過去に類を見ない過酷な「二重の軛(くびき)」時代
幾度もの他国による侵略と支配を受けたベトナムの歴史の中でも、「二重の軛(くびき)」と呼ばれる最も過酷な時期がありました。フランスの植民地支配に加え、日本軍に侵攻・支配された第二次世界大戦中のことです。
ベトナムは1847年のフランス艦隊によるダナン攻撃に始まる侵略を受け、1884年にフランスの植民地になります。1887年、フランスはベトナムとカンボジアをフランス領インドシナ連邦とし、1889年にはラオスを加えインドシナ3国を支配下に置きます。
そのベトナムに1940年9月22日、日本軍が北部印度支那(ベトナム北部地方)に侵攻し、日本の敗戦まで駐留(支配)を続けます。ベトナムはその間に200万人を超す餓死者を出します。それは過去に類を見ない犠牲者数であり、ベトナムの歴史上でも最も過酷なものでした。
ベトナムの人たちは、この過酷な時代-日本とフランスに二重に搾取された時代-を象徴して、「一つの首に二つの首枷」と表現します。
(ベトナム歴史秘話~南部仏印進駐での「日本軍サイゴン入城の軌跡」を解明する~より
(ベトナムに侵攻する日本軍 Wikipediaより)
日本軍の印度支那侵攻
「200万人の餓死」については次号で述べることにして、日本軍のインドシナ侵攻を理解するために、当時の状況について触れたいと思います。
明治維新、戊辰戦争(注1)で封建制度の殻を破り資本主義へと歩み始めた日本は、殖産と富国強兵政策を進めます。1894年に日清戦争に勝利し台湾を併合、10年後には新興帝国主義国として朝鮮半島の利権をめぐり露西亜と戦い(日露戦争)、日本海海戦と旅順の戦いで勝利します。
その後、1931年の柳条湖事件(注2)に端を発した満州事変、1937年の盧溝橋事件(注3)によって中国との全面戦争へと突き進みます。首都南京を攻略したもののアメリカ、イギリス、ソビエトから大量の物資支援を受けた蒋介石が率いる国民党軍と毛沢東が率いる共産党軍による抗戦により戦いは泥沼化します。
ヨーロッパでは1939年9月、ナチスドイツのポーランド侵攻よって第二次世界大戦が始まり、インドシナ3国を植民地支配しているフランスは1940年6月にドイツに占領され、ナチス傀儡政権ヴィシー政権が誕生します。
こうした中で「援蒋ルート」と呼ばれる支援ルートを遮断するためとして1940年9月22日に北部仏印(ハノイ)侵攻、翌1941年7月28日には南部仏印(サイゴン:現在のホーチミン)に侵攻します。真珠湾奇襲攻撃と南方作戦が行われたのは1941年12月8日ですから、その1年余り前のことです。
太平洋戦争へと突き進むターニングポイントになったベトナム侵攻
1940年8月16日に閣議決定された「南方経済施策要綱」には次の様に書かれています。太字と( )内の記述は筆者によります。
一、南方経済施策ノ目標ハ支那事変処理上並ニ現下世界ニ生成発展ヲ見ツツアルブロツク態勢ニ対応スル国防国家建設ノタメ皇国ヲ中心トスル経済的大東亜圏ノ完成ニアリ。
二、南方各地帯、地域ノ経済施策ノ軽重緩急ハ左記ニヨル。
イ、仏領印度支那、泰国(タイ)、緬甸(ビルマ)、蘭(オランダ)領印度、比律賓(フィリピン)、英領馬来(マレー)、英領ボルネオ、葡(ポルトガル)領チモール等ノ内圏地帯ノ施策ニ重心ヲ置キ、英領印度、濠洲(オーストラリア)、新西蘭(ニュージーランド)等ノ外圏地帯ハ第二段トス。
〔支那事変(日中戦争)の泥沼化により疲弊する経済・国家状況に対処し、天皇の治める日本を中心とする大東亜共栄圏を完成させること〕、〔その対象地域は仏領印度支那(ベトナム、ラオス、カンボジア)、タイ、ビルマ・・・・を重点とし、印度、オーストラリア、ニュージーランドなどは第2段とする〕としています。
さらに、同年9月3日には「対仏印支経済発展ノ為ノ施策」が閣議決定されます。
二、皇国ノ必要トスル重要物資ハ可及的ニ大東亜圏内ニテ確保シ、・・・皇国必須ノ重要物資ヲ優先的ニ皇国ニ輸出ヲナサシムル・・・・、差当リ仏印支ニ対シ米、石炭、燐灰石、マンガン、工業塩、錫、生ゴム、亜鉛、珪砂等ニツキ輸出ノ保障ヲ要求スルコト・・・・
〔天皇の治める国が必要としている重要物資を最優先に日本に送れ、・・・・さしあたり仏印(ベトナム)に対し米、石炭、燐灰石、マンガン・・・・珪砂(けいさ)を要求すること〕とあります。〔食糧・物資不足に喘ぐ日本国内に向けて速やかに、米などの重要物資を送れ〕ということです。結果、1944年秋から1945年4月頃までの極めて短期間に200万人もの餓死者が出たのです。
この仏印侵攻が鉄屑の全面禁輸、航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制、 日本の在米資産凍結、石油の対日全面禁輸などを招来させます。そして、10年にも及ぶ泥沼の日中戦争から太平洋戦争へと突き進み、ヒロシマ・ナガサキの惨禍を招いたと言えます。
(注1)戊辰戦争:1868年(明治元年)~1869年(明治2年)、王政復古を経て明治新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本最大の内戦。
(注2)柳条湖事件:1931年(昭和6年)9月18日、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖付近で、大日本帝国の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用。
(注3)盧溝橋事件:1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争の始まりとなった事件。日本軍への発砲をきっかけに交戦状態となったが、誰が発砲したかについては現在も定説はない。
(2022年12月20日、あかたつ)
【編集者】あかたつさんから「ベトナムの歴史(その19)抗仏闘争-3の2」の原稿も届いていますので、22日もしくは24日の掲載します
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