フィールドワーク「安野発電所への中国人強制連行」-その5
丁川取水口の見学を終え、一度加計町内まで引き返し、最後の見学場所である土居取水口に移動しました。
太田川の支流滝山川から安野発電所を稼働させるための水を取水するため、堰と取水口が作られました。水を取り込むための堰の様子です。この取水口がメインですので、丁川取水口と比べると河幅も広く堰の規模がずいぶんと大規模な構造となっています。
写真の左側の水門のところからまっすぐ右方向に延びている堰堤は、石積みとなっています。土居取水口で、当時のまま残っているのは、この堰堤だけだそうです。その奥川岸の向こう側に土居収容所がありました。手前に少しパイプが映っていますが、ここが本流からの取水口です。
取水口は、ゴミや流木などが流れ込まないように網状になっています。
その裏側に導水管の入り口となる取水口があります。下の写真の左側の水門です。
右の壁のように映っているのが、本流に接した取り入れ口で、左側の水門が、約8kmといわれる導水管のスタート地点になります。ここが一番上流の掘り口になります。ここまで来て分かったのですが、最初に掘り口は9カ所あったと紹介しましたが、実際には10カ所というのが正しいような気がします。
中国人は、ここ土居では、トンネル堀りのほかに取水口建設工事も携わっていました。建設工事の主な作業は、川の中の石を拾って運び出し、その石で堰堤を築くことだったようです。残っている大きな石を積み上げて築かれた堰堤は、中国人の手によってつくられたものであり、その意味でも貴重なものといえます。
8km先の安野発電所を稼働させるため、この土居取水口では、最大で毎秒25.15m3、丁川取水口からは、最大で5m3の水が取水されています。
最後に滝山川対岸に渡り、土居収容所跡を訪れました。
手前の空き地が、土居収容所があった場所です。写真の奥に水門の一部が映っています。
建物は、香草収容所と同じ構造で作られていたようです。川原さんが最初の訪れた時にはそれらしき建物が残っていたそうですが、今は痕跡らしきものは何も残っていません。
収容所の食事の様子が次のように証言されています。
「山を切り開いた私たちに何を食べさせたかというと、こんな小さな茶碗に入るドングリの粉で作ったマントウが1回に1個でした。ほんとうは一口に入ってしまう大きさですが、惜しくて少しずつ7口に分けてかじりました。一日に21口かじったら、一日の食事は終わりました。すぐ終わってしまうので、おかゆみたいにマントウを水でふやかして、はじめは水を飲んで、最後に膨らんだマントウを食べました。」
時々小雨の降る空模様でしたが、ここで、今回のフィールドワークが終了しました。時計を見ると14時半過ぎでした。まなぶことの多かったフィールドワークでした。
いのちとうとし
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