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2022年11月10日 (木)

上関町長選挙結果を考える

 10月23日の投開票で、上関町長選挙と町会議員の補欠選挙が実施されました。

上関町に原発建設の計画が公けになったのは1982年、翌83年に原発問題を争点とした初めての町長選挙が実施されています。今でも鮮明に覚えています。あれから12回目の町長選挙となったのです。

 83年の時、原発推進派が得た票数は2871票で57,5%、反対派として立候補されたのは元学校長の向井丈一(むかい じょういち)さんでした。選挙中は向井さんの自宅に泊まらせてもらい応援したものです。この時の向井さんの得票数は、2121票42,5%でした。

 上関原発計画が浮上して40年ですから、4年毎の選挙だと11回選挙が行われることになるのですが、2003年には2回の町長選挙が行われました。理由は、原発推進で立候補した女性候補陣営で選挙違反事件が起こり、この町長は就任後すぐに辞職し再度選挙が行われたのです。

 この度の選挙、病気で辞職した柏原重海(かしわばら しげみ)前町長、去年頃から体調を壊して入退院を繰り返していました。町長としての仕事は副町長が代行していました。柏原さんは基本的に原発推進派ですが、福島原発事故以降は原発推進を強く打ち出すことをトーンダウンしていたようでした。

2011年、福島原発事故の年に行われた選挙は、全国的にマスコミが注目していましたが、柏原さんの選挙ポスターなどには、『原発建設推進』という言葉は在りませんでした。

その後、15年と19年に実施された2回の選挙は、無投票で柏原さんが町長に選ばれました。そして健康上の理由で辞職を表明、柏原さんの考えに近い副町長が立候補するのなら反対派も立候補しないで、またもや無投票かと思われていました。しかしこの副町長は立候補しないことになり、推進派が候補者擁立に動き出しました。

推進派からは、原発計画地の四代(しだい)地区に住み原発問題が浮上した当初からの町会議員か、この度町長になった西哲夫(にし てつお)さんかなと予想していました。僕はこのどちらが立候補したら、無投票にしてはならないと思いました。西さんは原発推進を強く出す人で、運送業をしており町議会議長もしていた関係で、知名度は高い人でした。

そういう中で反対から立候補された木村力(きむら つとむ)さんには、「ありがとうございました」という感謝の気持ちでいっぱいです。

Img_7184

 選挙結果についてはマスコミで大きく報じられていますから、重複は避けますが、『原発推進派 最高の得票率』『投票率は最低』とされています。

 そこで僕なりに選挙結果を分析してみました。木村さんの得票数は486票です。反対運動の拠点といわれている祝島の投票数が239票、9割の人が反対として215票、486票から215票を引くと271票、この数は本土側から得たことになります。

僕は本土側で表立った反対運動をしている人を、50人ぐらいしか知りません。しかし271票が出ているのです。原発推進の締め付けが厳しい本土側で、この数字は大きいと思いました。

 またこの度の選挙戦では、若い人の活躍が見受けられました。町議補欠選挙に反対側から立候補した堀田圭介(ほった けいすけ)さんは、北海道からのIターン者、祝島でコーヒー店をやっている56歳、まだまだ若い方です。

 新設の原発建設計画である上関、町長選挙の結果だけで建設が進むというものではないでしょう。日本の中で、新設は上関計画が唯一です。政権の中から聞こえてくる「新増設」という声、この計画を止めるのは私たち全員の課題だと思っています。

木原省治

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