第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会―第1日目のつづき
第1日目のつづきです。
基調報告によれば、史跡・文化財として国や地方自治体によって指定・登録されている戦争遺跡は、2022年8月現在342件確認されているとのことです。ちなみに広島県には、原爆ドームを含めて19件が登録されているようです。この全国シンポジウムがスタートした1997年には、数件にとどまっていたのですから、大きな前進です。
戦争遺跡の史跡・文化財としての指定・登録が進んだのは、全国各地での熱心な取り組みがあったからですが、その詳細の一端を知ったのは、二日目の分科会の報告です。
また基調報告では、この一年間で全国的に注目された戦争遺跡保存問題は、広島の「陸軍中国管区輜重兵補充隊関連施設」と島根の「旧海軍大社基地跡」だということが報告されました。この二つについては、いずれもこのブログで何度か取り上げたテーマです。
基調報告をする菊池実さん
次に地元からの地域報告が二つありました。
最初は、広島大学名誉教授藤野次史さんの「第二次世界大戦時の広島市における軍事施設」と題しての報告です。藤野さんのお話は、「軍都廣島がどう形成されたのか、広島市の軍事施設の概要(60の施設がある)」が最初に紹介され、主題は「旧陸軍中国軍管区輜重兵補充隊跡(サッカースタジアム建設予定地)、旧広島陸軍兵器補給廠跡(現在の広大病院敷地)」の2か所の発掘調査の結果の報告でした。
「旧陸軍中国軍管区輜重兵補充隊跡」は、昨年何度かこのブログでも取り上げましたし、実際に発掘現場を何度も訪れていますので、藤野さんの話を改めて聞き、その貴重さを実感するとともに、運動が成果を上げることができず、破壊されてしまったことへの痛恨の思いを思い出すことになりました。
二つ目のテーマ「旧広島陸軍兵器補給廠跡」の報告は、初めて聞く内容でしたので、興味深く聞くことができました。かつてこのブログで「旧広島陸軍兵器補給廠」を取り上げるため、当時の配置図を探したことなどを思い出しました。その配置図どおりの遺構が発掘されたようです。一度発掘現場を見て見たかったとの思いがつのりました。
なお、藤野さんの報告資料として「第二次世界大戦時の広島市における軍事施設の配置状況」の地図と60の施設名(うち6カ所は地図表示なし)の一覧表が添付されていました。いくつか初めて聞く施設もありますので、少し涼しくなったらぜひ訊ねてみたいと思います。
もう一つの地元報告者は、大会現地実行委員長でもある多賀俊介さんです。
多賀さんの報告テーマは「陸軍被服支廠の保存、被爆遺構展示館の取り組み」でした。いずれも私も深く関ってきた問題です。よくまとまって、わかりやすい報告でしたので、取り組みの経緯を思い起こし、今後の取り組むべき課題を整理することができました。
1日目の全体集会は、これで終了しました。
当初、2日目の分科会だけ参加しようと思っていたのですが、この全体集会に参加して、本当に良かったと思います。
いのちとうとし
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