「原爆納骨安置所と佐伯敏子さん」余話―中島竜美さんと佐伯敏子さん
29日のブログで紹介したワールドフレンドシップセンターの「Hirosihimaをつ・た・え・る基礎講座」・「中川幹朗さんに聴く2カ月連続企画『原爆納骨安置所と佐伯敏子さん』」「原爆納骨安置所と佐伯敏子さん」の余話です。
講座の前日、佐伯敏子さんの被爆体験記を所有していることを思い出し、読んでおこうと思い書棚を探しました。「十三人の死を見つめて 佐伯敏子」という赤表紙の小さなパンフ(18cm×13cm)が、すぐに見つかりました。
26日の中川さんの講演では、「佐伯さんの証言集は、1968年7月に最初の証言集『原爆の手記』が発行されて以降15冊ある」ことが紹介されましたが、私が持っている証言集は、1972年8月6日に第4番目の証言集として発行されたものです。
読み終えて最後の奥付を見ると「発行所東京都世田谷区上野毛4の33の20 中島竜美方」と書かれています。
「えっ中島竜美さん?」 どういう関係なんだろうと思い「中川さんに聞いてみよう」と会場に出かけました。
私の頭の中の中島竜美さん(2008年逝去 享年80歳)は、在外被爆者問題の専門家ということしかなかったからです。中島さんと私の直接の関わりは、私が2001年4月に国会に「在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会」を作った時から始まりました。その後郭貴勲裁判を始めとする在外被爆者裁判の支援者として、度々打合せを行い、色々とアドバイスをいただきました。
講演が終わった後中川さんに「この証言集に中島竜美さんの名前があるのですが、佐伯敏子さんとはどんな関係ですか」と尋ねたところ、中川さんから以外の答えが返ってきました。
「堀川惠子さんの『原爆供養塔』は、中島竜美さんが持っておられた資料を基にして書かれたものなんですよ。中島さんが、早くから佐伯さんのことを取材され、いつか本にしたいと思われていたのですが、急逝されて実現しなかったのです」
中島竜美さんが、平岡敬さんなどとともに早くから在韓被爆者問題にかかわってこられたことは、それなりに知っていたのですが、佐伯敏子さんとのかかわりも深かったことを初めて知りました。
改めて堀川さんの「原爆供養塔」を開いてみると、あとがきで次のように記されています。
「佐伯敏子さんを十数年がかりで取材し、執筆の計画をあたためながら2008年に急逝したジャーナリスト、中島竜美さんのご家族からは、大切な遺品をお預かりしました。氏の綿密な取材ノートは、被爆者の人生から被爆証言を美術品のように取り出すのではなく、ひとつの人生に徹底して寄り添おうとされていることを深く感じさせられるものでした。中島さんのおかげで、より詳細な取材を行うことができました。」
この「原爆供養塔」は、中島竜美さんの思いのこもった本でもあるなと、改めて読み返しています。
中島竜美さんと直接お話をすることは、本当に短い時間でしたので、私が知っている中島さんは、ほんのごく一部の姿でしかありませんでした。
ありし日の中島さんの姿を思い浮かべながら、もっともっと学ぶことがあったのにと、思わずにはいられません。
いのちとうとし
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