米国、ボーグル原発のこと
福島原発事故が発生した翌2012年のことです。米国東南部ジョージア州ウェインズボロで建設工事中の、ボーグル原発建設に反対する集会に参加したことがあります。「3・11」1周年に合わせての集会でした。
ボーグルは、ジョージア州の州都アトランタ市から約250㌔離れた場所ですが、3月11日の朝、市内の集合場所に集まり貸し切りバスに乗って現地まで向かいました。こういう形で集会に参加するやり方は、日本と同じですね。
ボーグル原発1・2号機は稼働中でしたが、1979年のスリーマイル島原発事故で新規原発の建設はありませんでした。しかし12年2月に米原子力規制委員会(NRC)が建設を許可しました。そして東芝傘下の、米ウエスチングハウス(WH)が受注したのです。
僕が原発反対運動に参加することになったのは1978年春、米国の反原発運動と交流したのがキッカケですから、どうしても気になるのです。
独断的な考えかも知れませんが、バーモント州のヤンキー原発、ニューハンプシャー州のシーブルック原発反対運動にしても米北部に位置しているところでは、強い反対運動が行われ計画を止めることができました。
しかしボーグルもVCサマーなど、南部に位置しているところは、どちらかといえば貧困な人たちが多く、米の歴史の中では奴隷と呼ばれた人も多かったところです。このボーグル原発の在るところも、綿の栽培が盛んだったところです。
現地で交流した一人のアニー・ローラさんは、以前はこの近郊に自宅を持ち農場で働いていたのですが、原発建設のために立ち退きをさせられました。住んでいた時は、自宅に引かれている電線が切られるという嫌がらせも受けています。
2年後の14年にも、ボーグルを訪れました。その時には、新たなクーリングタワーも建てられて、多くの作業員が働いていました。原発周辺には作業員用の住まいとなるキャンピングトレーラー車も停まっていました。
このボーグル原発3・4号機、当初は16年と17年に稼働すると予測されていました。しかし、現在では23年、24年に延期となっています。費用も2基で当初は140億ドル(1ドル100円として1兆4千億円)となっていましたが、現在は300億ドルとされています。
その理由は、11年の福島原発事故、17年の元請け業者のウエスチングハウスの倒産、そしてコロナウイルスのパンデミックとされています。こういう状況は日本の場合とよく似ています。
現地での集会では、「日本の原発を復活させないためにも、ボーグル原発の建設を止めたい」と訴えたのを思い出します。アニー・ローラさんどうしておられるだろうか。何とかしてもう一度逢いたいです。
木原省治
【編集者】木原さんは、東京に行く予定があり、早めにこの原稿を送っていただきました。みなさんが「木原さんの意見を聞きたい」と思っておられる上関町長選挙の結果については、次回に報告していただくことになっています。
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