被爆ポンプを見に行きました。
先日届いた「News Paper No.890」(平和フォーラム・原水禁国民会議の機関紙)の1ぺジ目に並ぶ写真の真ん中にある「被爆ポンプ」の写真が気になり、広島駅近くに現物を見に行ってきました。
広電の線路沿い歩道にあります。猿猴橋町電停の下りプラットホームの反対側の歩道に2台、上りプラットホームのすぐ東側の歩道に1台の古い手押しポンプが、あります。そのすべてに「被爆ポンプです 残して下さい 永原富明」と書かれたプレートが掛けられています。
一番南側のポンプ~広島駅方面に向かって映した写真です。
右側を歩いている人の左にある柱の手前に、見えにくいのですがもう一台のポンプが映っています。
一番南側のポンプです。
ボディーに「津田式」と刻印されています。
南から二番目のポンプです。一番壊れていますが、絵本やテレビなどで「被爆ポンプ」として取り上げられるのは、このポンプです。
ちょっと見えにくいのですが、このポンプのボディーにも「津田式」の文字が刻まれています。
三台目のポンプは、他の二つと同じ側の歩道ですが、荒神町交差点の広島駅寄りにあります。
このポンプにも「被爆ポンプです 残して下さい」のプレートが架けてありますが、どうも「被爆ポンプ」ではないように思えます。
その理由は、ポンプが新しいものに見えますし、据えられた台が、他の二つはコンクリートですが、この台は鉄製のように見えます。決定的に違うのは、ポンプ本体に刻まれた文字です。
他の二つは「津田式」と漢字でしたが、このポンプには「KAWAMOTO DORAGON」と英語の文字が刻まれています。
被爆したということであれば、戦前に作られたものですから会社名が英文字で刻まれることはなかったはずです。
帰宅後、ネットで検索すると2020年に広島テレビが制作したドキュメント【残してください 被爆ポンプです。】ドキュメント ダイジェスト版 - YouTubeを見つけることができました。
この番組では、保存を働きかけている被爆二世の永原富明さん、「ひばくポンプ」の絵本を作った当時小学生だった児玉美空さん、この絵本がきっかけとなって75年ぶりに被爆体験(このポンプでカラカラののどの渇きをいやしたこと)を語ることになった被爆者の西村泰司さん(当時84歳)のことが紹介されています。
4分余りに短縮されたものですが、私が語るよりはるかにこのポンプのことがよくわかる内容です。ぜひ一度見てください。
このポンプが残る歩道は、まだ電線の地中化が行われていませんので、残っているのですが、地中化が進めば反対側の歩道のようにきれいに整備されます。
果たしてその時に永原さんや児玉さんの「被爆ポンプです 残して下さい」という思いが届くのだろうか、心配です。被爆したその地にあってこその「被爆ポンプ」だと思うのですが。
いのちとうとし
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