ベトナムの歴史(その20) 抗仏闘争-3の5
ベトナム人餓死の一方、進駐日本軍には大量の米
下表は2019年9月4日の「ヒロシマとベトナム」(その4)で紹介しましたが、1941年度から1944年度までにベトナムから三井物産を通して日本に送られた米の量の統計です。
その4)の一節を以下、再掲します。
――日本からの「要求目標量」と輸送権を独占した三井物産の「買付実績量」、そして『日本に送られた量』を表しています。注目すべきは1944年度です。凶作で「買取実績」は目標の55%余りですが、制海権も制空権もなく輸送自体ができない状況のもと、日本に送られた量はその7.7%に過ぎません。すなわち、凶作で飢饉に苦しむベトナム人から「強制的に買い取った」米の92%余りは残っています。現地軍のための調達米は含まれていませんので、飢饉で餓死しているベトナムの人々の前には実に大量の米があったということです。なぜ?米を配給(返す)しなかったのか!問うだけ、むなしいのかも知れません。それが侵略であり、戦争なのだと思います。――
軍事物資生産のための転作の強要
第二は、日本の軍事的需要のために綿やジュート、落花生、ヒマ、胡麻など繊維性・油性植物の栽培を強制し、米や雑穀など食糧生産を減らしたことです。綿は主に兵隊の衣類だと思います。ジュート、ご存知ですか? 私たちが子どもの頃「どんごろす」と呼んだ麻袋や麻縄に使用される繊維で、アオイ科ツナソ属の植物です。
(「ジュート~地球に優しい素材」JUNKADO(株)Blogより)
落花生と胡麻は植物油の原料ですが、ヒマ(蓖麻)は東アフリカ原産のトウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ属で温帯地域では一年草、熱帯地方では多年草の植物です。毒性を持つ種子を絞ると、私たちも知っている下痢止めのヒマシ油(蓖麻子)になります。
ヒマ(蓖麻)に関する資料(下の写真)を見つけました。
「平和のいしずえ2006」に展示された戦時中のポスター、「荒鷲のために 蓖麻を栽培しよう」というものです。「蓖麻がなければ飛べません」と書かれていたのでヒマについて調べると、「優れた性状と潤滑性から初期の航空機用エンジンの潤滑油としても使用されていたが、航空機エンジンの高出力化と熱と酸化への安定性の不足から第二次世界大戦の頃には鉱油系が主力となった。」(ウィキペディア)とありました。
特攻を志願した予科練兵だった父から「敗戦直前、鳥取県内の松根油採取場を巡回していた」と聞いたことを思い起こしました。様々な思いが湧きますがまたの機会にします。
(テーマ展「平和のいしずえ2006」より)
いずれにしても、これらの軍事物資を生産するために必要な植物の栽培をベトナムの農民に強いたのです。「南のウクライナ」と呼ばれていた東南アジアの中でも肥沃な穀倉地帯を持つベトナムは米をはじめ穀物類を生産していましたが、日本軍進駐によって一変します。進駐前には5000㌶しかなかった綿やジュート、落花生、ヒマ、胡麻などの栽培面積は、1944年には4万5000㌶まで拡大します。
こうした転作の強制によって非常時に大きな役割を果たす穀物類の生産は大幅に減少した結果、甚大な飢饉被害が生じたのです。
ベトナム南部から北部への米輸送の減少
第三はベトナム南部から北部への米輸送の減少です。通常でも食糧生産の低い北部地域には肥沃な南部メコンデルタ地帯から北部地域に米が送られていました。しかし、日本軍の南方進出の拠点と化したベトナムに対するアメリカ軍の爆撃は激しくなったことと、日本の軍事的需要を満たすために日仏とも米の買付を最優先したため、南部から北部に向けた民生用の米の輸送が激減しました。
これら第一から第三の要因の結果、1945年1月頃から餓死者が出始め、その被害規模は短期間に深刻化し、200万人にも及ぶ餓死者を出すという大惨事に至ったのです。
「日仏共同支配」という支配形態をとっていたとは言え、その主たる責任は日本にあります。
数度にわたり日本軍の仏印進駐とそれがもたらした「200万人餓死」という未曾有の惨禍を見てきました。あらためて、「西欧列強からのアジア解放」という日本が掲げた大義名分が、実は「皇国ノ必要トスル重要物資ハ可及的ニ大東亜圏内ニテ確保シ、・・・皇国必須ノ重要物資ヲ優先的ニ皇国ニ輸出ヲナサシムル・・・・」という、アジア諸国を侵略・支配し、略奪を欲しいままにする帝国主義的な本質を隠蔽する以外何物でもなかったことを強く感じました。
次号では日本軍の仏印進駐期におけるベトナム解放(抗仏・抗日)闘争を見て行きたいと思います。
(2023年1月21日、あかたつ)
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