベトナム象、とても象のお尻を押すことはできません。ベトナム象はどのようにして大山峠を登り切ったのでしょう。・・・・

大山峠を襲った5年前の「西日本豪雨災害」

昨年12月1日、東広島郷土史研究会の「石造物研究会」のメンバー4名で大山峠を探索しました。リーダーの船越さんがベトナム象を追っている私のために特別に企画してくださいました。下の写真4枚はそのときに撮影したものです。

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痕跡を辿ることができないほど崩壊した大山峠(瀬野側)の様子。砂防ダムの工事が進んでいました。

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新たに付けられた道路の右辺りに西国街道があった(?)

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2018年の西日本水害で流失し新たに建てられた碑

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安芸区と賀茂郡の境に建てられた碑

西国街道(旧山陽道)が現在どのようになっているかが分かる写真が下の2枚です。前述の「旧山陽道(西国街道)のルート情報」の「Google Earth」から引用しました。

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写真の中央を横に走っているオレンジ色が西国街道(旧山陽道)です。上の写真の右上部分に巨大な砂防ダムが築かれています。下の写真のオレンジは砂防ダムから西条四日市宿に向かって延びている西国街道で、右隅には八本松西で工事が進んでいる東広島・矢野バイパスが写っています。

(2023年2月6日、あかたつ)

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2023年2月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その41)ベトナム象、広島を歩く-5

小春日和、広島城下を発つ

4月7日、朝5つ半時(午前9時)小春日和の広島城下を発ったベトナム象は、その日の宿である海田宿までの4里足らずの途に就きました。本川橋、元安橋を渡り広島城の天守を左に見ながら東に向かい、堀川町辺りを北に折れ、鉄砲町を東にとり、京橋と猿猴橋を渡り船越峠へと向かったと思われます。峠をくだると船越4丁目に残る常夜燈辺りからは緩やかな街道が海田宿まで続きます。

ルートは現在の府中町から瀬野川に続く県道とほぼ同じと考えてください。ご存知の方も多いと思いますが、車の離合にも難渋する道幅です。

象が泊まった場所が海田宿のどこであったのか記録が残されているのかも知れませんが分かりません。海田宿の要職を務める千葉家だったのか、脇本陣として使われていたと伝えられる庄屋の猫田新太郎宅だったのか・・・。この日は船越峠を越えるだけの比較的楽な15km余りの道程でした。しかし、楽あれば苦もあります。翌日とんでもない難行程、「西国街道最大の難所」と呼ばれた大山峠が待ち受けていることを象は知る由もありません。

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この日、広島っ子は “象を見た・・・・・・”

「交趾国より送られた象広島を通過、藩主吉長これを見る」(「吉長公御代記」)とあるように、ときの広島藩主・浅野吉長公も前日、城下の堺町内(現在の広島市中区堺町)まで出かけて象を見学するほどの珍獣です。この日の広島っ子はどうだったのでしょう。以前にも紹介した岡山藩の古文書を読み解いた岡山大学の資料を見てみましょう。この古文書は岡山藩が将軍様の像を粗相なく無事に領内を通過させるため、広島藩の様子を下調べした藩士が藩庁に提出した報告文書です。

象が驚き暴れるので、「通り筋家家簾(のれん)を釣り、或いは戸口を閉め家内人集まり候体見え申さぬように御触れの由」と、外に出ての見物は禁止です。「拠無(よんどころな)き用事につき往来仕らず候て叶わぬ儀これあるとも、通り筋を除け、外道を通り申すべき由、御家中、町方、郡方とも御触れ候由」と、よんどころない場合にも通りを避け脇道を通るようにお触れを出しなさいと念の入れようです。そうした結果、「広島街並み見物の者簾の内に静かに居り申し候、たばこの煙、またそのほか煙出し申さぬように御座候」という状況だったようです、

さらに、下をご覧ください。

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白囲みでは「蟻、鼠、牛馬、犬、猫嫌い申し候やの事、広島御城下前日より繋ぎ申し候、尤も、小鳥等迄外へのけ申し候」と報告され、他の箇所では「犬猫も繋ぎ候事、広島の通り御当地も申し付くべく候」と、岡山藩でも広島のように申し付けることを具申されています。

この様にとても広島っ子は珍獣を見物できるような状況ではなく、犬も猫も、牛馬も、鳥も・・・・大迷惑なことだったことでしょう。迷惑では済まされないお触れも出されています。「広島にては、寺寺の鐘、太鼓、鉄砲等、そのほか音高き事は差し止めなされ候由、御当地も此の通り仰せつけられ然るべく存じ奉り候」と、象をびっくりさせるような音は一切禁止です。時を告げる鐘だけでなく火事などの危急の時に打ち鳴らす早鐘も駄目、趣味の音曲だけでなく鍛冶屋も作事の大工仕事や槌音も禁止です。

象が無事通過するまでの間は、見物はもちろん外に出ても駄目、音の出る仕事も禁止。随分のフラストレーションだったことでしょう。でも、同時に、遠く異郷の地を健気に歩く象に誰もが言い知れないシンパシーを感じたのではないでしょうか。そんな広島っ子の思いが記された文書がどこかに残っていないのか、関心が募ります。きっと、それはどこかにあると思います。

 いずれにしても、ベトナム象は海田宿につきました。次号(その42)では西国街道随一の難所、大山峠を越えを思い描いてみたいと思います。

(2023年2月5日、あかたつ)

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2023年2月 4日 (土)

2月の「3の日行動」

「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、昨日午後5時30分から1時間、本通電停前で2月の「3の日行動」を実施しました。

「戦争をさせない千人委員会」の佐藤奈保子さんの司会で街頭行動はスタートしました。

最初は、いつものように代表世話人の一人川后和幸さんがアピール。続いてゼェンダーフリーのテーマで日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークの岡原美智子さんが「従軍慰安婦問題の解決には、謝罪が大切だ」ということを強く訴えました。

ゼェンダーフリーの問題といえば、先日の国会予算委員会での岸田首相の同性婚の法律化を問われての「同性婚で家族観や社会が変わる」という発言が頭に浮かびます。岸田首相のこの発言は、現在の社会状況を無視するだけでなく、「なぜ同性婚で社会が変わるのか」の説明が全くなされていません。もし岸田首相が本当にそう思うのであれば、その理由をきちんと説明しなければなりません。本音が出たともいえる発言ですが、その理由を明確に説明しなければ、国会の論戦にはなりません。国会の審議はそれほど重いものだということを自覚して欲しいと思います。

次に「戦争をさせない千人委員会」の三木郁子さんが、「平和憲法こそが政治の基本だ」と岸田首相が進める軍事大国化政策を厳しく批判しました。

次のスピーカーは、ピースリンク広島・呉・岩国の新田秀樹さんです。新田さんのテーマは、「大軍拡、安保3文書について」です。このテーマも今国会の最重要テーマの一つですが、今のところこのテーマでの論戦が進んでいるとはいえません。野党のしっかりとした追及が求められます。

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私もここでマイクを握りました。私に与えられたテーマは「始まった国会審議の問題」でした。私は、「少子化問題」の国会論議のあり方と問いました。

岸田首相は「異次元の少子化対策」といいながら、何が異次元なのかその中身の説明がありません。もし「児童手当の所得制限撤廃」がその中身なら、異次元のというのがはばかられる内容です。

一部野党は、所得税の改正(子どもの人数に応じて減税する)を主張していますが、それで「少子化対策の問題が解決する」とはとても思えません。

問題なことは、非正規雇用の増大による今の生活が、そして将来の生活がどうなるのかという不安の増大していることです。この問題にメスを入れない限り、真の意味での少子化対策はあり得ません。3人に一人が非正規労働者だと言われるこの社会構造を変えるために政治が何をすべきか、そして何ができるのかをこそ、論議する国会にしなければなりません。

次のスピーカーは、山田延廣弁護士です。山田さんのテーマは「統一協会問題」でした。自民党は、この問題は終わったことにしたいようですが、自治体議員を含めてまだまだ問題の本質が明らかになっていないことが指摘されました。

最後に、総がかり行動実世話人の藤元康之さんが、2月23日に予定されている「2・23 ウクライナに平和を!大軍拡・大増税NO! 市民集会」への参加を呼びかけて、2月の「3の日行動」を終了しました。

参加者は、40名でした。

いのちとうとし

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2023年2月 3日 (金)

「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」つづき

仏教、キリスト教での追悼の後、広島に住むミャンマー人からメッセージがありました。

最初のアピールは、広島市立大学学生のアウンチーミインさんです。

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「今もミャンマーでは、クーデターに負けず、諦めずがんばっている。関心を持って集会に参加していただきありがとうございます。多くの皆さんにクーデターの事実を知ってほしいのです。殺された人以外にも住む家が壊された人も多くいます。私の親戚を含めてです。命を失った人、財産を失った人。そのことを知ってほしいと思います。できる範囲ではなく、できる範囲を超えてがんばりたいと思っています。住むところもない、食べるものもない人を救うためにカンパをお願いします。ミャンマーに、日本に、世界が平和であるように祈ります。」

アウンサンは、先日の写真展の会場でいろいろと話を聞かせていただきました。

つづいて牧師のトゥン・カン・クップさんのメッセージがありました。

トゥンさんは、安佐南区の八木にある教会の牧師さんで、キリスト教関係のお祈りにも参加されていました。

最後に小武さんから今後の行動提起があり、「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」は、30分ほどで終了しました。

その後、小武さんの提起を受け、場所を本通電停前に移動し、「1の日」行動が行われました。今回が、22回目の行動となりました。

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私もマイクを握り「マスコミがほとんどミャンマーのことを報道しなくなりましたが、ミャンマーで今起きていることを忘れないようにしよう。もし私たちが忘れてしまえば、それだけ軍部の行動を認めることになります。そして支援を続けましょう」と呼びかけました。

30分あまり、それぞれの参加者がマイクを握り、思いを訴え,この日の行動は終了しました。

今回の「集い」開催の中心的役割を担っているのが、三次の小武正教さんです。小武さんは、2008年に起きた民主化運動で、国民が平和に暮らせるためにと運動の先頭に立つミャンマーの僧侶から助けを求めるメールを受け取ったことを契機に、「同じ仏教徒として、何かせずにはいられなかった。多くの人が虐げられていることを知り、自分にできることを」と子どもたちの教育活動を支援するため「メラウーキャンプ教育支援の会」を立ち上げ、今も支援活動を続けておられます。メラウーは難民キャンプ地で、ミャンマーと国境を接するタイの山岳地帯にあります。

一昨日の中国新聞によれば「メラウーキャンプ教育支援の会」は、この活動が評価され、ヒロシマ創造基金から「国際交流奨励賞」が贈られることになりました。

小武さんは、一昨年の軍事クーデター後の3月23日に原爆ドーム前で「Save Myanmar ミャンマーを救え」との思いで、犠牲者を追悼する集会(私も参加しました)を行って以降、毎月1日に三次から広島に来て仲間と一緒に「Save Myanmarの行動」として、街頭行動を続けておられます。

ミャンマーを決して忘れず、私たちに何ができるか改めて考える一日になりました。

いのちとうとし

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2023年2月 2日 (木)

「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」

ミャンマー国軍が、軍事クーデターによって実権を握ってからちょうど2年となる21日、「ミャンマー市民の訴えを聞く会」が主催する「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」が、約30人が参加し原爆ドーム前で開催されました。

この集いを企画した「ミャンマー市民の訴えを聞く会」は、先月「「ミャンマー(ビルマ)の今を知る写真展―ミャンマーを忘れないで」を開催しています。

私もこの呼びかけに応えて参加しました。

午後3時からの「集い」は、ミャンマー出身の広島市立大生ナインさんの司会でスタートしました。

最初に主催者を代表して「ミャンマー市民の訴えを聞く会」の小武正教さんが、「ミャンマーの軍事政権の犠牲者を追悼し、市民が平等で民主的に暮らせるように声を上げましょう」とあいさつ。

まず仏教式の追悼が行われました。

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経文が唱えられた後、小武さんによる「表白」(ひょうびゃく)がありました。「表白」とは、法要の目的を述べることのようです。今のミャンマーの状況がよくわかりますので、小武さんの「表白」を引用します。

「本日は、2021年2月1日、ミャンマー軍が起こしたクーデターから今日で丸2年となります。この間、不条理にも軍によって命を奪われたミャンマー市民の人たちは毎日増え続けています。『政治犯支援協会』によれば1月31日時点で2,940人。またこれ以外にもミャンマー軍の爆撃、攻撃によって7,000人を超す市民や少数民族の人たちの命が奪われています。また13,763人を超える多くの人たちが、不当に逮捕され、今も抑留されています。

私たちは、ミャンマーが一日も早く真に平和で自由な社会となることを願いながら、毎月『1の日』行動として街頭アピール・募金を続けて来ました。しかし、クーデター後の日本政府やミャンマーに進出した日本企業の対応は、ミャンマー市民の願いに沿ったものではありません。私たちは『信頼』こそが人と人を結ぶ原点であると考えます。この度の軍のクーデターはとても悲しい出来事でありますが、この中で日本に住む私たちとミャンマーの人たちは新たな出会い・語り・学び、平和への行動を共にすることが始まりました。

ミャンマーが一日も早く真に平和で自由な社会となることを願い、この広島の地で,日本に住む者の責任があることを心に刻み、おのおのがこれから活動していくことを心に誓う。」

この後「仏説無量寿経」が唱えられ,仏教式の追悼が終わりました。

続いてキリスト教式れいはいがおこなわれました。

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ミャンマーは、国民のほぼ8割以上が仏教徒、約1割ちょっとがキリスト教徒ということですから、この二つの宗教による追悼が行われました。

この後、広島に住む二人のミャンマー人からメッセージがありましたが、この続きは明日に紹介します。

いのちとうとし

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2023年2月 1日 (水)

寒さの中でも咲いています。

Windows 8.1のサポートの終了を機に、パソコンをデスクトップパソコンからノート型パソコンに買い換えました。

友人に助けてもらった、無事に移行作業を終了したのですが、まだまだ使いこなせずにいます。ただ、ブログの更新作業だけはなんとかできるようになり、今日が新しいパソコンでの初作業です。

あっという間に1月が終わり、今日からもう2月がスタートしました。厳しい寒さも、少し和らいだ気がします。

今日はわが家で咲いている花の一部を紹介します。

わが家の植木は、すべて鉢植えですので、大きなものはベランダに置いています。この寒さで痛まないようにと家の中に取り込み寒さ対策をしました。

寒い中ですが、今年もいくつかの植木に花が咲きました。

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デンマークカクタスです。昨年よりも多くの花が付いた気がします。

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デンドロビウムは、出窓に置いていますが、白い花とつけました。光線のかげんで外に出して写真を撮りました。

この花は、長く楽しめますので、いつも思うのですが、ちょっと得をした気になります。

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アザレアもきれいな花を咲かせました。この鉢は、購入して数年たちますが、毎年きれいに咲くので楽しみです。最初の花が咲いたのは、昨年末ですので、すでに一月以上楽しませてくれています。

アザレアは、あと二鉢あり、ほぼ同じ頃につぼみをつけましたが、他の鉢の花が開くのにはもう少し時間がかかりそうです。

花の名前とは違って、クリスマスローズの花芽の茎が伸びてきたのですが、まだここで紹介するほどには伸びていません。

こんな花たちを眺めながら、寒さをしのぐ毎日でした。

いのちとうとし

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