森冨茂雄作「消えた町 記憶をたどり」原画展
中区平和公園内にある被爆建物レストハウスの2階で、被爆者の森冨茂雄さんが、被爆前の原爆ドーム周辺の街並みを鉛筆で描いた絵の原画展が、30日まで開催されています。
平和公園とその周辺を歩くフィールドワークを実施しているヒロシマ・フィールドワーク実行委員会が森冨さんと出会ったことがきっかけとなり、この鉛筆画が同実行委員会によって2011年8月5日に画集として発行されました。
私は、第3刷となる2018年9月15日判を持っています。せっかくの機会ですので、台風通過後の20日に見に行ってきました。
会場内は撮影禁止ですので、受付の人に断り、入り口の外から写しました。
会場には、最初にこの原画に関わる説明を書いたパネルが3枚架けられています。1枚目のパネルには、次のように記載されています。
森冨茂雄(1928.8.12~2021.11.11)
「絵はまったく素人でしたが、みんなが絵を見てくれていろいろ話したり、なつかしがったりするんで、次から次へと描いたんです。
絵は子ども心に見た感じを、記憶を頼りに描きました。被爆の絵というのは、むごいからほとんどありません。遊びよったころの楽しかった自分の絵を描いたんです。」
さらにこの原画展の主催者でもあるフィールドワーク実行委員会の文章が続きます。
「レストハウス(元大正屋呉服店)は『記憶の場』です。少年だった頃の森冨さんは、隣のラヂオ屋から流れてくる歌をおぼえ、裏の桜湯でミカン水を飲み、新聞紙に包んだ一銭洋食にかぶりついたのも近所でした。今回の展示には、大正屋呉服店から眺めた光景の絵(8番や10番)や大正屋呉服店そのものを描いた絵(29番)なども含まれています。森冨さんの絵の細部にやどる人への愛おしさを感じ取って下さい。」
( )内の番号は、原画集に納められた絵の番号と同じです。
ちなみに8番は、「昭和20年8月 原爆前の元安川東側」10番は、「昭和18年頃、元安橋より本通りご丁目入口」、29番は「昭和15年頃 元安橋~中島本町 現在の平和公園」のタイトルが付けられています。そして会場入り口で手渡された印刷物には、画集に書かれた本文(当時の街の様子や生活を紹介)の抄録したものが印刷されています。
この文章は、ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の中川幹朗さんが、森冨さんの話をもとに書いたものだということが、画集に書かれています。
森冨茂雄さんは、被爆時の年齢が12歳です。ここに描かれた絵は、被爆以前の風景であるにもかかわらず、記憶のみによって詳細に描かれているにもかかわらず、ち密に描かれていることにびっくりします。
画集には、43枚の絵が収録されていますが、今回の原画展では、うち26枚が展示されています。
30日まで開催されていますので、ぜひこの絵と対面してほしいと思います。きっと新しい発見があるはずです。
いのちとうとし
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