「不思議な石碑」の顛末-その1
今月1日のブログ不思議な石碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で、「平和公園内に、石碑はあるが、それに該当すると思われる樹木が見つからないものがある」ことを紹介し、最後に「広島市からの回答を待って紹介したいと思います」と書きました。
広島市から「ようやく説明する準備ができました」と連絡があり、担当課の公園整備課を訪れ、山本康男さんから丁寧な説明を受けましたので、今日はその報告をします。
昭和36年(1961年)に西ドイツ教授団から贈られた「オーシュナラ」です。
石碑には「オーシュナラ」と刻まれていましたのでその名前で紹介しましたが、正式名称は「オウシュウナラ」だそうです。
この木は、平成31年度(2019年度)に枯れました。広島市から提供を受けた元気だったころの写真(一部修正しています)です。
「元気だったころ」と書きましたが、枯れ死した前年の平成30年(2018年)に、少し樹勢が弱ったため、園芸業者に点検をしてもらった時に撮影された写真です。後ろに白く映っているのが国立原爆死没者追悼平和記念館です。園芸業者さんと比べてもかなり大きな木に育っていたことがわかります。ただ、この写真をよく見ると、根元部分が腐っているように見えますので、これが原因で枯れたと思われます。紹介した石碑がこの写真には映っていませんが、ちょうど業者さんの影になっているようです。
広島市は、寄贈を受けた木が枯れたり倒木した場合、新しい苗木を植樹することにしていますので、この木も苗木を探しているようです。
しかしこのオウシュウナラは、国内ではあまり需要がない木のようで、品種改良されたものはあるようですが、該当する苗木がまだ見つかっておらず、植え替えが遅れているようです。ですから植え替え時期は未定です。山本さんの話では、はっきりとは言えないのですが、最近ようやくメドが立ちそうになってきたとのことですので、そんなに遅くない時期に植え替えが実現するかもしれません。
オウシュウナラのことを調べてみると、ドイツの「国樹」となっていました。西ドイツ教授団から贈られた意味が理解できました。
長崎から贈られた「ナンキンハゼとアジサイ」、峠三吉の碑のバラについては、改めて紹介します。
10月1日のブログの最後に紹介した曼珠沙華の写真がスマホにあったので見てもらったところ「へー、初めて見ました。きっと誰かが植えたのですね。この花は、球根で育ちますので、どこからか飛んで来たということはありませんから」と教えていただきました。
いのちとうとし
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