「広島ガス100年史」と原爆被害
昨年末、妻の実家がある山口に帰省した時、いつも行くブックオフ山口店にのぞきました。ブックオフの各店には、100から200円のコーナーがありますが、その棚で珍しい一冊を見つけました。「広島ガス100年史」です。発行日は2010年3月となっていますが、広島ガスが、100周年を迎えたのは、前年2009年10月30日です。
「原爆被害が記載されているか」気になりましたので、すぐ目次を確認しました。「広島の壊滅」の項に「原爆投下と広島瓦斯の犠牲」と書かれていますので、本文は読まずに、とりあえず購入しました。110円の定価がついていましたが、私にとって定価以上の貴重な資料です。余談ですが、年が明けて広島の古本屋で見つけた「広島ガス60年史」には、6000円の定価がついていました。
広島ガスの原爆被害については、広島ガス株式会社原爆犠牲者追憶之碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で、広島原爆戦災誌からの引用を紹介していますが、「広島ガス100年史」を読んでいると、その被害の実相が違うことに気づきました。
原爆の犠牲者数は、69人で同じなのですが、勤労動員で建物疎開作業中に亡くなった犠牲者の人数が、原爆戦災誌では、34人になっていますが、「広島ガス100年史」では、30人と記載されています。さらに「100年史」では、原爆戦災誌にはなかった「爆心地から約2,200mの距離にあった広島工場では、従業員1人が即死した」ことが、記載されています。また本社に出勤していた社員数も原爆戦災誌では、約35人となっていますが、「100年史」では、「出勤していた社員30人は、本社の倒壊とともに全員が死亡した」と記載されています。
被爆前の広島瓦斯本社
原爆で破壊された本社社屋
どちらが正しいのか調べてみたいと思いますが、これが原爆被害の実相なのかなとも感じています。
原爆で焼きついたガスホルダーの階段の影
原爆資料館では別の写真が掲示されていますが、原爆の熱線の強さを示すものとして私たちがよく目にする写真です。「ガスタンクの表面が、熱線を受けて塗料のコールタールが焼け、階段で熱線がさえぎられて部分だけが、元のまま黒く残った」(広島平和機縁資料館総合図録より)。資料館の写真では「階段」ではなく「ハンドル」の影となっていますが、この写真は広島瓦斯広島工場に残った影を写したものです。
「広島ガス100年史」には、8月5日に当直していた従業員の証言が掲載されていますので、その一部を引用します。
「午前8時すぎ、私は工場を出て帰途についた。300メートルばかり歩いて専売局の前にさしかかったとき、とつじょ、焼けつくような閃光にみまわれ、とっさに道路の中央の電車軌道の上にとびだして身を伏せた。その瞬間、ごう然たる爆音とともに強い衝撃と熱風を全身に感じ、自分のすぐそばに爆弾が落ちたものと思いこんで周囲をみまわしたところ、そのとき、すでに両側の家々は瓦もガラスも飛び散って廃屋同然となり、なかには倒壊したものもみられた。私は急いで工場にひきかえしたが、ここも同様、建物の瓦やガラスがみじんに吹き飛んでいた。そして、2基のガスホルダーは、天井が裂け、頂骨が折れこみ、ガスが燃える間もなく瞬時に発散したらしく沈下してしまい、強烈な閃光のため、ホルダーの階段の影が不気味に濃く焼きついた側壁だけが残っていた。そのときになって、私は右顔面に激痛を覚えたが、出勤してきたばかりの従業員は、軽重の差こそあれ、全員、熱傷を負い、ガラスの破片などで外傷をうけており、とりあえず重傷者を安全な場所の移道としたとき・・・」(原文のまま)
原爆で焼失した広島工場
ここではガスホルダーと記載されていますが、ガスタンクのことだと思えますが、「階段の影」が強く印象に残ったことがよくわかります。
今日使用した写真は、上記の体験記とともに「広島ガス100年史」に掲載されている写真です。
「広島ガス100年史」、思いがけない出会いで、貴重な資料を入手することができ、新たな被爆の実相を知ることになりました。
いのちとうとし
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