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2022年7月 6日 (水)

反核平和の火リレー出発時間が遅くなったことの顛末

第41回目を迎えた「反核平和の火リレー」の慰霊碑前出発が午前8時半だったことは、一昨日の第41回「反核平和の火リレー」がスタート: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で触れました。

「反核平和の火リレー」が始まった40年前から、原爆慰霊碑前からの出発時間は、ずっと午前8時15分でした。出発式のセレモニーが伸びて8時15分の出発が遅れなければよいがといつもやきもきするほど大切にしてきた時刻です。

午前8時15分は、あの日広島に原爆が投下された時間です。ですから、「反核平和の火リレーの出発」は、この時間しかなかったのです。この時間に合わせるため、出発式のセレモニーは、午前7時45分頃からはじめました。通勤時間のラッシュと重なるこの時間に間に合うためには、ずいぶんと早くに自宅を出なければならなかった来賓の方々も多くありました。「反核平和の火リレー」が始まった時から激励をしていただいた森瀧市郎先生も、佐伯区海老園の自宅をずいぶん早くに出発していただいた一人です。

なぜ、今年は出発時間が遅れたのか、実行委員会のメンバーに聞いてみました。「公園を警備する責任者から、『(採火のための)担当者を早く配置に着けると時間外になるが、手当が出せないので時間を遅らせてほしい。』と連絡があったので、やむを得ず時間を遅らせることにしました」とのことでした。

20220704_074859

私も「反核平和の火リレー」が始まった時に事務局メンバーとして関わってきていますので、「思いがあって決めた出発時間が変更されたこと」には、どうしても理解できませんでしたので、勝手にですが、出発式後広島市役所を訪れ担当課長に事情を尋ねてみました。

課長は、そんなことがあったことは、全く承知していませんでしたので「なぜこうなったのかを調べてみてほしい。来年からはぜひ、以前のように午前8時15分に出発できるように対応してほしい」と要望して帰りました。

午後になって担当課長から電話があり「来年以降は従来通り行っていただけるようにします。」との回答です。次に出た言葉は「市の方から時間の変更を要請したことはありませんが、警備会社の方で、連絡を入れたようです。一応実行委員会からは理解していただいたと聞いていますが」とあたかも実行委員会が何もなく了解したような言い方でした。出発式の時実行委員会から、警備会社とのやり取りを聞いていましたので、「確かに実行委員会は最終的に了解したかもしれないが、それは『携わる人に時間外手当が払えないから』と警備会社から言われたため、労働運動をしている立場からサービス残業をしてでもとは言えないからですよ」と指摘しておきました。これに対しては、返答なしでした。

いずれにしても来年からは従来通りの時間に出発できることになりましたので、すぐに実行委員会のメンバーにそのことを伝えるとともに、「採火の時間を出来るだけ遅らせて、警備員の負担を減らせるようにしてください」とお願いしました。もちろん「OKです」の返事です。

今日も県内のどこかで走っている「反核平和の火リレー」が、無事に走り継がれることを願っています。

いのちとうとし

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