ヒロシマとベトナム(その38-2) ベトナム象、広島を歩く-3
豪雨で越せなかった「井樋ノ尾峠」(?)
こんな調子で江戸までの象の旅を紹介していたのでは「日が暮れる」ではなく「年が暮れ」てしまいますので、とにかく「初日の象旅」に思いを馳せながら今号を締めくくりたいと思います。
豪雨で山を越せなくなったのが一体どこなのか不明ですが、想像してみます。矢上宿から永昌宿の間には結構の難所である井樋ノ尾峠(いびのおとうげ)があります。写真2枚は、「道しるべ-自然歩道を行く」で紹介されている井樋ノ尾峠の写真です。
おそらく、矢上宿を出たベトナム象一行は、空模様が怪しくなる中、井樋ノ尾峠に差しかかります。次第に風雨は強くなります。“将軍様にお届けする大切な象様。遅れることなく、一時も早く江戸にお届けせねば”と、長崎奉行所の役人に率いられた一行はぬかるんだ坂道を必死に登ったことでしょう。象も人も足を滑らせながら登りますが、ついに上れなくなり、仕方なく矢上宿に戻ることにします。
(「道しるべー自然歩道を行く」に紹介されている井樋ノ尾峠の写真)
こうした悪戦苦闘のすえ、ずぶ濡れ・泥だらけで矢上宿までたどり着くという惨憺たる旅の初日だったのかも知れません。
長崎を出て3日目、象は牛津宿を通過しました。下の絵はJR牛津宿駅前ロータリーに設置されている江戸時代の牛津宿の様子を描いた陶板パネルで、ベトナム象の一行が描かれています。見たこともない珍獣の行列を見送った人々の感動は大きかったのでしょう。こうして当時の当時の記憶が今日に伝えられています。
(往事の牛津宿の様子を伝える陶板パネル)
(陶板パネルにはベトナム象の一行も描かれています)
その後、「九州の箱根」(冷水峠)越えでも難渋しながら10日間かけてベトナム象は長崎街道を踏破し、3月24日に小倉城下につきます。
次号では、長崎道を踏破し西国街道(旧山陽道)に入った「ベトナム象」を追いつつ、調べるきっかけになった象と一緒に「東広島の地を踏んだ初めてのベトナム人」は誰だったのか報告したいと思います。
(2022年11月6日、あかたつ)
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