原爆犠牲者の月命日の法要-その2
7日に掲載した「原爆犠牲者の月命日の法要」のつづきです。
供養のための読経は、供養塔の北側で行われます。
吉川住職と一緒に、供養塔の北側に移動すると、すでに10数人が集まっておられました。私の知っている人の顔も何人か見えます。
納骨堂の入り口のところで供養の準備が進んでいました。入り口で二人が、和ろうそくと思われるロウソク1本に火を灯しています。花入れには、新しい花が供えられています。献納の文字が刻まれた大きな線香タテには、すでに線香が煙を上げています。
8時45分頃、吉川住職の読経が始まりました。参加者には、「重誓偈」(じゅうせいげ)の経文が印刷された紙が配布されましたので、一緒の経文を読みました。
「重誓偈」の読経が終わると、印刷して配布された10項目の「原爆と世界平和」が読み上げられました。だれが作られたものか、聞き洩らしましたが、1番は次のように書かれています。
ああ皆人よ皆人よ/原爆の街を再びと/世界の何処(どこ)にも出(い)だすなよ/初めの終わりとなさしめよ
仏教の教えと平和へ思いが詩となっています。
次に、「明るい社会をみんなで」愛唱歌「かがやけわがふるさと」の歌が歌われました。この歌は、有田美智雄作詞、作曲となっていますが、吉川住職が希望され、助言しながら作られたものです。この歌も、歌詞が印刷されたものが配布されました。私は、初めて聞く歌ですが、何人かは唱和されていますので、いつも歌われているようです。最後にもう一曲「ありがとう」の歌の吉川住職による独唱がありました。隣にいた私の友人が、一言。「住職は声が良いですから、よく歌われるのですよ」。確かに85歳(今年11月の誕生日を迎えると86歳)とは思えない声の張りでした。
この後に、法話が始まりました。ちょうどここで電話がかかってきました。マナーモードにしていませんでしたので呼び出し音が鳴ったため、慌てて少し離れたところに移動しましたので、法話の最初のところを聞き洩らしました。
法話は25分ぐらいのお話でしたが、電話がかかってきたのとメモを持参していなかったことで、残念ながら法話の中味を紹介することはできません。
全てが終わったのは、午前9時30分頃でした。少しどんよりした空模様でしたが、心配された雨も降らず、2022年10月の月命日の法要も無事終了しました。
昨日の参加者は、少し遅れてきた人も含めると15人ほどでした。その中には、前田ディレクターのパートナーの姿もありました。「どんなことを取材しているのかと、来てみました」。参加者はいつもより多かったようです。
福岡から参加されたお二人は「また来るつもりです」と言いながら、去っていかれました。
私は、近くに住んでいますので、出来れば来月も参加したいと思っています。
このころには、平和公園を訪れた修学旅行や平和学習の生徒の姿を随分と多く見かけるようになっていました。
いのちとうとし
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