「広島ブログ」

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその2 | トップページ | 久しぶりの「3の日行動」 »

2022年9月 3日 (土)

「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその3

この書籍「核絶対否定の歩み」は、残念ながら森瀧先生が亡くなられた(1994年1月25日没)後の1994年3月に発刊されています。しかし、この本の出版計画は、森瀧先生ご存命中に進んでいましたので、この本の編集の中心となった下畠準三さんが、森滝先生の生前中に何度もご自宅に足を運び、先生と一緒「何を掲載するか」を含め、検討し作業を進められ、生前にほぼ完成していたものです。ですから、当然森瀧先生の了解を得て編集発刊されたものです。

残念ながら下畠さんは、今年5月に永眠されましたので、いまでは直接その詳細を確認することはできません

この「核絶対否定の歩み」の編集者ともいえる下畠さんは、全電通広島被爆者連絡協議会が1970年から1983年までの間に第10集まで発行した原爆体験記「原子雲の下に生きつづけて」の編集責任者でもありました。

この「原子雲の下に生きつづけて」には、森瀧先生が書かれた題字が使われ、5集までの全てには、先生の「巻頭言」ともいえる文章が寄せられていますので、森瀧先生と下畠さんは、深いつながりがあったことがわかります。

2293

そのことは、「原子雲の下に生きつづけて」の第4集に、森瀧先生と下畠さんの対談が収録されていることからも理解できます。

その対談の中で、下畠さんの「それは先生の哲学的思索の結論ですから、短い時間に変わっていくというものではないと思いますし、まして、根本的命題、先生の体系、原理というものでしょうから・・・」との問いに森瀧先生は「人類は生きねばならん、これが今の私の至上命令ですよ、倫理学の、平和の倫理の・・・」「それから原水禁運動そのものも、ひらきなおって大きく言えば、人類の生命というもの・・・」と答えられています。

さらに対談の最後の部分では、「私の戦後の発想法の人類という概念がものすごく実在化して、この、人類の運命などと昔いったら、大きなことをいうなってことになって抽象的になったのですが、いまはそうではないでしょう。原爆だけでもそうだったのが、今や世界的な公害になって来ますと、まさに人類の運命を考えざるを得ないようになってきた。人類は生きつづけなければならんという命題をたててみたりしますとね、」

そのことは1976年に日本評論社から発刊された「森瀧市郎反核30年」の前書きに次のように記されていることからもわかります。

「また、広島大学在職中に学生たちに乞われるままに書いたものや、広島の諸誌・諸新聞に寄せた折々の感想・提言などの中に『人類は生きねばならぬ』という私の根本命題にそった訴えのいくつかを加えた。私は、被爆後30年間殆ど宿命的に辿った歩みが、核絶対否定の志念(原文のまま)と行動であったことを核時代の世界人類に訴えたいという願いをいだきつつこの書を世におくる。」

もう一つ紹介しておきたいのは、同じ「森瀧市郎反核30年」の書名ともなった「反核30年」と題した文(全電通新聞=全電通労働組合機関紙=に1973年10月から1975年8月まで70回のわたる連載)の「核時代の道徳的義務」の項で次のように記されていることです。

「第4回大会(1958年)の宣言に『道徳的義務の分科会』の討議の要旨を盛ろうとして、私にその部分の起草を求めた。それは極めて簡潔でなければならなかった。曰く、『全人類が生死を共にしなければならない原子力時代に於いては自滅を防ぎ共存を促進することは人類の至上かつ普遍的な義務である。この義務は生命への深い畏敬と人類共同体の保存への願望に根がしている』と。」

「人類」という考え方は、森瀧先生にとっては至上のことだったと推察できます。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

« 「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその2 | トップページ | 久しぶりの「3の日行動」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

#平和推進」カテゴリの記事

核兵器廃絶」カテゴリの記事

被爆者」カテゴリの記事

コメント

下原 さんになってますよ。

コメントありがとうございます。 そうです。「下原さん」ではなく「下畠さん」です。
間違ってはいけない名前の間違い、反省しています。ご指摘ありがとう誤字ます。
別の人からも同じご指摘をいただきましたので、すぐに修正をしました。
気をつけてはいますが、又こんな間違いがあると思いますので、今後もご指摘よろしくお願いします。

飯島勲さん談。小泉訪朝の功労者は、笹川陽平さんだと。この話を、自分は、信じます。エイズ関連資料。これは、森井忠良さんの時に、存在が、判明。そして、厚生大臣が、替わる.菅厚生大臣が、森井さんの手柄を、貰ったのに、菅厚生大臣のに手柄を、なっています。このことは、後年、飯島さんが、話しています。マスコミは、スルーでした。自分は、昔から、知っていました。忠良さんにも、確認しました。忠良さんは、大人なので、公には、話さず。厚生族の小泉さん。その秘書の飯島さんは、真実を、知っていました。でも、後年に、話しました。笹川陽平さんは、ミャンマーの、日本人、アメリカ人の釈放に、尽力。ミャンマーのテレビが、笹川さんの名前を、出したのに・・・・・。小泉訪朝の笹川さんのことは、知りませんでした。

堀北さん
コメントありがとうございます。
笹川さんのことは、よく知らないのですが、森井さんの名前が出て、懐かしく読ませていただきました。
少しだけ前のことが、簡単に忘れ去られることが多くなりました。ぜひ大切なことは、伝えていきたいと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその2 | トップページ | 久しぶりの「3の日行動」 »