藤登弘郎さんの水彩画集「原爆資料館 無言の証言」
被爆建物や被爆樹木などを描き続けてこられたアマチュア画家藤登弘郎さんの7冊目となる画集「あの日から77年悲しみは消えない 原爆資料館 無言の証言」が、自費出版され、私ものもとにも送られてきました。
「刊行にあたり」には、次のように書かれています。一部を引用します。
「1955年(昭和30年)に完成した原爆資料館には、2万点を超す被爆資料が収蔵されています。これらは原爆の悲惨さだけでなく、持ち主の思いや当時の人々の暮らし、喜びと悲しみ、無念さを今に伝える、大きな役割を担っています。
遠からずやってくる、被爆者のいなくなる日。資料館に残された遺品は『無言の証言』となるでしょう。
この一年間、私は資料館を訪れ、被爆者や遺族から資料館に託された数々の遺品を目にしました。遺品から、核廃絶と戦争のない平和な世界を願う『ヒロシマの心』を知ってもらいたいと思い、絵を描き始めました。少年少女が着ていたであろう焦げた衣服やかばん。熱で変形した瓦・・・描くうちに、平和に暮らしていた人たちの命を奪った、原爆そして戦争に怒りがこみ上げ、涙を禁じ得ませんでした。
今回は、地質学者として被爆直後の広島に入り、執念で遺品を収集―研究した長岡省三さんと資料館の歩みにも目を向けました。初代館長となった長岡さんに共鳴した人たちが収集に協力し、長岡さんは『悪魔の刻印』と呼んだ遺品1500点を寄贈。資料館の礎を築きました。(略)
『核兵器が存在する限り、悲惨は繰り返される』。犠牲者の遺品は無言で訴えています。つらい体験を語り続けてきた被爆者と、この気持ちを共有したい。小さな力ですが、広島市民の一人として、被爆の惨状をしっかりと後世に伝えていきたいと思います。」
この画集には、89点の原爆資料館の遺品を描いた作品が収められています。何度も何度も原爆資料館に足を運ばれたようすが浮かんできます。
最初の作品は伸ちゃんの「三輪車・鉄かぶと」です。
それぞれに遺品の被爆時の状況が書き添えられています。
「森脇瑤子さんの制服」には、2021年4月5日付の「少女の未来 奪われた 兄・細川さん被爆者の思い託す」とタイトルの付いた記事が添付されています。あと数点同じように中国新聞の記事が添付された作品がありあす。
今回の画集には、遺品を描いた作品に加え、被爆建物や樹木、地蔵、慰霊碑など、これまで描いてこられた35点も収められています。
「7冊目の画集」と紹介しましたが、被爆をテーマにした画集は、201年7月に発刊された2冊目の「被爆建物は今」以後の6冊です。
この画集は、200部発行されましたが、主に広島市立の各中学校や市立中央図書館に寄贈されていますので私に寄贈していただいた一冊も大変貴重なものです。
「刊行にあたり」に込められた藤登弘郎さんの思いを共有しながら、以前送っていただいた画集と一緒に大切に所蔵したいと思います。
いのちとうとし
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