ヒロシマとベトナム(その40-2)ベトナム象、広島を歩く-5
古文書が紐解いてくれたベトナム象、広島の宿
下の写真は、「享保14年酉4月6日 象止宿之刻御附廻り御衆中 宿々賄料之帖」という、象の運送に携わった人たちの宿泊料に関する広島藩の文書で、前述の県立文書館「インターネット版古文書講座」で使われたテキストです。
上下・久枝家で発見された文書
下の囲みは約300年前の帳面の4枚のうちの1枚の一部分です。中嶋庄右衛門という人と家来の夜食と朝夕の3回の賄い料、計銀2匁7分。但し御切手1通これあり、と書かれています。
長崎奉行所が各藩に出した「御触」には、「旅籠料理一汁三菜、酒三遍、肴一種、上下これ無く、代1匁」とありますが、実際には身分の違いで料理の内容が違っています。身分の上下による賄方の「忖度」なのでしょうか。、郷土料理が振る舞われたのでしょうが「一汁三菜」のメニューは何だったのでしょう? 関心が湧きます。
同テキストには、続いて「・・・文章が残されたのは、宛所となっている城下広瀬組大町年寄り(注1)芥川屋に残されたものと考えられるが、これが見つかったのは、山県郡北広島町大朝の郷土史家の久枝秀夫氏(故人)宅の襖の裏張りからである。広島城下芥川屋に伝わった帳面が襖の下張の材料としていつの日か山県地方まで流れていたわけである。」と紹介しています。
北広島町で見つかった貴重な資料
それにしても、広島城下から大朝町の久枝家に“いつ頃”、“どのような経緯”でたどり着いたのでしょう。“なぜ襖の裏張り”に使われ、“どのような経過で発見された”のでしょうか。もしも、そのまま広島城下の芥川屋に残っていたなら原爆で焼かれ、私たちが目にすることは出来なかったかも知れません。そう思うと、大朝までどのようにして運ばれ、どのように発見されたのか・・・・と、関心は一層募ります。
同じように、数奇な運命をたどり、原爆や戦禍を免れ発見されるのを待っている古文書が、今もどこかに眠っているかも知れません。開発や世代交代、歴史や文化に対する認識の変化などに伴い、大切な歴史的な遺産が人知れず急速に失われていると思うと居たたまれません。
遺跡や史跡、伝統文化や古文書は国民的財産です。意図的に歴史を歪曲したり、歴史を紡ぐ営みの記録を消し去ったり改竄することは許されない犯罪行為です。一方、無意識のうちに連綿と続いてきた貴重な歴史的財産が失われていくことも、未来への大きな損失です。
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王と法皇の言葉が刻まれた平和記念資料館の石碑 (NHK NEWSWEBより)
「歴史とは、過去と現在との間の尽きることのない対話」(E.H.カー)、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」(ヴァイツゼッカー)、「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うこと」(ヨハネ・パウロ二世)・・・・。賢人たちが異口同音に「歴史との対話が大切」と語っています。
次号では広島から西条四日市宿までの旅を追って見たいと思います。
(注1)城下広瀬組大町年寄り:広島城下の町家は町組と新開組に分かれ、1677年には69の町組がありました。西から広瀬組・中島組・白神組・中通組・新町組が河川に囲まれ5つの組があった。その一つ、広瀬組の下にあったのが象の泊まった堺町2丁目。町年寄りとは、町奉行所のもとで町政を司る町役人の筆頭に位置する。
(2023年1月6日、あかたつ)
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