ベトナムの歴史(その14-1)
阮朝、1802年にベトナム史上初めて全土を統一
前号で日本の室町から江戸後期に当たる1428年~1802年頃のベトナムの概略を紹介しました。大雑把に振り返ってみます。
中国(明)の侵攻を破ったレ・ロイ(黎利)が黎朝を建て、国力を高め「ベトナムの歴史上で最も輝かしい時代」と呼ばれた100年余を経て衰退。その後、北部(ハノイ)の黎鄭(レイテイ)政権と中部(フエ)の阮(グエン)氏政権に分裂し、相争う「南北抗争時代」が250年続きます。中部の阮政権に反旗を翻した「西山(タイソン)の乱」で、一時政権を西山朝に奪われたグエン・フック・アイン(阮福映)が、フランス人宣教師の助けでフランスなど外国軍の支援を受け阮政権を復活させ、次いで北部の黎鄭政権を倒し、1802年にベトナム史上初めて全土を統一します。国号を「越南(ヴェトナム)」とする阮王朝を建て、ザーロン帝を名乗るところまでお話ししました。
阮王朝初代皇帝 ザーロン帝
西欧列強の砲艦外交に抗して
全土統一の戦いでザーロン帝はフランス人宣教師に一人息子のカインを人質として託し、フランス国王ルイ16世からの軍事支援を得ました。ヴェルサイユ宮殿で結ばれた「攻守同盟条約」は、「フランス国王は歩兵1200人、砲兵200人、アフリカ兵250人からなる軍隊を乗船させた帆走戦艦4隻をフランスの経費で速やかに交趾シナの沿岸に派遣する。軍隊は一切の軍需品、特に野砲を備える。交趾シナの国王は必要に応じダナンと崑崙島(コンダオ)の絶対的領有権並びに主権を譲渡する。交趾シナ全域でフランス人のみ国内商業営業権を独占させる」というものでした。
ダナンに上陸したフランス・スペインの陸戦隊
フランスとの関係を維持し基礎を築いてきたザーロン帝の死後、二代目のミンマン帝は反政府勢力への外国勢力の干渉やイギリスの清国攻撃の兆候、露骨な植民地化を進めるフランスなど抗して、キリスト教の弾圧など外国勢力に対する強硬政策と鎖国政策をとります。
(2022年8月19日、あかたつ)
【編集者】毎月20日に掲載していたあかたつさんの「ベトナムの歴史」は、編集者の都合によりあかたつさんの了解を得て、今号(その14)は、今日、明日の2回に分けて掲載します。
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