「デニー知事トークキャラバンin広島」に参加しました。
沖縄県が主催する「チムグクル(思いやり 優しさ)で考えよう デニー知事トークキャラバンin広島」が昨日(12日)午後2時から広島市青少年センターで開催されました。
この集会は、玉城デニー沖縄県知事が、全国各地に出かけて「沖縄県の基地問題と基地負担の現状、中でも、喫緊の課題である普天間飛行場の危険性の除去と辺野古新基地建設問題及び日米地位協定の問題について、一緒に考えてみませんか」を訴える企画として開催されているものです。
講演会は、沖縄の榎森耕助(せやろがいおじさん)の司会でスタートしました。
最初に玉城沖縄県知事から「沖縄の基地問題」と題した講演があった後、4人の参加者によるトークセッションが行われました。
玉城知事の話しは、「コロナで2年間中止を余儀なくされていましたが、知事選挙で再選された初めてのトークインキャラバンの地として広島の地を選びました。昨日広島入りし、今日資料館を見学し、本当に二度とこんなことをやらせてはならない。沖縄と痛みを共有することができました」からスタートし、続いて自己紹介です。「アメリカ兵だった父の母国であるアメリカに渡航することを前提に『デニス』と名付けられたこと。小学4年生で『幸助(泰浩)』に改名したが、子どものころから『デニー』の愛称で呼ばれていたので、今そのデニーを使っている」などなど。
建議書を岸田首相に手渡す玉城沖縄県知事
そして本題の基地問題です。冒頭、在沖縄米軍基地の現状地図をパワーポイントで示しながら「沖縄の米軍基地専用施設面積は、18,484ha。この面積は、広島市の面積90,669haの2割(20.4%)にあたります。広島市の地図を頭にそのことを想像してみてください。」「米軍専用施設の70.3%が沖縄に集中していますが、広島県は、1.3%第8番目です。」身近な問題として考えてほしいという思いが伝わります。
この後、沖縄で起きた米軍による事故・事件、日米地位協定の問題点、特に、NATO諸国と著しい国内法適用の違い、そして辺野古の軟弱地盤の問題を指摘し「辺野古が唯一の解決策ではない」ことなどが報告されました。復帰50周年の今年5月「平和で豊かな沖縄実現に向けた新たな建議書」(新たなというのは、復帰時に「復帰措置に関する建議書」が作られていたため)を作ったことも紹介されました。最後の「子どもたちがどういう地域に住み暮らすのかは、全国どこでも考えなければならない問題だ」と提起された言葉が印象に残っています。
玉城デニー知事の講演は、当初30分の予定となっていましたが、50分の熱弁となりました。それだけ、広島への強い思いがあったからだと思います。
知事の講演の後のトークセッションは、柳澤協二のコーディネートでスタート。トーク者は、野村浩也さん(広島修道大学人文学部教授)、宮崎園子さん(ジャーナリスト元朝日新聞記者)、田中美穂さん(核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)共同代表)の3人で、いずれも広島で活動中のみなさんです。
みなさん自分の体験からの貴重な話でしたが、中でも野村浩也先生の「基地問題は差別の問題。沖縄では66.3%の人たちが、差別的だと思っているのに、本土側では差別という意識がない。沖縄に基地を押し付けているという事実をすることが大事だ」という提起が頭に残っています。
最後に玉城知事は、「みんなが当事者。国民が強く関心を持てばその方に政治は動いていく。」との提起があり、「デニー知事トークキャラバンin広島」は終了しました。
今回の企画は、会場での聴講とオンラインでも聴講できました。会場の参加者は、500名が目標だったようですが、628名の会場の7割弱ぐらいの席が埋まったように感じました。やはり知事の話を直接聞きたいと思われた人たちが多かったと思います。私もその一人です。
いのちとうとし
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