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2022年11月20日 (日)

ベトナムの歴史(その17) 抗仏闘争-2

20世紀初頭の抗仏闘争を牽引したファン・ボイ・チャウ

前号でベトナムの封建制度を支えてきた阮(グエン)王朝の人臣たちによる19世紀半ばから19世紀末の第1期、第2期「抗仏闘争」(攘夷勤王運動)を見てきました。今号では第3期に入った20世紀初頭の「抗仏闘争」を見てゆきたいと思います。

先ず挙げられるのがファン・ボイ・チャウの「東遊(トンズー)運動」です。チャウはベトナム中部(アンナン)に加え南西部(コーチシナ)全域がフランスの植民地支配に入った1867年、ベトナム中北部のゲアン省で儒学者の家に生まれます。日本では大政奉還により1603年以来、260年余続いた幕藩体制が崩壊した年です。

そのチャウが組織したのがベトナムの若者を日本に留学させる「東遊(トンズー)運動」で、20世紀初頭の抗仏闘争を全国的かつ広範な人々による民族運動へと導きました。しかし、チャウの「東遊(トンズー)運動」は成功せず、フランス官憲に逮捕されフエでの長い軟禁生活の後、1940年に亡くなりました。

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フエのチャンティエン橋のたもとに佇むファン・ボイ・チャウの石像

「東遊(トンズー)運動」 なぜ日本に?  そして、その日本は

ところでチャウは、なぜ日本に若者を留学させたのでしょう。そのことを理解するために、当時の日本を含むアジアの状況を見てみましょう。

アヘン戦争や仏越戦争でイギリス、フランスによるアジアの植民地化が進むなか、日本は明治維新による西欧近代化と富国強兵を進めます。清国(中国)は朝鮮半島の利権確保を狙い、露西亜は清国と朝鮮半島を狙うという、まさにアジアは帝国主義的争いのるつぼでした。日本は1894年、アジアの大国・清国と朝鮮半島の利権を争う日清戦争に勝利し、台湾と遼東半島を割譲支配します。続いて1904年、日本は日露戦争でバルチック艦隊と旅順守備隊を破ります。

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列強による中国分割を風刺した漫画(左よりドイツ皇帝(ヴェイヘルム2世)、フランス大統領(ルーベ)、露西亜皇帝(ニコライ2世)、日本の天皇(明治天皇)、アメリカ大統領(ルーズヴェルト)、イギリス国王(エドワード7世)

こうした一連の出来事はフランス植民地支配と闘うベトナムの人々に、「東洋の小国ジャポンが大露西亜帝国を破った」という驚きと、「日本を倣へ」という気運を募らせます。チャウもフランスと覇権を争っているイギリスと同盟関係にあり、軍事・政治・経済の近代化を進める日本で学び、「新しい社会を建設するための力を持った青年を育てよう」と考えたのです。

1904年春、チャウは20名ほどの同志とともにベトナム中部・クアンナムに集まり「維新会」を結成します。会主(党首)には阮王朝の皇位継承者の一人であるクォン・デ候(注1)が就きます。チャウとクォン・デ候は来日し、犬養毅や大隈重信などの協力を得ながら、1905年~1908年の間に200余名の留学生を日本で学ばせます。

ところが大きな弾圧の波が襲ってきます。帝国主義的国として台頭しつつあった日本は1907年にフランスと「日仏協約」を締結します。フランスが朝鮮における日本の優越的地位を認めると同時に、フランスのインドシナ支配を日本が認めるという内容です。

フランスは協定に基づきチャウとクァン・デ候、留学生の引き渡しを求めます。日本政府は留学生の引き渡しには応じますが、チャウとクォン・デ候については拒否します。しかし1909年、日本政府は遂にチャウとクァン・デ候に国外追放命令を出します。

 

(2022年11月20日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんから届いた原稿「ベトナムの歴史(その17)」を今日明日の2回に分けて掲載します。

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