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2022年8月24日 (水)

第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会―第1日目

「旧軍都・被爆都市を経て、戦争遺跡保存の原点となった広島から、戦争も核兵器も許さない世界の創造に向けた取り組みを深めよう」と呼びかけた「第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会」が、20日から3日間、広島市青少年センターを主会場に開催されました。開催前は、参加者希望が少なく現地実行委員会は、少しやきもきしたようですが、2日目までで延べ310人の参加があったようです。コロナ過という状況を考えると成功だったと思われます。

私も以前から、全国の戦争遺跡保存の取り組みに興味を持っていましたので、初日の全体会・講演会と2日目の分科会(当初は2日目のみの参加予定)に参加しました。

3日目は、現地見学会(・広島市内コース・呉コース・太田川上流安野コース・平和公園めぐりコース)が実施されましたが、すでに何度か訪れた場所ですので、参加しませんでした。

初日の20日は、午後2時から広島市青少年センターホールで開催されました。余談ですが、会場の冷房設備の不具合のため、冷房なしの集会となりましたので、3時間は少し辛いものがありました。

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全体会は、地元実行委員会の多賀俊介実行委員長の開会のあいさつでスタートしました。最初に、平和記念資料館の館長も務めたことのある原田浩さん(1939年生まれ、6歳の時広島駅で被爆)が、「ヒロシマの願いを世界へ ~平和行政の歩み~」と題する記念講演。

次は、戦争遺跡保存全国ネットワーク運営委員の菊池実さんの基調報告が行われました。

その詳細は省略しますが、基調報告でも紹介された、今年のシンポジウムのタイトルにある「戦争遺跡保存の原点広島」について、触れておきます。

今年のシンポジウムが、第25回となっているように「戦争遺跡保存全国シンポジウム」は、1997年に長野県長野市松代から始まったものです。松代は、終戦末期に大本営や国の重要期間を移設するために地下壕を掘る施設工事が行われ(8割を終えたところで終戦となった)、戦後早くに保存運動が展開された地です。

1997年も重要です。原爆ドームの世界遺産登録は、1996年12月に実現するのですが、その時大きな障害となったのが国の「文化財指定基準」でした。この変更を実現させたのは、1993年に広島で始まった「原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願(こっかいせいがん)のための全国的な署名(約165万)」運動です。この署名が力となって、当時「約100年を経過したもの」となっていた史跡・文化財指定基準に「戦争遺跡」が加えられたことになり、世界遺産登録への道が開けたのです。

この指定基準の改正は、アジア太平洋戦争期までの戦争遺跡を史跡・文化財に登録する道を開き、全国の戦争遺跡保存運動を行っていた人々に展望を与えることになったのです。

ですから、「戦争遺跡保存の原点となった広島」ということができると思います。

少し長くなりましたので、つづきは、26日に掲載します。

いのちとうとし

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