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2022年11月29日 (火)

原爆納骨安置所と佐伯敏子さん

26日(土)午前10時からアステールプラザで開催されたワールドフレンドシップセンターの「Hirosihimaをつ・た・え・る基礎講座」・「中川幹朗さんに聴く2カ月連続企画『原爆納骨安置所と佐伯敏子さん』」に参加しました。10月は、フィールドワークが行われたようです。

今回の講師であるヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の中川幹朗さんが編集した「原爆納骨堂を守り続けて 佐伯敏子さんの証言」が発刊されたことを10月21日の中国新聞「小山田浩子の本棚掘り」で知り、この本を入手したいと思っていました。

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そう思っていたところに届いた東京の竹内良男さんの「ヒロシマ通信」1820号(11月20日)にワールドフレンドシップセンターの企画が紹介されていましたので、早速申し込みをするとともに、中川さんにも電話を入れ、「証言集」を申し込みました。

当日の中川さんの話は、「原爆納骨堂を守り続けて 佐伯敏子さんの証言」に出てくる話を中心に、中川さんと佐伯敏子さんとのかかわりなど、わかりやすい話が続きました。講演が始まる前に中川さんからこの本を入手し、本を見ながら講演を聞くことができましたので、理解が深まったような気がします。といっても、ここで全てを紹介することはできません。

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一番印象に残ってことは、原爆納骨安置所(原爆供養塔)に納められた遺骨の遺族探しの話でした。名前が分かっていながら遺族のもとに帰ることのできない遺骨の引き取り手を探し始めた佐伯さんは、わずか半年の間で10人の遺骨を遺族のもとへ返すことができました。その佐伯さんの行動が、広島市を動かし昭和50年(1975年)、被爆30周年事業として「原爆供養塔の納骨名簿」が一枚の大きな紙に印刷されて県内だけでなく全国の自治体に送られ、一定期間、各役場の掲示板に掲示されることになったのです。それは、今も続いています。

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中川さんの話の中に、何度も堀川惠子著「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」が登場しました。私も読んだことのある本ですが、中川さんの話を聞くまで、すっかり忘れていました。

帰宅後、「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」を棚から取り出し、ページをくくりました。「第4章 原爆供養塔とともに」で佐伯さんの遺骨の遺族探しの様子が詳しく記載されていますが、そこに1975年から始まった「原爆供養塔の納骨名簿」のことも紹介されています。「たまたま掲示板の前を通りかかって亡き人の名前を見つけたという遺族が、全国から何組も訪れた。この年だけで107人の遺骨が遺族のもとに帰っている。」

佐伯さんの行動が、どれだけ多くの遺骨を遺族のものに返すことにつながったのか、感動する思いで、佐伯さんと身近に接してこられた中川さんの話を聞きました。

「原爆納骨堂を守り続けて 佐伯敏子さんの証言」には、2017年12月3日に東京で行われた「佐伯敏子さんを偲ぶ会」での参列者の話しとともに、ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の最初の出版「証言 原爆納骨安置所と佐伯敏子さん」が再録されています。2004年に発刊されたこの本は未入手でしたので、今回の出版は、私にとってありがたいものとなりました。

いのちとうとし

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