住吉神社の由来と被爆
管弦祭を見に行ったことがきっかけとなり、住吉神社の歴史を調べてみました。
境内に掲示された由来によれば、享保18年 (1733)に5神が祀られ勧請され、江戸時代は、浅野藩の船の守護神として信仰されました。寛政10年(1798年)水主町(現在の加古町)で大火がありましたが、住吉神社で鎮火し、当時の人は神威の偉大さに驚いたといわれています。しかし、社殿が煙でけがされたとして、翌年6月に現在の場所に遷宮されました。そのため、この日・旧暦の6月12,13日が、夏の例大祭日となり、現在に続いているようです。
ですから、住吉神社は、原爆投下時現在地にありましたので、爆心地から約1.3キロの地点で被爆したことになります。
広島原爆戦災誌によれば、当時「神殿・拝殿・渡廊下など木造平屋建約40坪の建物があった」とされ、その被害は「社殿はじめ社宝・重要文書などすべて焼失し、境内に茂っていた老松もほとんど枯れ死したが、ただ1本、川べりの松が現在まで残っている」と記されています。「ただ1本」の記述を覚えていてほしいと思います。
さらに原爆戦災誌には、被災当日の様子を次のように記しています。「境内に被災者が雲集し、臨時救護所が設置された。また、ここから暁部隊の舟艇によって多数の負傷者が似ノ島(原文のまま)その他へ運ばれていった。」
住吉橋のアーチの向こうに似ノ島が見える
この原爆戦災誌には書かれていませんが、「住吉橋記念燈」は、奇跡的に倒壊を免れたようです。
さらに同誌には再建について「昭和23年(1948年)、バラック建てながら神殿と社務所を再建し、同年6月、戦後最初の例祭を執行した。しかし、世情なお不安で参拝者はなかった。」と書かれています。
その後、平成5年(1993年)に太田川高潮対策事業が開催され、堤防のかさ上げが行われ、平成8年(1996年)現在の社殿となりました。
現在は社殿右側奥に平成11年(1999年)に建立された小さな社の合格神社があります。
住吉神社で被爆由来のものを今も見ることができるのは、被爆樹木のクロマツと「住吉橋記念燈」ですが、これらについては次回16日に紹介します。
いのちとうとし
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