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2022年11月 5日 (土)

ヒロシマとベトナム(その38-1) ベトナム象、広島を歩く-2

ベトナム象、いよいよ長崎を出立

日本に来て9ヶ月余り経った享保14年(1728年)313日の午後、いよいよベトナム象は江戸に向けて354里(約1400km)の旅に発ちます。まずは長崎街道25宿・57里(223.8km)の踏破の旅程です。

Photo_20221104085601

(上は、記録や文献などをもとに筆者が作成しましたが、未完成です。見にくいと思いますので、クリックして拡大して見てください。)

つがいの雌象を亡くし、憔悴のなかで出立した雄象の旅は初日から大変だったようです。

岡山藩に残る『象御領内通候一件』(注1)に、3月23日付けの伊木豊後(注2)から伊庭平内(注3)に宛てた手紙に、「一 象の儀につき、追先触、並びに聞き合わせ書付け写し、左の通り」として、「象長崎表昨十三日出立せしめ候ところ、風雨強く、山越え難く、中途に止宿故、今日矢上村着せしめ候間、人馬等の支度その御心得これあるべく候、尤も、去る九日に差し出し候、先触の通りに、次々相達せらるべく候  二 雨天の節、山坂にてすべり道これある所、川砂にても海砂にても敷き候ように頼み存じ候、尤も、石高なる所は、石御取りのけ是又頼み存じ候」と書き送られています。

Photo_20221104081801

(岡山藩に残る「像御領内通候一件」)

これによると長崎を出発したベトナム象一行は、“13日に長崎→日見宿→矢上宿を経て永昌宿(えいしょうじゅく)へ向かう途中に豪雨に見舞われ、山越えができず予定していなかった矢上宿に舞い戻った”ようです。こうした事態を受け、あらためて“人馬などの支度について以前に出した触れに従って欲しい”ことに加え、“雨で滑りやすくなった山坂道では川砂でも海砂でもよいから敷くように。また落石など危険な所では石を取り除くようにして欲しい”という追加の触れが長崎奉行所から各藩に発せられ、その内容が岡山藩筆頭家老の伊木豊後からから藩士である伊庭平内に伝えられたものと考えられます。

こうして、当初から苦難の江戸354里の旅が始まりました。

命がけの旅、初日から難渋

長崎街道は、全国にある当時のメイン道の一つであり、今日の高速道路に匹敵します。海外との交流を閉ざした日本ですが、唯一開かれた長崎港に通じる街道として長崎奉行や出島のオランダ商館長が江戸との往復に使い、また九州の諸大名の大名行列や献上品・交易品などが運ばれた街道です。

しかし、その行路は険しく、危険なものでした。「水杯を交わし旅に出る」と言われるほど、当時の旅は大変だったようです。ちなみに長崎街道最大の難所は「九州の箱根」と呼ばれた冷水峠(ひやみずとうげ)(注4)です。

ではなぜ、8代将軍・徳川吉宗は船ではなく陸路を運ばせたのでしょう。不思議ですね。

ある人に“ベトナム象が西条四日市宿を通って江戸まで歩いた”という話をしたとき、「ベトナムから船で来たのなら、なぜ船そのまま江戸まで運ばなかったの」と尋ねられ、「ウーン・・・、歩かせることに意味があったのじゃないの・・・」と答えましたが、「享保の改革」を断行した俊腕将軍ですので、単なる思いつきでベトナムから象を取り寄せたり、船で運べば早く見られたのに、危険で時間のかかる陸路をわざわざ運ばせた理由が何かありそうです。

それらについては旅が終わる頃までに探ってみたいと思います。

(注1)『象御領内通候一件』:池田家文庫(岡山大学附属図書館所蔵)の岡山藩政史料〔象の旅 (pref.okayama.jp)

(注2)伊木豊後(いきぶんご):時代から見て岡山藩筆頭家老の伊木忠興と思われます。

(注3)伊庭平内(いばへいだい):岡山大学「『池田家文庫』諸職交代データベース」によると禄高1,000石の寄合職。どのような役務に就いていたのかは不明。

(注4)冷水峠(ひやみずとうげ):長崎と小倉城下を結ぶ長崎街道最大の難所として知られ、「九州の箱根」の別名もある。残された峠越えの石畳は、黒田官兵衛の発案で息子・黒田長政の命を受け、『黒田節』で名高い母里友信(名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話が『黒田節』に歌われています)が完成させたものと伝えられています。

(2022年11月5日、あかたつ)

【編集者】「ヒロシマとベトナム(その38)」は2回に分け、つづきは明日掲載します。

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