住吉神社の被爆樹木はやはり2本でした。-その2
一昨日のつづきです。
早速住吉神社の社務所を訪れました。最初は、ドアホーン越しの話でしたが、すぐに宮司さんが社務所に出てこられ、私の問いに丁寧に答えていただきました。
答えは「被爆当時のことを知る者はいなくなったのですが、私が聞いている話では、被爆後残った樹木は、松2本、クスノキ、エノキの計4本です。平成8年から9年にかけて神社を改築しました(金子注:実際の再建は1991《平成8年》)。その時被爆松2本は、移植したのですが、クスノキとエノキは、伐採しました。」ということです。さらに「昭和七年十月聖上陛下記念松の石柱と凱旋碑は、境内からは撤去し別の場所に保管しています。」とのことでした。
この答えを聞いて私が、「こちらには、被爆後の神社の様子が写った写真は保管されていませんか」と訊ねたところ、「こちらには、そんな類の写真は一枚もありません。ただ、広島市が発行した印刷物で、被爆松2本が写った写真と見たことがあります。住吉橋の東橋詰南側では、被爆直後遺体が焼却されたそうですが、その南側から北に向かって(金子注:住吉神社の方向)写した写真だったように覚えていますが?」と教えていただきました。「本の名前は覚えておられませんか」と問うたのですが「どんな本だったか覚えていませんね」との答えでしたが、貴重な情報を得ることができました。お礼を言って、住吉神社を後にしました。
「市が発行した印刷物」との答えを頼りに、すぐにわが家の隣の平和ビルにある広島市公文書館を訪れました。
「市が発行した印刷物に住吉神社の被爆後の写真があると聞いたのですが、何かご存知ないですか?」あまりにも漠然とした問いかけでしたが、すぐに返事が返ってきました。
「1996年に発行した『被爆50周年 ヒロシマの被爆建造物は語る―未来への記録』にひょっとすると何かあるかもしれません」
調べると「吉島・舟入・観音地区―建物・橋・樹木」の項に、「マツ・住吉神社」とタイトルの付いた下の写真がありました。
キャプションには、「住吉橋から本川沿いにマツが並ぶ(1955年頃)」と書かれています。よく見ると、間違いなく川沿いに2本の松が映っています。神社本殿の後ろには、ケヤキかエノキかはっきりしませんが、大きな木が映っています。
写真の右上に移っている斜めの鉄骨は住吉橋の一部だと思われます。住吉橋は、1945年の原爆と水害によって流出し、1951年にコンクリート橋に建て替えられたのですが、その年のルース台風によって再び流失しています。その後新たの工法が検討され、わが国で初めてとなる鋼ローゼ橋が採用され、1954年3月に現在の橋が完成しました。
被爆で倒壊・焼失した住吉神社の再建は、1952年ですので、この写真は再建後すぐの貴重な写真と言えます。
写真では、川沿い2本の松は、かなり間隔をあけて植えられていますので、被爆樹木で間違いないと言えます。もし、松が1952年の再建時に植えられたのであれば、もっと本数が多く並木のようになっていたはずです。
住吉神社の被爆松が何本かを知るため、被爆直後の写真も探しをしました。広島原爆資料館(広島平和記念資料館)の平和データベースで関連する一枚を見つけることができました。
米国戦略爆撃調査団が、1945年11月に住吉橋の西詰から東方を写したもの(所蔵は米国国立文書館)で、広島平和記念資料館から提供を受けました。
松が1本残っているように見えますが、神社の敷地全体が映っていませんので、これだけでは判断することができませんでした。ただよく見ると、対岸の左側に写る電柱のすぐ左に、7月のブログで紹介した「住吉橋記念燈」が写っていますので、記念燈が、間違いなく被爆したものであることがわかります。
今度の調査で「住吉神社の被爆樹木は松2本でした」という結論に達しましたが、なぜ1971年に発刊された広島原爆戦災誌に「ただ1本、川べりの松が現在まで残っている。」と記録されたのかという疑問は、解明することができませんでした。
いのちとうとし
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 安倍元首相の「国葬」中止を求める動きが広がっています | トップページ | わが家の台風対策 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設問題で説明会(2025.02.17)
- ノーベル平和賞メダルー広島県被団協代表者会議(2025.02.16)
- 2025年2月のブルーベリー農園その2(2025.02.15)
- 日本銀行広島支店慰霊碑―つづき(2025.02.14)
- 日本銀行広島支店慰霊碑(2025.02.13)
「#平和推進」カテゴリの記事
- 守ろう、平和・民主主義・人権!紀元節復活反対!2・11ヒロシマ集会(2025.02.12)
- 2025年「全国被爆二世交流会」(2025.02.09)
- ヒロシマとベトナム(その66-2)(2025.02.06)
- ヒロシマとベトナム(その66-1)(2025.02.05)
- 被爆二世をめぐる課題に向き合い、国として補償せよ!(2025.02.01)
「核兵器廃絶」カテゴリの記事
- ノーベル平和賞メダルー広島県被団協代表者会議(2025.02.16)
- 旧被服支廠の慰霊祭と講演会(2025.02.11)
- 2025年「全国被爆二世交流会」(2025.02.09)
- 書籍「被爆者阿部静子は語る」(2025.02.07)
- 2月1日に開催された二つの講演会(2025.02.03)
コメント