新しい年を平和公園原爆供養塔前で迎えました。
新年あけましておめでとうございます。
被爆画家田谷行平さんの絵馬
みなさんは、新年をどこで迎えられましたか。多くの方が自宅だと思いますが、私は今年初めて、平和公園の原爆供養塔まで迎えました。
昨年10月に、毎月6日に原爆供養塔まで行われている原爆犠牲者の月命日の供養に初めて参加したことはこのブログでも紹介しましたが、その時から年越しは、この場所でと思っていました。
除夜の鐘が遠く近く四方から聞こえる原爆供養塔の前に立ったのは、私一人でした。
原爆の最大の犠牲者は、一瞬のうちに命を奪われた人たちです。しかし多くが、自らの名前を証明することもできず、肉親のもとに帰ることもできなかった遺骨のうち約7万体が、原爆供養塔に眠っていることは、決して忘れてはならないことだと思います。
私は、その思いを新たにするためにこの場所で新年を迎えることにしました。
昨年末の読んだ「憲法9条と幣原喜重郎―日本国憲法の原点の解明」(笠原十九司著)は、日本国憲法の平和主義第9条がなぜ生まれたのかが、様々な資料に基づいて書かれています。その中に収録された対談の中で、「軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするというわけなのですか」との問いに対し幣原喜重郎(憲法改正原案をまとめて首相)が次のように答えています。
「確かに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出来た以上、世界の情勢は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短期間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰塵に帰してしまうことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。」
私はこのくだりを読み、改めて「広島、長崎への原爆投下の犠牲になった人たち」への私たちの誓いが憲法9条だということを確認しました。
被爆78周年を迎える今年、これまで確かに核兵器の使用は押しとどめてきましたが、ロシアのウクライナ侵略によって核兵器の脅威を身近のこととして実感させられているのが今の世界情勢です。幣原喜重郎のことばが重みを増しています。
2023年を戦争も核兵器もない世界にすることを誓う場所として、原爆供養塔ほどふさわしい場所はないと思い、2023年の新年を迎える場所としてこの場所を選んだのです。
原爆供養塔前から自宅に帰り、その決意がゆるぎないものとなるように今年も努力をしたいとの思いを込めてこのブログを書いています。
明るくなったらもう一度、平和公園を訪れる予定です。
いのちとうとし
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