ベトナムの歴史(その19-2) 抗仏闘争-3の4
「プロパガンダ説」を覆した日越合同調査
下の表は1992年~95年にかけて行われた日越共同調査によるもので、『ベトナムの1945年飢饉 歴史的証拠』(1995年、ベトナム歴史研究所)の資料です。現時点で被害をかなり正確に特定できる資料です。その下の地図は調査された23ヶ村をプロットしたもので筆者が作成しました。
私は専務理事を務める一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF)が、2009年以来交流を続けているクアンチ省以北が調査対象です。
最も餓死者率の高いのは524人の村人のうち382人が餓死したクアンイエン省のブイサー村の73.9%、23ヶ村全体では26,149人のうち7,361人が餓死、餓死者率は28.15%です。分析にあたったベトナム歴史研究所のVan Tao氏は、餓死者数を197万人と推計しています。
正確な餓死者数は特定できないにしろ、このかなり精緻な推計によって、「加害者側」からの不毛で悪意に満ちた「200万人餓死」の「プロパガンダ説」は終わったはずです。
しかし、「素朴な疑問がある。日本軍がベトナムを支配したのは昭和20年3月、クーデターを起こして仏植民地軍を追っ払ってから終戦までの5ヶ月間。どうやればそんな短期間に200万人を餓死させられたのか」などの主張も後を絶ちません。
200万人もの餓死者が出た原因ですが、「1944年秋から1945年春にかけた天候不順による不作」とする主張がありますが、主要な原因は日本軍進駐に伴う日仏共同支配によるものです。
武力を背景にした米の強制的な供出(買付制度)
その第一が「米の強制買付制度」です。
12月20日号(その18)で、〔天皇の治める国が必要としている重要物資を最優先に日本に送れ、・・・・さしあたり仏印に対し米、石炭、燐灰石、マンガン・・・・珪砂等を要求すること〕という1940年9月3日の閣議決定「対仏印支経済発展ノ為ノ施策」を紹介しました。
この方針に基づき実施されたのが「米の買付制度」です。米を市場価格の2分の1程度という極めて安価で強制的に供出させました。1942年の買付価格は60kg当たり11円91銭、1943年には同13円9銭、1944年には同14円28銭と記録されています。※なお、米の重量単位は現地の〔ピクル〕をkgに、通貨単位は現地の〔仏印ピアストル〕を1941年12月の日本の公定為替相場に基づき円に筆者が換算しました。
決済は一年据え置きで「特別円」とされ、さらに「戦争終結後に返済する」との条件でインドシナ銀行に立替えさせました。立替のためインドシナ銀行はピアストル紙幣を乱発。結果、インフレが襲います。44年には米の市場価格は78円8銭まで高騰しましたが、買付価格は前述の通り14円28銭に据え置かれたままでした。45年には市場価格は42年の70倍近くまで跳ね上がったと言われています。
こうした結果が1945年の「200万人餓死」なのです。
(2023年1月20日、あかたつ)
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