今日は、77年目の長崎に原爆が投下された日
今日8月9日は、77年前史上2発目の原爆が、長崎の投下された日です。
2019年までの多くの年私は原爆投下時間の午前11時2分を原水禁世界大会長崎大会に参加した仲間とともに、長崎の爆心地公園で迎え、 黙とうを捧げました。
2019年8月9日の爆心地公園
今年は、長崎を訪れることができませんでしたので、自宅で午前11時2分を迎え、黙とうをささげる予定にしています。
広島、長崎への違法な原爆投下で、どれだけの尊い命が奪われたのか?その犠牲者数は、いまだ確定していません。
広島では、「その年の12月末までに14万人±1万人の人々の命が奪われた」とされていますが、そのうち名前が明らかに担っている人は、何人でしょうか。
広島市が行っている「原爆被爆者動態調査」によれば、今日現在8万9065人です。14万人の犠牲者数とはあまりにも開きがあり過ぎます。
長崎の犠牲者数は、様々な資料に「7万3884人」という人数が記載されています。一桁の人数まで記載されていますが、その疑問については2018年8月26日のブログ「長崎の原爆犠牲者数―7万3884人: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)に書いていますので、今日は省略します。
もう一つ、原爆被害がどれほどすさまじかったかを示すものとして、毎年広島市が嗚呼谷作成し全国の自治体にも送付している「原爆供養塔納骨名簿 遺族を探しています」があります。
供養塔前の掲示板(写真左端)にも名簿がはられています
この名簿には、平和公園の原爆供養塔に安置されている原爆死没者約7万柱の遺骨のうち、氏名がわかっていながら引き取り手のない814柱の名前が掲載され、遺族を探しています。毎年この名簿を全国の自治体に送付しるなど、遺族探しが続いています。こうした努力によって直近3年間で、二人の遺骨が遺族のもとに返還されました。昨年は、中国新聞の「ヒロシマの空白」の報道をきっかけに、「梶山ハル」さん(名簿には「鍛冶山はる」となっていた)の遺族が確認され、遺骨が引き取られました。
未だ、埋めることのできない被爆の事実ですが、77年経っても空白を埋める努力が続いています。そして、今までに知られていなかった事実が明らかになっています。
長崎の原爆の日、その原爆被害の実相が少しでも明らかにすることこそが、犠牲となった人たちへの真の意味での追悼になるのではないかと思っています。
広島を考える時、つねに長崎を一緒に考え、長崎の先進的な運動に学ぶことが大切だと改めて考える一日にしたいと思います。
いのちとうとし
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