坂本千尋さんを偲ぶ会
「岩国基地の拡張・強化に反対する広島県住民の会」の共同代表であり事務局長として、県境を越える運動の中心的役割を果たしてきた坂本千尋さんが、6月5日に亡くなられました。69歳でした。
その坂本千尋さんを偲ぶ会が、昨日午前10時から廿日市市の日本基督教団廿日市教会で行われました。
坂本さんは、2003年3月20日に米軍がイラク攻撃を開始したことや日本政府が有事法制を打ち出したことに反対するため2005年に廿日市市役所前広場で行われた81日間の座込み(毎日1時間)に参加したことから運動に深く関るようになり、2005年12月に結成された「岩国基地の拡張・強化に反対する広島西部住民の会」(2018年に「県民の会」へ発展)の事務局長に就任し、後に共同代表となり、同会の中心として活躍してきました。
「偲ぶ会」の会場となった日本基督教団廿日市教会は、座込み行動をどうつなげていくのかが話し合われた場所で、その後の坂本さんの運動を支えた場所でもあったようです。
偲ぶ会には、地元廿日市だけでなく県西部、そして長年共に運動を続けてきた岩国から仲間が参加しました。
偲ぶ会は、坂本さんと二人三脚のような一緒に行動していた西浦紘子さんの司会で始まりました。
第一部は、追悼と祈り。キリスト教形式です。廿日市教会牧師の東歩さんの司式で進みました。第二部は、参加者有志による追悼と思い出の話でした。岩国の田村順玄さんなど一緒に運動を続けてきた人たちのスピーチです。どのお話も、ひたむきに懸命に運動を続けてきた坂本さんのありし日を偲ぶ内容でした。
私と坂本さんの出会いは、いつだったかはっきりと覚えていませんが、10年ぐらい前だったような気がします。「岩国基地の拡張・強化に反対する広島西部住民の会」のメンバーが、中四国防衛局に申し入れを行う時、「一緒に参加してほしい」と要請されたことがきっかけだったように思います。
そして最後の出会いも5月24日のやはり中四国防衛局への申し入れの日でした。「偲ぶ会」でのあいさつで初めて知ったのですが、この日すでに体調は非常に悪かったようで、最後の申し入れとなるを覚悟していたようです。
私はそんなことを全く知りませんでしたので、のらりくらりの回答を続ける中四国防衛局に最後に「爆音被害の調査を行い、改めて回答してほしい」と約束をさせました。しかし、この回答を受ける話し合いの場に坂本さんが同席することはないのだと痛恨の思いを感じた偲ぶ会でした。
坂本さんの訃報を知らせていただいた西浦弘子さんに、次のようなメールを返信しました。
「突然の坂本さんの訃報にただただびっくりしています。
先日、声をかけていただき、防衛施設局にご一緒させていただいたばかりですのに。
その日に、『いつも元気をいただいています』とメールが届き、少しは役に立っているかなと思っていました。
坂本さんの熱意に、何となくできることはしなければと思わされ、行動に参加させていただきました。
お伺いすることはできませんが、広島市内からご冥福をお祈りしています。」
いのちとうとし
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