外国人の姿が目立つ平和公園
一夜明けた元日の昼過ぎ、再び平和公園を訪れました。二つの目的がありました。
一つは、当然のことですが、原爆慰霊碑に参拝し平和公園の様子を見ることです。
原爆慰霊碑前には、予想以上に多くの人の姿がありました。
特に気が付いたのは、ここだけでなく平和公園全域で、外国人の訪問者が多かったことです。半数とは言いませんが、三人に一人ぐらいの割合で外国人の姿を目にしました。この場に立って願うことは、誰もが核兵器の廃絶と平和への願いだと思います。今年が、そう願う人たちにとって、大きな変革の年となったと言えるような年にしたいものです。
資料館の入り口には入館待つ人の列が外まで延びていました。
館内をじっくりと見て広島の実相を少しでも深く実感してほしいと思います。
資料館南口横にある地球平和監視時計の上段「広島への原爆投下からの日数」は「28272」日、下段の「最後の核実験からの日数」は「472」となっています。
下段の日数が、さらに伸び続けるよう声を上げていきたいと思います。
資料館を訪れる人たちの列を見ましたので、北隣の被爆遺構展示館には、どれだけの人が訪れているのか気になりましたので、そこにも足を運びました。私が入った時には、一人だけ訪問者がいました。午前中に82人の入館者があったようです。資料館を訪れた人にここまで足を運んでもらうのには、もう一工夫が必要のようです。
二つ目の目的は、12月29日の中国新聞記事で紹介された中国からの留学生の遺影を国立広島原爆死没者追悼平和記念館地下2階の遺影コーナーで見ることです。
中国新聞の記事によれば、今回遺影が登録された中国人留学生の名前は張秀映さんです。広島で被爆した中国からの留学生は12人でしたが、うち6人が原爆死しています。張さんは原爆死した一人です。6人の生存者で現在も健在な被爆者は王大文さんただお一人です。留学生12人中11人がすでに亡くなっておられることになりますが、中国人留学生の遺影が登録されたのは張さんが初めてです。
この遺影は、1月1日から見ることができるということでしたので、登録日のこの日に訪れたいと思い遺影コーナーで検索しました。
追悼空間スロープの壁面に掲げられた「原爆投下に至る経緯や被害の概要」の6枚のパネルの3枚目には、中国人留学生が犠牲になったことが記されていますので、遺影が登録されたことは本当によかったと思います。
その後も平和公園内を散策し、帰宅しました。
いのちとうとし
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