広島ガス株式会社原爆犠牲者追憶之碑
先日、元安川左岸を散歩中に「広島ガス株式会社原爆犠牲者追憶之碑」の整備作業に遭遇しました。
例年は、8月6日の前に定例で清掃が行われるようですが、今回備品の取り換えの必要が生じ、作業をされていたようです。
ガスが燃える芯の部分(全部で5個)が、取り外されています。形はきちんと見えますが、ずっと燃え続けているので、触るとすぐくずれてしまうとのことでした。
高さは、10cmくらいです。
「広島ガス株式会社原爆犠牲者追憶之碑」は、1967(昭和42)年8月2日に建立されました。現在は、2007(平成19)年8月6日に、原爆投下後の残り火を燃やし続けている福岡県星野村の「平和の火」と、平和記念公園の「平和の灯」から譲り受け、2つの火を合わせてガス灯に点火し、燃え続けています。
大切な火ですので、清掃作業中は、その火をランプに移してきちんと保管して作業が進められていました。
夜改めて現地を訪れると、整備されたガス灯が綺麗に燃えていました。
広島ガスの本社は、現在は皆実町の京橋川沿い(被爆当時は広島工場があった)にありますが、被爆時は現在の「追悼碑」が立っている場所にありました。爆心地から約210mの近い距離で、地上3階・地下1階建ての鉄筋コンクリート及びレンガ造りの建物は、すさまじい爆風により各階の床と天井が崩れ落ち、西側の一部(追悼碑の説明板では南側となっている)を残して崩壊しました。
追悼碑の説明版の写真
次に書く被爆の状況は、広島原爆戦災誌からの引用です。
「広島ガス本社の在籍従業員は約80人、被爆時の出勤者は、69人でした。うち34人は、本社義勇隊として建物疎開作業現場の天神町・木挽町方面に出動していて、原爆にあい全員が死亡。本社内には、約35人(広島市の碑めぐりの説明では35人となっている)の職員が出勤していて被爆し、数人を除いて即死しました。即死を免れた数人も、一人は数時間後に絶命し元安川に流され、二人の女子職員は、かろうじて自宅にたどり着いたが、やはり死亡。男性職員3人は、広島赤十字病院前と広島電鉄本社前まで逃げ、一人は自宅に帰って死亡、一人は行方不明となった。推察するところでは、軍隊の死体処理収容所に積み込まれたか、あるいは川に水を飲みに行って死に、そのまま流されてしまったのではないかと思われる。このようにして結局、出勤していたものは全滅したのである。」
男性職員3人のうち、残り一人の記述がないことが気になりますが、広島ガス本社の犠牲者は、69人となっているようです。
なお、当日、中国地方におけるガス事業統合のための会議に出席していた中国5県の他のガス会社の役員10人も犠牲になっています。
たまたま「広島ガス株式会社原爆犠牲者追憶之碑」の整備作業に巡り合ったことがきっかけで、広島ガス本社の原爆犠牲の状況を知ることになりました。
いのちとうとし
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