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2022年12月24日 (土)

旧広島陸軍兵器支廠フィールドワーク-その1

今月18日の日曜日、「加害の歴史から広島を考える会」「廣島、ヒロシマ、広島を歩いて考える会」の2団体が主催する「軍都廣島フィールドワーク 旧広島陸軍兵器支廠周辺の遺構を歩こう」が、開催されました。

もともとは、4日に予定されていたものですが、講師の都合で延期となった企画です。

午前9時から、段原公民館で藤野次史先生(広島大学名誉教授)を講師に、事前学習が行われました。と書きましたが、実は当日この冬一番といわれる寒波が襲来し、藤野先生の到着が遅れました。後で藤野先生にお聞きをすると「自宅の緑井は、朝7時には雪はまだちらちらという降り方だったのですが、いざ家を出ようと思って8時過ぎには、家の周りは雪が積もっており、とても車では行けないと急きょ公共交通手段に乗り換えたため遅れてしまいました」という事情だったようです。

藤野先生の到着が遅れるということで、急きょ「太田川漁業協同組合事務所(安佐北区可部町今井田)として使用されている亀山水力発電所の保存運動」の紹介がありました。この発電所は1912年に建設されたレンガ造りの建物です。この建物が、安佐北市民病院の移転に伴う道路拡幅工事のため、取り壊しされる計画があるため、貴重な建物として保存しようと運動が始まったところです。

Photo_20221223152201

旧亀山水力発電所

こちらの話も興味ある内容ですので、ぜひ改めて紹介したいと思います。

少し遅くなったのですが、講師の藤野先生が無事に到着されたので「広島大学霞学区の旧広島陸軍兵器補給廠(支廠)の遺構」と題しての講演が始まりました。

20221218_100509

広島大学医学部と広大病院が建っている場所には、現在は全て取り壊されていますが、戦前広島陸軍兵器補給廠がありました。

Photo_20221223152301

広島郷土資料館発行「陸軍三廠」より

そのため広島大学は、この場所の建て替えに伴い、遺構や遺物の発掘調査を行っていますが、藤野先生は、その発掘調査の責任者として調査を進めてこられました。

私たちは、この遺構を呼ぶときに普通「旧広島陸軍兵器支廠」と呼んでいますが、1940年(昭和15年)に、従来の兵器廠に造兵廠が加わり兵器廠が誕生し、名称も兵器支廠から兵器補給廠に代わり、そのまま終戦を迎えていますので、正確には藤野先生が書かれているように「旧広島陸軍兵器補給廠(支廠)」と呼ぶのが正しいようです。

広大霞キャンパスの全体の発掘調査が実施されていますが、今回は、現在西側立体駐車場が建っている敷地内北側の発掘調査からわかったことが紹介されました。上の地図の左上部、第14兵器庫、第4未填薬弾丸庫が建っていた当たりの場所です。

Photo_20221223152401

西側立体駐車場の発掘現場(手前が東)

これまでの調査で、建物跡、兵器庫跡、軽便鉄道軌道後、石組排水路、コンクリート敷き道路跡、池跡などが見つかっていることが発掘時の写真を示しながら報告されました。

1時間余りの調査報告が終わり、いよいよ現地に移動しましたが、その様子は26日以降に紹介します。

いのちとうとし

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