在韓被爆者郭貴勲さんの訃報
元日の朝、メールを開くと大阪の市場淳子さん(「韓国の原爆被害者を救援する市民の会会長」)からメールが届いていました。
「新年のご挨拶をすべきところですが、悲しいお知らせをしなければならなくなりました。
今朝、郭貴勲さんのご長男から『2022年12月31日午後11時58分、郭貴勲さんが入院先の療養病院で亡くなられた』との知らせがありました。
昨日の午後3時半に郭さんのお子さんたちが、療養病院に面会に行かれ、郭さんはお子さんたちを認知されて手を振られたそうですが、その8時間後に息を引き取られたそうです。 」
享年98歳でした。いつかはこの日が来ると思ってはいましたが、実際にその日を迎えると本当に悲しく寂しい思いになりました。
郭貴勲さんとの出会いは、郭さんが「在外被爆者にも援護法適用を」と訴えて争った大阪地裁の裁判闘争の時からです。
大阪高裁判決後、政府が上告を断念し、在外被爆者への援護法適用が実現した時のことを、私は、当時のホームページに次のように記載しています。
「12月18日、坂口厚生労働大臣が記者会見し、『在外被爆者郭貴勲さんの大阪高裁判決の上告を断念する』と発表した。ついに『在外被爆者に対し被爆者援護法の適用』が実現した。
このニュースを議員会館の私の部屋で郭さんと一緒に聞いた時、心のそこから『本当によかった』という思いでいっぱいになった。
昨年4月に『在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会』を立ち上げ、事務局長を努めることになって以来多くの在外被爆者の皆さんとお会いした。
その度に、熱い思いで、そして大きな期待を寄せて話される被爆者の皆さんの声を聞きながら、なかなか前進しないことに何度も『申し訳ない』と心の中で思いつづけてきた。昨年10月に韓国を訪問したときほど、重い気持ちになったことはない。
ようやくそうした在外被爆者の皆さんに答えることができた。しかし、これですべての在外被爆者問題が解決したわけではない。『被爆者手帳を持っていない被爆者は』などなど課題が山積している。今回の上告断念を期に、裁判でも示された『被爆者はどこにいても被爆者』を本当の意味で実現させるため、さらにがんばる。」
郭貴勲裁判で、大阪高裁での勝訴判決で日本政府に上告を断念させ、その後の在外被爆者への被爆者援護法適用への道を開くことになったことは、私の短い国会活動の中でも、最も印象に残っていることの一つです。
「被爆者はどこにいても被爆者」
この郭さんの訴えが、在ブラジル、在米被爆者等の在外被爆者を結び、お互いの連帯と共闘の輪を作りました。
国会の議席を失った後も郭さんには、広島に来られるたびに声をかけていただきましたし、特に夏の原水禁世界大会では、毎回海外ゲストとして参加され被爆者の救援を訴えつづけていただきました。
私は、郭さんとお会いするたびに、会話を楽しみにし、元気な姿に励まされたものです。
郭貴勲さんとの最後の対話は、2017年の「被爆72周年原水爆禁止世界大会長崎大会」です。この年もいつものように夕食をともにしながら語り合ったことが思い出されます。
どうか安らかにお眠りください。
郭貴勲さんのご冥福を心からお祈りします。
いのちとうとし
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