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2022年9月 2日 (金)

「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその2

私が所蔵している「原水禁世界大会報告集」の中には、「被爆30周年原水禁大会」の報告決定集がありませんので、広島市立図書館のホームページで蔵書検索をしてみました。中央図書館が、所蔵していることがわかりましたので、すぐに中央図書館に行き、調べました。

そこには間違いなく「核と人類は共存できない」に収録されているとおり「核と人間は共存できない」と「人間」ということばになっています。

しかし、前後の文章では、全て「人類」ということばが使われていますので、なぜここで「人間」ということばが使われているのか、もう少し調べてみることにしました。

その1で引用した文章の中に「先日の国際会議で私があえて提起したテーゼは」と書かれていますので、同じ「被爆30周年原水爆禁止世界大会報告決定集」に収録されている「国際会議」での森滝先生の「日本側代表基調演説」を読むことにしました。

20220825_101452

「国際会議の基調演説」には、次のように書かれています。

「私は以上の概観の上に立って、この核の時代30年を総括して『核分裂エネルギーを利用する限り人類は未来を失うだろう』というテーゼを提起したいと思います。

と申しますことは、人類は核と共存することはできない故に、核分裂の利用の全てを否定する核絶対否定の理念をいよいよ高くかかげ、人類の生きのびる道を切り開いてゆかなくてはならないということであります。」(強調はいのちとうとし)

ここには、「核と人類は共存できない」ということばではありませんが「人類は核と共存できない」と、人類ということばが使われています。

ところで、「被爆30周年原水禁世界大会基調演説」の問題の部分を、後に森滝先生自身が引用し紹介された文章があります。それは「核絶対否定への歩み」と題して、日本社会党機関紙「社会新報」1979年6月15日から7月24日まで連載された原稿です。

この連載記事は、重要な文章だということで、1994年3月に原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)が、発刊した「核絶対否定の歩み」に収録され、それを底本にして原水禁国民会議が2015年に発刊した「核と人類は共存できない」にも収録されています。

「生存のために」のサブタイトルがついた項があります。

そこには「大会基調演説の草案を精魂こめて書いた。その演説の後半は、いわば『核絶対否定』の宣言であった。」と記した後、「いわく」のことばの後「演説文」が長文で引用されています。

「被爆30周年原水爆禁止世界大会報告決定集」で

「結局、核と人間は共存できないのであります。

共存できないということは人間が核を否定するか、核が人間を否定するかより外ないのであります。われわれはあくまで核を否定して生きのびなければなりません。」となっている部分が次のように修正されています。

「結局、核と人類は共存できないのであります。

共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生きのびなければなりません。」

ここでは、「被爆30周年原水禁大会報告決定集」で「人間」となっていたものが、全て「人類」ということばに置き換えられています。

いのちとうとし

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