「広島ブログ」

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2022年7月

2022年7月31日 (日)

022.7月のブルーベリー農園その4

どうも天気が安定しないが、晴れ間をぬって摘み取り、草刈り、テントタープの設置などを行う。ブルーベリーも実の状態は例年より1週間程度実るのが早いようで、安芸の郷でのブルーベリーの販売も少し早めている。ブルーベリーの摘み取りシーズンに入ったので、にぎやかであわただしい日々が続いている。

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723日(土)

農園に広がる青空

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摘み取り援農の友人たちは里山のブルーベリー園に向かう。

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724日(日)

里山東側のブルーベリー園の草刈りが終了。摘み取りシーズンにどうにか間に合った。

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農園の庭のユッカに残るセミの抜け殻

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725日(月)

4つの援農グループが来園。午前中の摘み取りを終えてブルーベリーを集め、お昼の休憩に入る。

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摘み取り援農の皆さんにはいつも2時頃に休憩している。その間にブルーベリージュースを飲んでいただく。暑い中なので特においしく感じられるようだ。

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森の工房みみずくの利用者、職員3名も摘み取りを行う。援農の皆さんの摘み取った実も一緒に持ち帰り、選別も行って生食の注文を一つ一つさばいていく。8月いっぱい忙しい日々がつづく。

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727日(水)

テントタープ、テーブルを設置。

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2時前雨が降り出した。この日はブルーベリーの摘み取りで農園から依頼した東広島市の就労継続支援B型の事業所「エミリィプラス」の皆さんも来園。予定をこなして帰途につく。

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帰り道にある田んぼ。雨が降った後うっすらともやがかかる。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年7月30日 (土)

「せこへい美術館」に行きました

27日に被爆二世裁判を傍聴した後、県立美術館に行きました。目的は、7月25日から31日まで地下の県民ギャラリー展示室5で開催されている「せこへい美術館」を見るためです。

「せこへい」とは、「世界の子ども平和像」の愛称ですが、広島では2001年8月6日に当時の広島市長秋葉忠利の協力を得て、旧広島市民球場南の緑地帯に完成しました。

「せこへい」をつくった人たちが中心となって毎年開催されているのが、「せこへい美術館」です。

これまでは、中区の旧日銀広島支店で開催されていましたが、今年は同建物が改修工事で使えないため、県立美術館での開催となったようです。

今年で21回目となる「せこへい美術館」の目的は、「子ども」と「平和」にふさわしい作品を集めて、広く世界に核と戦争のない世界をアピールすることです。(チラシより)

日本の子どもの作品だけでなく、イラク、カザフスタン、カンボジア、パレスチナなどの子どもの作品も展示されています。

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メインの作品は、二つありました。

一つは、「ボディ・マップ」と呼ばれる作品です。畳一帖大の紙に被爆者の等身大の体の輪郭を型取って、その人の生まれたところ、被爆体験、伝えたいことなどを書きこみ、その人の思いを伝えようというものです。毎年新しい人の作品が加わっていますが、今年新たに5人の「ボディ・マップ」が制作されています。今月27日の中国新聞に、そのうちの一人豊永恵三郎さんの作品のことが紹介されていましたので、今年は余計に興味深く見ました。

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もう一つは、会場真ん中ほどにある2本の柱に巻きつけられた「キッズゲルニカ」の作品です。

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キャプションには次のように書かれています。

「この作品は戦争の悲惨さを描いたピカソの名作『ゲルニカ』と同じサイズ(3.6m×7.8m)のキャンパスに子どもたちが平和の願いを描く国際プロジェクト『キッズゲルニカ』一環で制作しました。(略)

ウクライナ戦争で苦しめられる子どもたちや市民の被害を報道で知って、アートで平和を訴えようとアトリエぱおの園児から美大受験生、そして一般市民の約200人が参加して、日本、ウクライナ両国の四季をイメージし、桜や銀杏、ひまわりや麦畑を描きました。ウクライナ人の母親を持つ平石英心さんとその親友岡野純大さんなどが、多数開いたウクライナ避難民支援のチャリティーコンサートに寄せられた『ウクライナとともに』のメッセージ約300通も花びらや葉に多言語で書いて反戦や平和の願いをアピールしています。」

ここ数年「せこへい美術館」に足を運んでいますが、今年も新しい作品が加わり、新たな展開の美術展となっていました。

コロナの影響でしょうか、県立美術館の地下にある5つの展示室のうち、2室しか使われていませんでした。

いのちとうとし

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2022年7月29日 (金)

「被爆二世裁判」が結審し、判決は来年2月7日

「被爆二世に対し国が援護措置を怠ったのは違憲である」と損害賠償を求めて被爆二世が、2017年2月17日に提訴した「被爆二世裁判」は、第16回目となる口頭弁論が、一昨日(27日)午後1時半から、広島地方裁判所第302号法廷で行われました。

今回の公判で結審(全ての審理を終わる)となるため原告(被爆二世)弁護団は、これまで主張してきたことをまとめた111ページに及ぶ「原告ら最終準備書面」を提出しました。

主な主張は、①被爆者援護法1条3号は、『原爆の放射線により身体的影響のを受けた可能性のある人を対象としている』のだから当然被爆二世も対象となるべき②放射線被害の遺伝的(継世代)影響は、動物実験によって影響が証明されており、ヒトに対する放射線の遺伝的影響の可能性は否定できない③被爆二世への援護措置は『二世検診』のみであり、援護法制定時の付帯決議も実施されていない④こうしたことを考えれば、被爆二世に対し何らかの立法措置を取るべきであったのに、国は怠っており、立法作為義務違反である」です。

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これに対し、被告国側も最終準備書面となる第12準備書面を提出しましたが、その主な主張は、原告の「立法不作為への反論」と「遺伝的影響があるという根拠はない」という従来の主張を繰り返したものでした。

最終弁論となったこの日の公判では、28人の原告(提訴時は22人)を代表し、原告団副団長の寺中正樹さんが、次のような意見陳述を行いました。

「爆心地から1.7~1.8キロの地点で被爆し大やけどを負い生死をさまよった父。生まれてすぐに高熱を出してけいれんを起したり風邪をひきやすかったり出血をしやすかったりの体調、成人してからも十二指腸潰瘍やC型肝炎、脳梗塞などの疾患、色々な病気に罹るなどの健康不安は父の被爆の影響と思った。」と自らの体験を訴えるとともに自らが自治体の行ったアンケート調査結果をもとに「国が実施している被爆二世検診にしても実施していない県があるにもかかわらず国は放置したまま。今回国がひな型を示した『被爆二世健康記録簿』も発行していない県が多数存在した」と「国の格差を放置した不作為」を厳しくただしました。

これで全ての弁論が終わり、判決は、来年2月7日に言い渡されることになりました。

なお、7月20日に結審した長崎地裁での判決言い渡し日は、今年の12月12日に行われますので、この長崎地裁での判決内容が広島地裁判決にも大きな影響を持つことになると思われます。

いのちとうとし

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2022年7月28日 (木)

「非核平和行進」広島県入り

被爆77周年原水禁世界大会成功のため実施されている「非核平和行進」東部コースが、昨日昼過ぎに岡山県から引き継がれ、広島県に入りました。

一昨年、昨年とコロナの影響で、「非核平和行進」も中止となりましたが、今年はそれぞれの地域の事情を考慮しながら、実施することになり、昨日の広島県入りとなりました。

福山市野々浜バス停で行われた引継ぎ式では、広島県原水禁の高橋克浩事務局長が「コロナ禍で3年ぶりの平和行進となりましたが、4月からの感染拡大に伴い全国でこれまで通りの行進はできませんでしたが、各県や市町で感染対策など創意工夫し、今日広島につないでいただきました。全国の皆さんが繋いでいただいた反核。反戦・平和の想いを8月4日からの被爆77周年原水爆禁止世界大会の成功に向けて平和公園まで繋いでいきます。」とあいさつしました。

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引継ぎ式が終わると福山地区のみなさんによって広島県内の非核平和行進がスタートしました。一日目は、福山地区労センター、神石地区労のみなさんが、福山市役所前まで行進しました。

この東部コースの「非核平和行進」は、尾道、三原、竹原、呉などを繋ぎ、8月3日の午前中に平和公園慰霊碑前に到着する予定です。

毎年のことですが「非核平和行進」が広島県入りすると、いよいよ原水禁大会が近づいたということを実感します。

厳しい暑さとコロナの感染拡大が続いていますので、体調に気をつけながら、無事に進むことを祈っています。

いのちとうとし

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2022年7月27日 (水)

2022年版広島市「原爆被爆者対策事業概要」-「在外被爆者の支援」を大幅修正

毎年7月に「原爆被爆者対策事業概要」が発表されますが、2022年度版が発行されました。

昨年8月24日のブログ広島市「原爆被爆者対策事業概要」-「在外被爆者の支援」を修正: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で、「原爆被爆者対策事業概要」の「第4編 その他」の「第4章 在外被爆者への支援」の記載内容が修正されてのですが、その修正内容は不十分なものだったことを紹介しました。

昨年の段階で、「ぜひ来年度はきちんと修正してほしい」旨、広島市の担当課に要望を出しておきました。

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今年5月に入り、広島市から「令和4年(2022年)版 原爆被爆者対策事業概要のうち、

『在外被爆者支援事業等』の部分について、次のとおり修正を予定しておりますのでご査収ください。なお、黄色いマーカー部分が加筆、修正部分です。」との前書きとともに次の修正内容が送られてきました。

「平成14年(2002年)125日大阪高等裁判所において『日本から出国した在外被爆者に引き続き手当の受給資格がある。』との判決が下されたことから、平成15年(2003年)31に、被爆者健康手帳の交付を受けた者が日本の領域を超えて居住地を移した場合には健康管理手当等の受給権は失権になるものと定めた通達(402号通達・昭和49年(1974年)7月22日)のうち、失権取扱いの定めを廃止する通知を発出するとともに改正政省令公布・施行し、平成15年(2003年)8月から健康管理手当など諸手当の海外送金を開始した。

なお、この402号通達の失権取り扱いの定めは、平成19年(2007年)11月1日の最高裁判決において、『原爆二法の解釈を誤る違法なものであるといわざるを得ない』と判示されている。

この修正内容は、違法な402号通達によって在外被爆者の受給資格が失権していたことが明記されていますので、私が昨年要望していた内容がほぼ盛り込まれることになりました。

しかし、2007年の最高裁判決は、ただ「解釈を誤る違法なもの」であったとしただけでなく、国に対し「賠償金の支払い」まで命じたことが非常に重要であると思っていましたので、そのことをぜひ記載してほしい旨、改めて要望しました。

広島市もそれを受け止め「『原爆二法の解釈を誤る違法なものであったといわざるを得ない』と判示され、賠償金の支払いが命じられた」と、太字部分を追加修正することになり、「賠償金の支払いが命じられた」ことが、きちんと明記されました。

在外被爆者の権利を阻害していた402号通達が、違法とされ「賠償金を支払う」ことになったことを公的な文書で明記したものは、私の知る限り存在しません。

昨年8月24日のブログでも書きましたが、「原爆被爆者対策事業概要」は、広島県・市、長崎県・市がそれぞれ毎年発行していますが、「裁判によって」在外被爆者への援護法適用が実現、拡大したことが記載されているのは、広島市の「原爆被爆者対策事業概要」だけですので、その記載内容が正確に修正されたことは、在外被爆者問題を考えるうえで、非常に重要で意義あることだといえます。

この記載は、当然次年度以降も引き継がれることになると思いますので、公的文書である広島市の「原爆被爆者対策事業概要」に明記されて残るという意味でもありますので、本当によかったと思っています。

いのちとうとし

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2022年7月26日 (火)

ヒロシマとベトナム(その34)ー「“エージェントオレンジDay”‘2022 in ヒロシマ」

今日は、昨年に続き取り組む「“エージェントオレンジDay”‘2022 in ヒロシマ」の紹介をします。

「エージェントオレンジDay」は、1961年8月10日に米軍がコントウム省で初めて枯葉剤を散布した日に由来しています。ベトナム政府が2004年に、この日を“決して忘れず”、“枯葉剤被害者の支援”と“枯葉剤被害を繰り返させない”ための日として定めた祭日です。 ヒロシマの8月6日に当たる日です。

ベトナム各地、世界各国、日本でも様々なイベントが催されます。昨年、「枯葉剤60年」を迎えたことから、被爆県ヒロシマで初めての「エージェントオレンジDay」の取り組みをしました。

今年、第2回目の取り組みを準備しています。

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ロシアのウクライナ侵攻で多くの市民の命が奪われ、核使用の懸念が高まる中で先般初めての核兵器禁止条約の締結国会議が開催され、そして今夏、NPT再検討会議が開催されます。戦争と核の脅威が眼前の中で、「原爆の日」(8月6日)に続く、「エージェントオレンジDay」(8月10日)、「核も化学兵器もノー」「ウクライナに平和を」の思いをつなぎ合いたいと考えています。

“LOVE&PEACEコンサート”(平和を語り継ぐコンサート)は、グエン・ドクさんの活動を支援されている歌手の美地さんを東京から迎え、県内・東広島で活動している篠笛やオカリナの演奏家、地元黒瀬のバンドチーム、広島大学の学生さんなどに平和を奏でていただきます。黒瀬地域の住民自治協議会や学校、ボランティアなど多くの皆さんに参画いただき準備を進めています。

是非、お気軽にご参加ください。

〔お問合せ〕一般社団法人広島ベトナム平和友好協会 専務理事赤木達男

(電話)082-423-7235 (携帯)090-1010-0472 

E-Mailakatatu@d4.dion.ne.jp

(2022年7月26日、あかたつ)

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2022年7月25日 (月)

東京電力株主代表訴訟判決

 15年以上前、東京電力の株を購入しました。福島原発事故より前です。「いくらで買ったか?」と訊ねられてもお答えしません。現在の東京電力株価は500円くらいですが、これより桁が一つ上の値段です。

 2011年3月11日(金曜日)午後2時46分、残り14分で東京証券取引所の株の取引きは終了します。この時の東京電力株の終値は、2200円程度だったと記憶しています。いくら何でも、14分間で株価は動きませんでした。それから土日の二日間、福島第一原発事故は悲惨な状況になったのは、皆さんご存知の通りです。

 そして3月14日(月曜日)、東京電力株価はまさにジェットコースターが急降下するように下がり始めました。月・火・水……下がりまくりとなりました。そして今、500円程度を右往左往しています。もちろん株主配当はありませんし、これから回復の見込みは、「今のままなら」望めません。あえて「今のままなら」と書いたのは、東京電力が原発を止めたら、上がることは想像できます。

 ということで東京電力の株主になって、福島第一原発事故当時の取締役が津波対策をあえて行わなかったことに対し、株主代表訴訟の原告となったのです。

そして7月13日、判決の日を迎えました。東京地方裁判所で約10年裁判が行われたのですが、公判で東京へ行くのは無理なので、あえて判決の日にはと思って上京しました。判決の内容などについては、マスコミで大きく報道されましたから省略します。大勝利でした。

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 マスコミが報じなかったことを、ここで書きます。原告ですから原告席に座りました。裁判長の右顔を左側から見るという感じになりました。

午後3時開廷、冒頭2分間のカメラ撮影が終わり、緊張感の中でその時を迎えました。

 裁判長は判決言渡しに先駆けて、4つのお願いをしました。これが本当にユニークでした。残念ながら4つのうち、二つは思い出せません。

一つは、コロナの感染が拡大していますが、今日の法廷は密になりましたが、許可しました。コロナ予防には不織布マスクが有効とされています。不織布マスクをお持ちでない方は、特別に裁判所からお配りしますので、お申し出ください。

二つめは、判決読み上げ中に、声を上げたい方もいると思いますが、発言は心の中で行って、裁判が終わった後で、法廷の外でやってください。

 これまでの経験では判決に先がけて、このような発言をする裁判官は初めてです。「不織布マスクを頂きたいです」と発言したかったのですが、他の原告仲間から睨まれると思い止めました。貰っていれば、最大の東京みやげになったと思うのですが。「発言は心の中で」というのも、とても爽やかな印象を受けました。

 海外からも含め、マスコミもたくさん来ていました。見た限りでは韓国や英語圏もいて、女性記者がカメラに向かってハングル語で早口に喋っていました。海外メディアも大きく報じたようです。

 株主といえば、売ったり買ったりという投資する側の対象者ですが、もう一つの権利というか義務は、会社の経営に対ししっかりと意見を発し、会社が問題を起こした時には、それを糾すことだと思っています、当然ですが、株を売却したら株主代表訴訟の原告を降りなければなりません。損を覚悟で株を売ることもできません。せめてもの恨み晴らしです。

木原省治

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2022年7月24日 (日)

反核平和の火リレーが、平和公園原爆慰霊碑前に帰ってきました

7月4日に平和公園原爆慰霊碑前をスタートした「第41回反核平和の火リレー」は、県内23全市町と広島県庁を経由し22日午後6時過ぎに原爆慰霊碑前に帰ってきました。

広島市長に最後の自治体要請

各自治体への要請行動の最後はいつものように広島市です。

「反核平和の火リレー」は、広島県への要請を終え、予定より少し遅くなりましたが、午後5時30分頃、松井一実広島市長、佐々木寿吉広島市議会議長、市議会市民連合市議団が待つ、広島市役所前に到着しました。

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広島市役所前庭にある「慰霊碑」に全員で黙とうをした後、セレモニーが始まりました。司会者のあいさつの後、松井一実広島市長、佐々木寿吉議長、さらに市民連合市議団を代表して山内正晃市議が、それぞれ激励のあいさつ。

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最後に広島地区平和友好祭実行委員会の代表が、松井市長、佐々木議長に要請書を提出して広島市役所前のセレモニーは終わり、拍手に送られながら最後のコースとなる原爆慰霊碑前に向かった出発しました。

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到着式

予定の午後6時過ぎ、県内508キロ(当初は、655.5キロの予定でしたが、一部の区間が悪天候のため中止となった)約630人のランナーが引き継いできた「反核平和の火」が、8月6日の平和記念式典の準備が進む平和公園に戻ってきました。

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最終ランナーは、新田康博県実行委員長と学生ランナーの、広島朝鮮初中高等学校中学3年のホ・チェリョンさん、キム・ユソンさん、キム・ソンヒョさん、岸田とわさん(高校2年生)岸田こはるさん(小学校4年生)姉妹、一般ランナーはトーチを手にした中船津徹郎さん(広教組)と原爆養護ホーム勤務の青野啓介さん、佐々木英樹さん、新谷龍一さん、中村陽士(たかし)さん、大嵜華奈さんの13人です。

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慰霊碑に黙とうした後、新田実行委員長が「リレー走破の報告」、続いてを広島県原水禁、広島県被団協の代表から「ねぎらいの言葉」、広島県平和運動センター、社民党、新社会党の代表の紹介が行われました。さらに、広島市長のメッセージが紹介されました。

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そして、7月4日に「平和の灯」から採火し、県内をくまなく走り継いだ「反核平和の火」が、消灯されました。

最後に、広島県音楽サークル協議会の指揮のもと、全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、今年の反核平和の火リレーは無事終了しました。

一昨日、このブログに次のコメントが書き込まれました。いろいろなとことで多くのみなさんから応援があったことがわかりますので、紹介します。

「本日たまたまお見かけしました! 聖火をもって車について行っておられました。たまたまとはいえ自らこういった活動をされている方がいらっしゃることに誇りをもてます。そして是非頑張って頂きたいです。廿日市市山の手の歩道にたまたまいた中学生より」

いのちとうとし

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2022年7月23日 (土)

2022.7月のブルーベリー農園その3

青い空と白い雲の空の景色はいつも姿を変えているので農園から見える空は見飽きない。722日はまだ曇ったり晴れたりの天気だが、どうやら23日からぐずぐずした天気は終わり梅雨明けのカラッとした青空がしばらく続くようだ。ブルーベリーの収穫も晩生(ラビットアイ系)が本格的に実りの季節を迎える。安芸区の矢野にある安芸の郷の事業所のひとつ森の工房みみずくでは、21日から農園でのブルーベリーの摘み取り研修が始まる。ここで摘み取った実は食品加工部門で選別され、生食用、加工用(ジャムやソース、ジュレ)、冷凍保存用の用途別に利用される。安芸の郷も農園もとても忙しい夏が始まる。

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716日(土)

こまめに草刈りを続ける。ブルーベリー畑の草刈りの後の防草シートの整理整頓も済んだので、あとは里山の草刈りが待っている。

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里山の木立の薄暗い場所でイトトンボがとまっている。

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717日(日)

晩生のブルーベリーの様子を見る。実がピンク色になっている木がある。ベッキーブルーという品種。

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大粒ではじけるような実はウッダードという品種。

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718日(月)

午前中に家族連れの摘み取り援農があったが、雨が30分ほど強く降ったので昼までで摘み取りは終わり。摘み取りにお見えになった職員の家族連れも帰途につく。

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見送ってから、しばらくして雨が上がったので畑の防鳥ネットを張っている中の草刈りを行う。ネットの裾を上げてから刈り払い機を使う。ブルーベリーの木が小さいので草がバサバサと絶え間なく伸びる。

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720日(火)

オオハゴンソウが開花。

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721日(木)

森の工房みみずくのブルーベリーの摘み取りが始まる。

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摘み取る前に並べたブルーベリーの実で酸っぱい、甘いの判断を実の大きさで食べ比べてみる。どれも色づいているが一番右端の大きい実が甘い。それ以外は酸っぱい。大きさを覚えてから大きい実を摘み取る作業に入る。

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12日にはまだ固い蕾だったが、オニユリが咲きだした。

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農園の近くの田んぼにサギがえさを求めてじぃーと立っている。

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年7月22日 (金)

三原地区、府中地区の7月の「19日行動」

三原地区の藤本講治さん、府中地区の小川敏男さんから、今月も「19日行動」の報告が届きました。

三原地区

7月19日、火曜日、1730分、16人がいつものように三原駅前に立って街頭アピール行動を行いました。この度の参議院選挙において、憲法改正に前向きな国会の勢力が3分の2を超える結果となったことや安倍元首相の射殺事件などを受けて、今後の改憲の動向や民主主義のあり様について6人の弁士がスピーチを行いました。

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アピールの締めを担った岡崎敏彦さんは、①「選挙結果を受けて、まさに私たち主権者がいよいよ真剣に憲法改正と向き合わなければならない。危惧していた国民投票が迫ってきている。私たちは、すばらしい日本の憲法9条・恒久平和を守り抜くために対抗していかなければならない」。②「改めて憲法とは何ぞや。憲法がどういう形で作られたのか。憲法前文から103条からなる条文を読み返し、どんなにすばらしい憲法かをしっかり確認しようではありませんか。そうした取り組みを日常茶飯事にいろんな機会を通じて仲間に話をする地道な運動をしないかぎりは、国民投票直前になって動いても押し切られてしまうと思う。主権者である私たちがどういう判断をしていくかにかかっている」。③「これから3年間、いくらも時間はありませんが、少しずつ運動を広げて何としても世界に誇りうる憲法9条を守り抜こうではありませんか。日本の憲法は、世界のどこにもないすばらしい憲法です。お互い学習を深め、護憲の運動、憲法を暮らしに活かす・政治に活かす運動を地道にやって行こうではありませんか」。とくくりました。

藤本講治

府中地区

安保法制に反対する府中市民の会は恒例のまちかどツアーを行いました。

上下Aコープ前7人、府中天満屋前9人の参加で、各所30分間リレートークとスタンディングを行いました。

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上下Aコープ前

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府中天満屋前

スピーチ内容は、安保法制など憲法をなし崩しにする政策を行ってきた自民党政権の根っこに統一教会との問題があったことがわかった。安倍内閣下村文科相が統一教会の名称変更を許可したことは象徴的な出来事だった。モリカケサクラ問題や安保法制など民主主義を壊してきた元首相の国葬には反対する。維新松井代表は何かにつけ「令和の世の中だから昭和でなく令和でものを考えよう」というが、命を守ることに昭和も令和もない。軍備ではなく教育と福祉にもっと金を使うよう訴えていこう。ロシア・ウクライナ戦争で軍備拡大や敵基地攻撃能力保持まで話が出ているが、NATO加盟国と日本の立場の違いを冷静に見つめる必要がある。など、選挙結果や安部元首相暗殺について多く言及し、平和国家の目指すべき姿は防衛力拡大ではなく外交力の強化だと異口同音に訴えました。特に安部元首相国葬について鋭く批判しました。

小川敏男


府中地区の原稿は、小川さんが参加できなかったため、石岡真由海さんの原稿を本人の了解を得て小川さんが送ってくれました。

毎月定期的に取り組まれている両地区の行動に敬意を表します。

いのちとうとし

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2022年7月21日 (木)

ベトナムの歴史(その13-2)

後期黎朝:苦難の統一国家への歩み ~歴史上最も混乱した時代~

 ところが、歴史はそんなに直線的には歩ませてくれません。レ・タイン・トン(黎聖宗)の死とともに黎朝は急速に衰退し、200年余にわたる混乱の歴史に入ります。

なぜ、混乱に陥ったのでしょうか。

小倉貞男著『物語ヴェトナムの歴史』によると、「国王が無能で無茶苦茶な生活を送ったから」「毎日宮殿で廷臣と酒を飲んで酔っ払い」「逆らうものは即座に殺し」「一族には逃げ出す者もいた」。「官僚は権力をかさにきて蓄財に熱心」「民衆の反抗を招き、従兄弟が民衆に推され義軍を指揮」「皇后は首をくくり」「(8代皇帝)レ・ヴィ・モク(黎威穆)は毒を飲んで死んだ」・・・・と、書かれています。

こうした中で1527年にマック(莫)氏が黎朝から権力を奪い、分裂と抗争を繰り返す「ベトナム史上最も混乱した時代」と言われる「南北抗争時代」、一種の戦国時代に入ります。

その頃の日本も戦国時代。毛利元就が兄・興元(おきもと)の急死の翌年、甥の幸松丸の後見役として臨んだ初陣で佐東銀山城主・武田元繁を討ち取り、その後、幸松丸の急死で毛利家当主に就いた頃です。その後、陶晴賢を厳島で破り、山口の大内氏、出雲の尼子氏を滅ぼし中国8カ国の覇者になったことはご存知の通りです。

話をベトナムに戻します。戦乱当初は権力を奪われたレイ(黎)氏とバック(莫)氏の間で、次いでグエン(阮)氏とチン(陳)氏の間で展開され、1558年に中部のフエにグエン(阮)氏の独立政権(広南国)が成立します。

1771年には「西山(タイソン)の乱」が起こり、一時、西山朝が成立します。グエン・フック・アインは敗退し、転戦しながらタイに逃れます。

 初めてベトナム全土を統一した阮朝

グエン・フック・アインは1787年にフランス人宣教師の援助で借りたフランスやイギリスなどの軍勢を伴いベトナム国内へ戻ります。翌1788年には南部のサイゴンを奪回、1801年に中部のクアンナム(広南)の奪回とホイアンを制圧、そして1802年に北部のタンロン(昇龍、現在のハノイ)に入城し西山朝を滅ぼします。

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阮朝の王宮(フエ)

こうしてグエン・フック・アイン(阮福映)が200年余続いた戦乱期に終止符を打ち、1802年に阮朝を興し、現在のベトナム国土全土を統一し越南国を建てました。グエン王朝の首都はベトナム中部、世界遺産の町「古都フエ」です。

ところが、その後の1世紀にわたるフランスの植民地時代のきっかけも、この時に外国の力を借りたことに起因します。そして、ベトナム全土を初めて統一した王朝の阮朝は、ベトナム最後の王朝でもあったのです。

ここからフランスの支配が始まり、第二次世界大戦時には日本軍が侵攻、日本の敗戦で再びフランスが植民地支配、1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスを敗退させた後、南北を分断され、フランスに代わってアメリカが進駐。南ベトナムを支援するアメリカ軍との戦い(ベトナム戦争)が1975年4月30日のサイゴン解放まで続きます。

日本と、また私たち広島と関わりの大きいこの時代の歴史を、順次、見てゆきたいと思います。

(2022年7月21日、あかたつ)

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2022年7月20日 (水)

ベトナムの歴史(その13-1)

前期黎朝:ベトナム初の統一国家への歩み ~最も輝かしい時代~

前号で紹介しましたように明軍を破ったレ・ロイ(黎利)が、1428年にトンキン(東京、現在のハノイ)を都に大越国を建てます。その黎朝は前期(14281527年)、後期(15331788年)の360年に及びます。

ベトナムの歴史は「北属南進」の歴史と言われています。すなわち、北(中国)の圧力を受けながら南に拡張していく歴史という意味です。黎朝5代皇帝、レ・タイン・トン(黎聖宗、在位14601496年)の時代が、そのベトナムの歴史で「最も輝かしい時代」と言われています。

内政では明朝に習って諸制度を整備し、耕地の公田制を進め国勢を高めます。「南進」では1471年にチャンパ王国を滅ぼし、支配は中部から南部に及ぶようになります。西に向かってはラオスのラーンサーン王国を攻略します。

下の2つの地図を見てください。当時のベトナムは北部地域をトンキン(東京)、中部をアンナン、南部をコーチシナと呼んでいました。黎朝は中国(明)の「圧力」を受けながら北部地域のトンキンを治める王朝に過ぎず、中部のアンナン(安南)はチャンパ王国が支配し、南部のコーチシナ(交趾支那)は12世紀頃からカンボジアのクメール王国が支配していました。それを示しているのが右の地図です。

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ベトナムの歴史は「北(中国)の圧力を受けながら南(チャンパやクメール)に拡張していった歴史」と言いましたが、逆の見方をすれば、北(中国)の圧力と南(チャンパやクメール)の圧力に挟まれていた、「南北挟み撃ち」の状態にあったとも言えます。その挟み撃ち状態の中で、強大な中国に抗い、朝貢政策をとりつつ南進を続けたのです。そして、インドシナ半島の東側を占める現在のベトナム国土への足掛かりを築いたのが前期黎朝の時代です。

(2022年7月20日、あかたつ)

【編集者】ベトナムの歴史(その13)は、明日「つづき」を掲載します。

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2022年7月19日 (火)

「原爆の絵」原画展に行っていました

廿日市市役所敷地内にある「はつかいち美術ギャラリー」で、7月14日から8月14日までの会期で「第26回平和美術展『原爆の絵』原画展が開催されています。

「『原爆の絵』原画展」が開催されていることは、ギャラリーたむらに貼られたポスターで知っていました。16日に行われた「坂本千尋さんを偲ぶ会」に参列した後、近くまで来ましたので廿日市美術ギャラリーを訪れました。

はつかいち美術ギャラリーは、開館以来毎年8月を中心に、美術作品を通して平和について考える「平和美術展」を開催していますが、26回目となる今年は、2007年から広島市立基町高校普通科創造表現コースの生徒と被爆体験者が共同して制作している「原爆の絵」の原画を展示しています。

基町高校の「原爆の絵」は、今年新たに11点が加わり、全部で182点が制作されていますが、今回の展覧会には、基町高校の担当の先生と協議し、今年作成されたものを除いたもののうち約100点が展示されています。

私も何度か、平和公園内の国際会議場で開催された「『原爆の絵』原画展」を見に行っていますが、100点もの作品が一堂に展示された展覧会は、初めてのことです。

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会場は撮影禁止でしたので、その様子を画像で紹介することはできませんが、本格的に美術ギャラリーならではの展示となっています。

展示方法は、被爆体験者ごとに展示されています。その中で、気になった2点があります。1点は、2013年度に作成された「私が見た被爆直後の被爆者(福島川河川敷)」で被爆体験証言者は、井口健さんです。もう1点は、並べて展示された「力尽きた人々」で被爆体験証言者は、私もよく知っている朴南珠さんです。「力尽きた人々」は、2016年度に作成された作品ですが、当時の様子を記したキャプションをよく読むと、この絵も福島川の河川敷の様子を描いたものだということがわかりました。井口健さんの証言を描いた絵も朴南無珠さんの証言を描いた絵も、今回の展示では、いずれも1枚だけですので、たまたま隣あったものと思われますが、同じ場所を違う人の証言で描かれた絵を比較してみることができる展示となっています。

被爆体験証言者ごとに並べるのもよい方法だと思いますが、描かれた場所ごとに、例えば広島駅を描いたものを並べて展示するとまた別の見方ができるのではないかと感じました。

そんなことが気になり、全て見終わった後、学芸員の方にそんな感想を伝えました。

その時、学芸員から教えられた情報があります。会場に入ってすぐ目にするのは、並べて展示された「被爆前の産業奨励館」(現在の原爆ドーム)と「被爆後の原爆ドーム」の絵です。この2枚の作品を見た時、被爆体験者の証言をもとに画かれた「原爆の絵」の中になぜ「被爆前」の絵があるのかなと、ちょっと疑問を感じていましたが、学芸員の解説でその理由が分かりました。

「被爆前の産業奨励館」の作者福本弥生さんは、現在この制作を指導されている先生でした。実は、この作品以外にもう一点高校生以外が描いた作品があります。元資料館長原田浩さんの証言をもとにして描かれた「炎上する車両を切り離す職員たち」です。製作者は橋本一貫となっています。橋本さんは、基町高校で「原爆の絵」制作が始まった時、指導されていた先生だそうです。24日の午前11時からと31日の午後2時からの2回、同会場で橋本一貫先生と制作者OBによるギャラリートーク(作品解説)が実施されます。

ところで毎年8月に国際会議場の地下2Fダリアで開催される展示会は、今年も8月7日から19日までの会期で開催されます。ここには、今年完成した11点を含む約60点が展示されることになっています。ぜひ新作を見ることができるこの展示会にも行かなければと思っています。

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2022年7月18日 (月)

新型コロナ感染者急拡大と4回目のワクチン接種

急速に拡大する新型コロナの感染者が、16日には全国で11万676人となり、1日当たりの感染者数としては、過去最多となりました。

7月に入り、感染者数が急速に増大しています。最初にその兆候が表れたのは、島根県でした。広島県は、全国の急拡大からみるとやや少ないものの、毎日先週比の倍という報告が続いています。

複合的な要因で感染が拡大していると思われますが、特に「冷房をかけていて換気が不十分になり、さらに感染力の強い『BA.5』に置き換わっている」ことが指摘されています。

10代の子どもたちに感染者が増大していることは、今回の感染拡大の特徴のように思います。

日常的には、マスクの着用や消毒など、従来の感染対策をきちんとやるしかないなと思いながらも、ワクチン接種もきちんとしなければと家族と話していましたので、4回目となるワクチン接種を昨日実施しました。

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わが家にワクチン接種の案内が届いたのは、6月28日でした。すぐにオンラインで予約の空き状況を検索。3回目の接種は、2月12日でしたので、7月12日以降しか予約できません。

一番早い空きが、7月18日午前11時15分ですので、すぐに二人分を予約しました。

これまで3回の接種はいずれも集団接種会場で行いましたので、今回も3回目と同じ紙屋町シャレオで行いました。

使用ワクチンは、過去3回と同じファイザーです。今回も過去と同じように少し筋肉痛はありますが、熱などの副反応はいまのところ全くありません。

最近のニュースでは、ワクチンを接種していても感染するケースがあると報告されていますが、それでも接種しないよりも感染の確率は低く、仮に感染しても重症化しないといわれていますので、私たち夫婦は、出来るだけ早い方が良いと思い、昨日ワクチン接種を実施しました。

接種後、15分間の待機中に渡された注意書には、「・4回目の接種の方へ ワクチンの接種は、今回で終了です。」と書かれていますので、5回目以降のワクチン接種の予定はないようです。もちろんコロナが終息して5回目の接種が無いことを願っていますが、現在のコロナ感染拡大の状況や治療薬が開発されていない中で、本当にこのまま5回目の接種をしないで済むのか、もう少し状況を見ていく必要があるように思います。

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2022年7月17日 (日)

坂本千尋さんを偲ぶ会

「岩国基地の拡張・強化に反対する広島県住民の会」の共同代表であり事務局長として、県境を越える運動の中心的役割を果たしてきた坂本千尋さんが、6月5日に亡くなられました。69歳でした。

その坂本千尋さんを偲ぶ会が、昨日午前10時から廿日市市の日本基督教団廿日市教会で行われました。

坂本さんは、2003年3月20日に米軍がイラク攻撃を開始したことや日本政府が有事法制を打ち出したことに反対するため2005年に廿日市市役所前広場で行われた81日間の座込み(毎日1時間)に参加したことから運動に深く関るようになり、2005年12月に結成された「岩国基地の拡張・強化に反対する広島西部住民の会」(2018年に「県民の会」へ発展)の事務局長に就任し、後に共同代表となり、同会の中心として活躍してきました。

「偲ぶ会」の会場となった日本基督教団廿日市教会は、座込み行動をどうつなげていくのかが話し合われた場所で、その後の坂本さんの運動を支えた場所でもあったようです。

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偲ぶ会には、地元廿日市だけでなく県西部、そして長年共に運動を続けてきた岩国から仲間が参加しました。

偲ぶ会は、坂本さんと二人三脚のような一緒に行動していた西浦紘子さんの司会で始まりました。

第一部は、追悼と祈り。キリスト教形式です。廿日市教会牧師の東歩さんの司式で進みました。第二部は、参加者有志による追悼と思い出の話でした。岩国の田村順玄さんなど一緒に運動を続けてきた人たちのスピーチです。どのお話も、ひたむきに懸命に運動を続けてきた坂本さんのありし日を偲ぶ内容でした。

私と坂本さんの出会いは、いつだったかはっきりと覚えていませんが、10年ぐらい前だったような気がします。「岩国基地の拡張・強化に反対する広島西部住民の会」のメンバーが、中四国防衛局に申し入れを行う時、「一緒に参加してほしい」と要請されたことがきっかけだったように思います。

そして最後の出会いも5月24日のやはり中四国防衛局への申し入れの日でした。「偲ぶ会」でのあいさつで初めて知ったのですが、この日すでに体調は非常に悪かったようで、最後の申し入れとなるを覚悟していたようです。

私はそんなことを全く知りませんでしたので、のらりくらりの回答を続ける中四国防衛局に最後に「爆音被害の調査を行い、改めて回答してほしい」と約束をさせました。しかし、この回答を受ける話し合いの場に坂本さんが同席することはないのだと痛恨の思いを感じた偲ぶ会でした。

坂本さんの訃報を知らせていただいた西浦弘子さんに、次のようなメールを返信しました。

「突然の坂本さんの訃報にただただびっくりしています。

先日、声をかけていただき、防衛施設局にご一緒させていただいたばかりですのに。

その日に、『いつも元気をいただいています』とメールが届き、少しは役に立っているかなと思っていました。

坂本さんの熱意に、何となくできることはしなければと思わされ、行動に参加させていただきました。

お伺いすることはできませんが、広島市内からご冥福をお祈りしています。」

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2022年7月16日 (土)

住吉神社の由来と被爆―つづき

今日は、住吉神社に残る被爆由来の「被爆樹木のクロマツ」と「住吉橋記念燈」を紹介します。

まず「被爆樹木のクロマツ」です。広島市の被爆樹木リストでは次のように紹介されています。

「住吉神社には、爆心地から1,300mで被爆したクロマツが2本あります。
もともとこのあたりにはたくさんのクロマツが植えられていたそうですが、被爆後も成長し、保存されているのはこの2本だけです。
被爆により焼失した社殿を再建した1995年に、現在の場所へ移植されました。」

社殿の左奥に、サクラの木を挟むように2本のクロマツがあります。

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このクロマツを間近で見ようと社殿左側を奥に進みます。

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今は、柵が作られてそばにまで行けませんが、手前のクロマツに被爆樹木を示す表示板が付けられているのが見えます。

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写真には写っていないのですが、よく見ると奥のクロマツにも表示板が付けられていますので、この2本が広島市の被爆樹木リストに登録されているクロマツです。

ここで疑問が一つ浮かびます。14日のブログで「広島原爆戦災誌」には、「境内に茂っていた老松もほとんど枯れ死したが、ただ1本、川べりの松が現在まで残っている」と書かれていることを紹介し「覚えておいてください」と書いておきました。「広島原爆戦災誌」は、昭和46年(1971年)11月6日に発行されていますが、「ただ1本」残っていたはずの被爆したクロマツが、なぜ2本になって被爆樹木リストに登録されているのかです。

難しいと思いますが、この経緯が何かわかることがあるのか、広島市の担当課に訊ねてみたいと思います。

次は、住吉橋東詰め北側の住吉神社境内南端に建つ「住吉橋記念燈」です。

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「住吉橋記念燈」の前に、平成12年(2000年)4月に作られた説明版があります。少し長いのですが、全文紹介します。

「住吉橋は、浅野藩の時代、広島城防衛のために架橋は許されず、往来は渡し舟のみで人々は不便をかこっていた。明治四十三(一九一〇)年、本川(旧太田川)を挟む両地元住民の出費を基に、待望の木造架橋が完成した。
 住民の喜びは大きく、その思いは橋の袂への『記年燈』建立となった。当時、本川は広島と瀬戸の島々とを結ぶ水上交通の安全も祈って常夜燈を模したものと思われる。
 昭和二十年八月六日、原子爆弾による爆風・豪火で一帯は焦土と化したが、記年燈は奇跡的に倒壊を免れた。
 平成五(1993)年、太田川高潮対策事業における堤防工事に伴い、記年燈はやむなく撤去されることとなった。記年燈建立への想いや地元民の苦難の道を偲んでいたくこれを惜しみ、強く保存を願い出た。その結果平成八年九月十八日、もとの位置に復元することが出来た。
この経緯を胸に、記年燈がいつまでも地域住民の心を照らすことを願うものである。
平成十二年四月吉日 本川を挟む両地域住民 住吉町町内会 舟入町町内会」

この説明文によって、住吉橋は1910年に完成し、それを記念して石造りの「「住吉橋記念燈」が建立され、その後1945年8月6日に原爆にあったことが記されていますので、被爆したことは間違いありません。

これまでにも何度か付近を通っていたのですが、初めて知りました。また新たな出会いになりました。

いのちとうとし

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2022年7月15日 (金)

2022.7月のブルーベリー農園その2

ブルーベリーが実り始めると農園を訪問する人たちが多くなる。援農の人たちも摘み取りをメインに来園する。田んぼの稲は日に日に青さを増し、陽が射すと黄緑色の穂先が輝きを増すさまが美しい。半面ブルーベリーのものすごい量のCO2を吸収した葉っぱは、緑の濃さを増していき、春から伸びた枝をいったん止めて、夏の新たな芽を伸ばしていくのでこの枝先だけが若葉色になる。農園の周囲の今年生まれた子カエルが将棋の駒の歩よりもう一回り小さい体で飛び回る。

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79日(土)

法面の草を刈り、

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ブルーベリー畑の草刈りが済んだら、いったん列の中央に寄せた防草シートを広げる作業を続ける。

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昼前、森の工房やの(さくら)の利用者、職員が一日研修で安芸の郷のマイクロバスで摘み取り体験を目的に来園。里山西側の早生のブルーベリーを摘み取る。

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昼食をはさんで午後も摘み取りを行い、11日からのcafeさくらで使用するので20キロを超える量のブルーベリー実を確保することができたので農園から仕入れて持ち帰る。

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マイクロバスが出発するので見送りため、道路に目をやると黒い塊が動くのが見えた。カメだと直感して、このままでは車にひかれるかもしれないので道路に出てみる。カメは15㎝ばかりのU字溝にまたがっていて人の気配に気づいたのかどさっと溝に入って逃げる。U字溝にはまったら出られなくなるので捕まえて田んぼの畔に置いてパチリ。半分だけ首を出してあたりを見回していた。

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710日(日)

午後、農園にブルーベリー大好き家族が熊野町からやってきた。ブルーベリーを育てているので農園の説明をしながらも、8月に2回に分けて家族がかかわっている放課後デイの子どもたちと農園で摘み取り体験を希望されたので日程調整をしてお別れ。虫取りの籠には捕まえたセミの抜け殻、子カエルなどが入っていて子どもは農園が気に入ったようだった。

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帰り道にある農園の近くの田んぼ。稲はどんどん背が伸び青々とした稲の景色が広がる。

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712日(火)

2人の友人が摘み取りの援農で来園。来るときは雨だったが午後は青空が出てきたが、ちょっと涼しい気分で摘み取りができた。

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休憩中にみんなで飲んだのは、ブルーベリーのジュース。収穫した実を森の工房みみずくに納品した。

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ヤブカンゾウが次々咲きだした。蕾も若葉も食べられるそうだがまだその気はなし。

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オニユリの蕾。やっぱり今年は蕾が例年より多い気がする。 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年7月14日 (木)

住吉神社の由来と被爆

管弦祭を見に行ったことがきっかけとなり、住吉神社の歴史を調べてみました。

境内に掲示された由来によれば、享保18年 (1733)に5神が祀られ勧請され、江戸時代は、浅野藩の船の守護神として信仰されました。寛政10年(1798年)水主町(現在の加古町)で大火がありましたが、住吉神社で鎮火し、当時の人は神威の偉大さに驚いたといわれています。しかし、社殿が煙でけがされたとして、翌年6月に現在の場所に遷宮されました。そのため、この日・旧暦の6月12,13日が、夏の例大祭日となり、現在に続いているようです。

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ですから、住吉神社は、原爆投下時現在地にありましたので、爆心地から約1.3キロの地点で被爆したことになります。

広島原爆戦災誌によれば、当時「神殿・拝殿・渡廊下など木造平屋建約40坪の建物があった」とされ、その被害は「社殿はじめ社宝・重要文書などすべて焼失し、境内に茂っていた老松もほとんど枯れ死したが、ただ1本、川べりの松が現在まで残っている」と記されています。「ただ1本」の記述を覚えていてほしいと思います。

さらに原爆戦災誌には、被災当日の様子を次のように記しています。「境内に被災者が雲集し、臨時救護所が設置された。また、ここから暁部隊の舟艇によって多数の負傷者が似ノ島(原文のまま)その他へ運ばれていった。」

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住吉橋のアーチの向こうに似ノ島が見える

この原爆戦災誌には書かれていませんが、「住吉橋記念燈」は、奇跡的に倒壊を免れたようです。

さらに同誌には再建について「昭和23年(1948年)、バラック建てながら神殿と社務所を再建し、同年6月、戦後最初の例祭を執行した。しかし、世情なお不安で参拝者はなかった。」と書かれています。

その後、平成5年(1993年)に太田川高潮対策事業が開催され、堤防のかさ上げが行われ、平成8年(1996年)現在の社殿となりました。

現在は社殿右側奥に平成11年(1999年)に建立された小さな社の合格神社があります。

住吉神社で被爆由来のものを今も見ることができるのは、被爆樹木のクロマツと「住吉橋記念燈」ですが、これらについては次回16日に紹介します。

いのちとうとし

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2022年7月13日 (水)

住吉神社の管弦祭

住吉神社は、国道2号線の本川にかかる新住吉橋の左岸川下にあります。住吉神社の今年の夏祭りが12日(昨日)、13日の二日間行われます。

住吉神社の夏祭りは、すみよしさんと呼ばれ、とうかさん(とうか大祭)、えべっさん(胡子大祭)とともに広島三大祭りに数えられています。

と書きましたが、住吉神社の夏祭りが広島三大祭りの一つだと知ったのは、先日新聞折り込みされたチラシを見たからです。そのチラシには、今年の夏祭りの行事予定が書かれていました。三大祭の文字も目に付きましたが、おっと思ったのが「3年ぶりの広島管弦祭」の文字でした。3年ぶりというのは、ここ2年はコロナのため中止になっていたからです。

そのチラシによると、管弦祭は、初日の12日の午後6時に神事を終えて、住吉神社前の本川を出発し、本川を北上し、相生橋から元安川へ入り、平和大橋と万代橋の間で午後8時ごろ船上祭を行い、船はまた元北ルートをたどり、午後8時30分ごろに住吉神社前に戻るコースが、図入りで紹介されていました。

昨日午後6時前、煙火の音を聞き慌てて自転車で住吉神社に駆け付けました。

多くの参拝者でにぎわっています。3ⅿもある茅の輪があります。

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私が着いた時には、神体や神霊を乗せた「御座船」とそれを引く古来の「漕伝馬船」(こぎでんばせん)が既にスタンバイしています。

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御供船と共に、いよいよ出発です。住吉神社の横、新住吉橋と住吉橋の間で漕伝馬船が掛け声をかけながら2周した後、御座船とロープでつながれ、川岸の観客に手を振られながら、本川を上流に向かって出発しました。

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私はこの出発を見ていったん帰宅し、夕食後の午後7時30分過ぎに船上祭が行われ折り返し地点と図示されていた万代橋に行くことにしました。近くですのですぐ万代橋に着いたのですが、遠くで小さく掛け声が聞こえるだけで、船の姿を見ることはできません。

時間的にみて、ここまで来そうにないようですので、上流に移動することにしました。平和大橋まで行くと元安橋のすぐ下流に船の姿が見えます。しばらくすると、そこで旋回を始めました。どうも元安橋下流で引き返すようです。あわてて元安橋方面にさらに移動し、何とか追いつくことができました。

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この写真を撮ったすぐ後に、原爆ドーム前で漕伝馬船と御座船を繋いでいたロープが離され、漕伝馬船だけが先行して住吉神社をめざします。

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再び本川に戻った漕伝馬船を写真に収めて、私の追っかけもここで終わりにしました。

いのちとうとし

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2022年7月12日 (火)

枯れ死した被爆樹木ムクノキの伐採

今月3日の被爆樹木リストへの登録と抹消: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した枯れ死した被爆樹木ムクノキが、伐採されました。

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参議院選挙の投票を終え、並木通りのギャラリーに行こうと平和大通りの白神社前を通ると地上80cmぐらいの切り株が目に入りました。

枯れ死した被爆樹木ムクノキの切り株です。

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広島市中区維持管理課に問い合わせると「土曜日に業者が作業をしました」とのことですから、私が見た前日に伐採されたようです。切られた翌日でしたので、被爆樹木であったことを説明するパネルは、まだ設置されていません。

切り取った幹の部分は、作業をした業者が持ち帰り保管しているようです。

広島市は、5月27日に行ったマスコミへの情報提供では、伐採した樹木の活用について「伐採後、樹木が活用可能な状態であれば、被爆樹木の保存・活用を行っている民間の団体等との意見交換を行い、活用方法を検討する」としています。

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伐採後の切り株を見ると、真ん中部分には空洞があったように見えますので、全体として活用することは難しいかもしれませんが、周辺部分はしっかりとしているように見えますので、何か良い活用方法が見つかり、被爆樹木としての新たな役割のスタートが切れればと思います。

いのちとうとし

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2022年7月11日 (月)

参議院選挙の結果を考える

7月10日の投開票で実施された参議院選挙の結果が、最終的な得票数は定まっていませんが、今この原稿を書いている午前0時現在、大勢はほぼ確定しました。

この時点で分かっている範囲で、いくつか感想を書いてみます。

広島県選挙区では、私たちが支援した三上理恵さんが、初当選を果たしました。率直によかったなと思います。しかし、選挙結果全体を見ると改憲派といわれる自民、公明、維新、国民の議席は、現有議席と合わせ改憲に必要な参議院の3分の2以上の議席を占めることになるといく厳しい結果となりました。もちろん改憲派といっても、何を改憲するのかまで一致しているわけではありませんので、改憲議席とひとくくりにして良いのかとは思います。しかし「改憲議席が3分の2を上回った」と報道されることになりますから、国会での論戦、特に憲法審査会の開催、論議をめぐって改憲派の勢いがつくことは免れないと思います。

この選挙結果を受けて大事なことは、私は常に主張しているのですが、「憲法改正を最後に判断するのは国民投票」ですので、この結果にくじけることなく、市民運動の力をどう結集するのか、その努力を今まで以上に積み上げることが求められることになります。まさに市民運動にとって正念場を迎えました。

投票率についても考えてみたいと思います。

期日前投票は、前回選挙より1日選挙期間が伸びたとはいえ全有権者の18.60%にあたる1961万3966人が投票しています。そして、前回の参院選と比べて2.49ポイント高くなりました。選挙日の投票率と合わせた推定投票率は、52.16%です。辛うじて50%を超え、前回(48.80%)を上回ることは確実です。選挙前は、前回並みかひょっとすると低くなるかもわからないといわれていましたので、ちょっと意外な気がします。しかし、前回より高くなったといっても、平成になった1989年以降(今回が11回目)では、4番目に低い投票率です。憲法改正を考えると年代別の投票率もしっかり分析することが必要だと思います。

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私が投票所に行ったのは、午前10時半頃でした。列をなすというほどではありませんが、次々と投票所を訪れる人があり、以前よりも多いなと感じました。ただ、この暑さなので「午前中に済まそう」という人が多いのだろうと思っていましたが、選挙戦中盤から物価高など生活に身近な問題がクローズアップされてきましたので、投票率が上がってのはその影響かなと思っています。

投票率がアップしたことが、どの党に有利に働いたのかは定かではありませんが、いずれにしても、投票に行くことから民主主義はスタートするとも言えますし、有権者が政治に関心を持ち、選挙で政治を変えようと思っているということになりますので、良い結果だとは思っています。しかしまだまだ低い投票率ですので、投票率を高めるための努力が求められます。そのためにも、国会でのしっかりとした論戦が必要です。

まだまだ、書きたいこと、書かなければならにことがありますが、確定した選挙結果を見て、改めて書きたいと思います。

いのちとうとし

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2022年7月10日 (日)

電気料金の上昇と電力ひっ迫について

様ざまな物の値段が上がっていますね。電気料金もしかりで、且つ電力需要量に対して供給量の余裕が少ない「電力ひっぱく」が大々的に宣伝されています。これに便乗して与党や一部野党からも、原発を動かしたら明日にでも「値上げもひっ迫」改善されるという感じで宣伝がされています。

 電気料金の値上がり問題を考えるときの基本ですが、小麦の値段が上がっているからパンや麺類が値上げしているのと同じで、電力を作る原料費が上がっている??という理屈です。

 しかし大切なことは、電気は石炭や石油、LNGといった化石燃料、原子力からしか作られるものではありません。

電気は再生可能エネルギーからも、たくさん作ることができます。

電気を蓄える技術も大きく進歩しています。

電気はどうやって私たちのところに届けられているのか、まず発電所で電気をつくり(発電)、その電気を電線で使って送り(送配電)、そしてそれぞれのお客に渡す(小売り)という、大きく三つの工程を経ます。

これまで、この大きな三つの工程は、中国電力や関西電力などという大手電力会社が独占的に担ってきました。ここからは、これらの会社を「旧電力」と書かせてもらいます。

しかし3・11福島第一原発事故を経験し、遅すぎという感でしたが「電力システム改革」という名の元、その形態を変えていくことになりました。

発電については、これまでの石油・石炭・液化天然ガス(LNG)といった化石燃料や原子力発電によるものから、再生可能エネルギーによる発電を主流にしようとなり、21年に策定された「第6次エネルギー基本計画」では、再生可能エネルギーによる発電を大幅に増やすことを柱としました。

送配電については、中国電力ではこれまで独占していた状態から、20年4月1日に「中国電力ネットワーク株式会社」が作られ、発送配電分離というのが形だけは出来ました。

福島事故後15年4月からは、全国の電力融通を指揮する「電力広域的運営推進機関(OCCTO『オクト』と読みます)」が作られ、全国の電力融通が可能となりました。しかし融通電力線の容量不足、そして周波数が日本列島の北側が50ヘルツ(㎐)、南側が60ヘルツ(㎐)という違いがあり、これらを改善する施設の拡充が指摘されていました。

小売り部門については、皆さんご存知のことと思いますが、16年4月から完全に自由化されました。自由化によって国内には700を超える新電力会社が誕生しました。

政府や旧電力は、これまで電力事業を「国策・民営」として営んできたことから、これら大きく三つの改革は本音とではやりたくなかったのです。特に再生可能エネルギー発電の拡大は、大きな抵抗がありましたし、送配電線を持たない新電力には嫌がらせのような妨害を受けています。

そして自前の発電設備を持っていない新電力は、全部または一部をJEPX(日本卸(おろし)電力取引所)から、電力を購入しなければなりません。この購入価格を市場価格といいますが、株式や原油の価格のように取引所で「売った、買った」で決まっているのです。

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このあたりの話しから、皆さん分かりにくくなったかも知れませんが、市場価格は、需要量と供給量で変動しています。1日24時間を30分ごとの48に分けて、価格が変動しています。その動きに興味のある方は、ホームページの「JEPX取引情報」をチェックしてみてください。

ここからが肝心な話しですが、市場価格が昨年から大きく上がりました。これも基礎的な知識ですが、この市場価格は化石燃料の価格に連動しているのです。これを「調整料金」と呼び、こういう仕組みを「燃料費調整制度」といいますが、この価格が大幅に上がったのです。

もちろん需要量と供給量が電気の値段を変動させる大きな要素です。

1年間でもっとも電気使用量が少ないとされる、4月末から5月初めの連休期間中の5月3日、朝7時から16時までの値段は、1キロワット/アワーあたり0円でした。同じこの日でも、16時過ぎから値段が上がり23円くらいになりました。昨年の最高値は、60円くらいになったと思います。こんなになれば、仕入れ価格が上がる新電力はやっていけなくなり、倒産か身売り(合併)する会社が増えてしまいました。

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 JEPX(日本卸電力取引所)に「売り入札」を出すのは旧電力で、「買い入札」の大部分は新電力です。この市場価格が、昨年の10月頃から大きく上昇しています。この市場価格が上昇したキッカケは、昨年10月から、旧電力の売り入札の値段を、日本の天然ガス・スポット価格(JKM)にしてよいと、経済産業省が決めたことにあります。

 福島原発事故後の電力システム改革を本気でやらず、大量に存在する再生可能エネルギーを、何やかやと「難くせ」をつけてきたこの国の政策の失敗だというしかありません。

木原省治

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2022年7月 9日 (土)

安倍元首相の死と参議院選挙の最終日-選挙の意味を考える

投票日まであと二日となった昨日、選挙の応援演説を行っていた安倍元首相が、暴漢による銃撃によって命を奪われました。心から哀悼の意を表します。暴力によって命を奪う行為は、絶対に容認できません。

こうした中で、今日は、6月22日に公示された参議院選挙の最終日を迎えました。

この選挙で与党が勝利すれば、3年間は国政選挙がないともいわれていますので、参議院選挙としては、今まで以上に重要な意味を持つ国政選挙といえます。

選挙のたびに増えている期日前投票を済ませた人は、今回も3年前よりも伸びているといわれています。ちなみに、3年前の期日前投票をした人は、全有権者の16%にあたる1706万人余りでした。

期日前投票は今日まで行うことができますが、最終的にはどこまで延びるかです。

ただ、期日前投票が伸びているにもかかわらず、前回戦後2番間に低かったといわれる投票率は、今回もほぼ同じではないか、天候次第でさらに低くなる可能性すらあるといわれています。

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昨日、上の写真を撮りに中区役所を訪れた時、珍しい光景を目にしました。

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現場で立ち会っている選挙管理委員会の担当者の話によれば、投票所に届けられる扇風機です。広島市中区の投票所は、23カ所ですが、冷房装置が完備されていない投票所に設置するためのものです。中区で約100台準備したとことで、いまトラックに積み込まれているのはコースごとに配布されるその一部です。

政策論争といえるのか

話をもとに戻します。問題は、急速な物価高や低迷を続ける賃金問題、少子化対策など、身近な問題が争点であるにもかかわらず、なぜ有権者が投票に行こうとしないのかです。

その原因の一つは、明確の各党の政策の違いがないからだと思っています。

特に奇妙に感ずるのは、口をそろえて「給料を上げる」という政策です。でも、なぜか「なぜ20年間も実質賃金が下がり続けるのか」「安倍政権の下でも繰り返し『賃上げ』が言われ続けたにもかかわらず、実現できなかったのか」、その根本原因を解明する主張を聞くことはできません。このことを明らかにしなければ、いくら「賃金を上げる」と言われても素直にうなずくことはできません。

有権者がいまひとつ政治に期待しないのは、こうしたことにも原因があるのではないかと思います。国会が、こうした問題に対し厳しい論戦をすることなく、耳当たりの良い政策のみを主張している限り、政治への関心と期待はますます遠ざかるばかりです。

選挙戦最終日の今日は、県内最大の大票田である広島市内に候補者が集中することになり、各候補陣営にとって街頭演説の場所取りに苦労することになると思います。

候補者には、最後まできちんと政策を訴えて、有権者の政治への関心を高める努力をしてほしいと思っています。

昨日の選挙活動を自粛していた自民党も今日の選挙活動は実施することとなったようです。

選挙は、民主主義を守るために絶対に必要なことです。今回の暴挙は絶対に許すことのできない行為ですが、このような卑劣な暴力行為があったからこそ、民主主義を守るためにも選挙活動をきちんと続けることは当然のことです。

私は、選挙の最終日、選挙区三上候補のマイク納めに行く予定にしていましたが、昨日の夕方段階で「中止する」との連絡がありました。この原稿を書いている時点(午前0時30分)では、この予定が生きていると思われますが、選挙事務所でもその後改めて最終日の行動が協議されて決められるはずです。どのような決定になろうと、選挙事務所の判断ですので尊重しますが、私は、暴力に対抗するためにも選挙活動は予定通り最後まできちんとやり通してほしいと思っています。

それにしても異様な雰囲気の中で迎える選挙最終日になりました。

いのちとうとし

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2022年7月 8日 (金)

2022.7月のブルーベリー農園その1

農園の早生のブルーベリーの摘み取りが始まっているので、安芸の郷への納品も始まった。今年もたくさんの実を届けたい。安芸の郷でのブルーベリーの利用方法は①スイーツ(シフォンケーキ、タルト、パンナコッタ、ソフトクリームなど)に新鮮で大粒のブルーベリーの実をアレンジしている。②ブルーベリージュース ③100gパックなどがいまはメインでcafeさくらにはこれらを楽しむお客さんが多い。629日にはcafeさくらにケーブルテレビ・ちゅぴCOMの取材もあって、多様な加工のできるブルーベリーの特性が多くの人をつないでくれている。農園では、梅雨も明けたが時々雨も降るので合間を縫って摘み取り前に草刈りや環境整備をする準備を進めた。

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630日(木)

気温も高いが、空は青く、雲が広がりブルーベリーの葉も上に伸びる。

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72日(土)

ヤブカンゾウが開花。

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庭の池をいつも見て回る。シオカラトンボの雄がきていた。

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農園の周囲にトラクターの動く音

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刈り払い機のエンジンの音が広がる。刈っても刈っても生えてくる草を刈る作業が行われている。

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農園の畑でも防草シートを列の真ん中に寄せて木と木の間の草を刈る下準備をしてから草を刈る。3段ある畑の草刈りは終わった。次は里山に移る。

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小さな畑に植えてあるトマトの横で毎年アカジソが顔を出す。

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同じ畑の法面の富有柿。今年はたくさん実がついている

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里山西側の早生のブルーベリーの摘み取り

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ブルーベリーの実のなっている姿はいろいろあって面白い。中にブルーベリーの塊の長さが20㎝位に伸びてたわわに実をつけているものや、

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丸くなった塊もある。早生のブルークロップという品種 

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2022年7月 7日 (木)

復興支援の論議より停戦にこそ力を

EU(欧州連合)に加え、アメリカ、日本など40カ国が参加して、ロシアの軍事侵略で甚大な被害を受けるウクライナの復興を話し合うための国際会議「ウクライナ復興会議」が、スイスで7月4日、5日の2日間開催され、最終日には復興への原則を取りまとめた「ルガノ宣言」が採択し、終了したと報道されています。

日本政府からは鈴木貴子外務副大臣が参加し、国際社会と協力しながらウクライナの復興に向けて、強力に支援する考えを表明しています。

この会議で、ウクライナ政府は、復旧や復興を進めるためには、現時点で総額およそ7500億ドル、日本円にして100兆円余りが必要になると強調しています。

この会議は、2017年に始まった「ウクライナ改革会議」がもとになっており、来年は英国で開催されるようですから、ロシアへのウクライナ軍事侵略が始まったから開かれた会議ではないようですが、従来とは全く性格を異にする会議となったことは明らかです。「改革会議」という名称がちょっと気になりますが。

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2月24日に軍事侵略が始まってすでに100日を超えましたが、依然として戦闘行為は続いたままです。建物の破壊が続き、避難は続き、何よりも絶対に復興することのできない市民のいのちが奪われ続けています。ウクライナ・ゼレンスキー大統領は、繰り返し「2月24日以前の状態に戻すまで闘う」と発言しています。そしてそのための武器を支援しているのが、今回の「ウクライナ復興会議」の中心メンバーであるEUであり、アメリカです。

この「ウクライナ復興会議」のニュースに接して、私は非常な違和感を持ちました。「復興を話し合うより先に、まず停戦をさせることは先だ」と思うからです。

この軍事侵略による破壊の責任がロシアにあることは言うまでもないことですが、武器を供給し続け、戦闘行動の継続を言い続ける限り、被害は拡大し続けるばかりです。復興費も当然増大します。

今やるべきことは、即時に停戦を実現することです。そのためにこそ、国際社会は役割を果たすべきです。当然日本もです。

外務省は、「ウクライナ復興会議」について「鈴木外務副大臣『ウクライナの復興に関する国際会議』に出席」という報道発表をホームページに掲載しています。その中で鈴木外務副大臣の冒頭の発言として次のように紹介しています。

「唯一の被爆国であり、また、様々な自然災害から復興を成し遂げてきた日本の経験を生かしながら今後のウクライナの復興に積極的に貢献していく考えを強調しました。」

この文章を読み、びっくりしました。

「唯一の被爆国」ということばが使われているからです。ただ「唯一の」であれば全く誤りです。「唯一の」といいたのであれば、少なくとも「唯一の戦争被爆国」でなければならないはずです。

ここで指摘したいのは、そのことだけでなく「唯一の被爆国」というのであれば、「戦闘行為が続く限り『核の使用の危機が続く』。この危機を取り除く唯一の道は、直ちに停戦を実現させることです」と発言すべきだったはずだということです。停戦の実現を呼びかける意義は、もちろん「核の使用の危機をなくす」ためだけではありません。何よりも戦争によって奪われる市民のいのちを守ることが重要だからです。

平和憲法を持つ日本は、停戦を実現させるためにこそ、もっと役割を果たすべきです。

いのちとうとし

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2022年7月 6日 (水)

反核平和の火リレー出発時間が遅くなったことの顛末

第41回目を迎えた「反核平和の火リレー」の慰霊碑前出発が午前8時半だったことは、一昨日の第41回「反核平和の火リレー」がスタート: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で触れました。

「反核平和の火リレー」が始まった40年前から、原爆慰霊碑前からの出発時間は、ずっと午前8時15分でした。出発式のセレモニーが伸びて8時15分の出発が遅れなければよいがといつもやきもきするほど大切にしてきた時刻です。

午前8時15分は、あの日広島に原爆が投下された時間です。ですから、「反核平和の火リレーの出発」は、この時間しかなかったのです。この時間に合わせるため、出発式のセレモニーは、午前7時45分頃からはじめました。通勤時間のラッシュと重なるこの時間に間に合うためには、ずいぶんと早くに自宅を出なければならなかった来賓の方々も多くありました。「反核平和の火リレー」が始まった時から激励をしていただいた森瀧市郎先生も、佐伯区海老園の自宅をずいぶん早くに出発していただいた一人です。

なぜ、今年は出発時間が遅れたのか、実行委員会のメンバーに聞いてみました。「公園を警備する責任者から、『(採火のための)担当者を早く配置に着けると時間外になるが、手当が出せないので時間を遅らせてほしい。』と連絡があったので、やむを得ず時間を遅らせることにしました」とのことでした。

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私も「反核平和の火リレー」が始まった時に事務局メンバーとして関わってきていますので、「思いがあって決めた出発時間が変更されたこと」には、どうしても理解できませんでしたので、勝手にですが、出発式後広島市役所を訪れ担当課長に事情を尋ねてみました。

課長は、そんなことがあったことは、全く承知していませんでしたので「なぜこうなったのかを調べてみてほしい。来年からはぜひ、以前のように午前8時15分に出発できるように対応してほしい」と要望して帰りました。

午後になって担当課長から電話があり「来年以降は従来通り行っていただけるようにします。」との回答です。次に出た言葉は「市の方から時間の変更を要請したことはありませんが、警備会社の方で、連絡を入れたようです。一応実行委員会からは理解していただいたと聞いていますが」とあたかも実行委員会が何もなく了解したような言い方でした。出発式の時実行委員会から、警備会社とのやり取りを聞いていましたので、「確かに実行委員会は最終的に了解したかもしれないが、それは『携わる人に時間外手当が払えないから』と警備会社から言われたため、労働運動をしている立場からサービス残業をしてでもとは言えないからですよ」と指摘しておきました。これに対しては、返答なしでした。

いずれにしても来年からは従来通りの時間に出発できることになりましたので、すぐに実行委員会のメンバーにそのことを伝えるとともに、「採火の時間を出来るだけ遅らせて、警備員の負担を減らせるようにしてください」とお願いしました。もちろん「OKです」の返事です。

今日も県内のどこかで走っている「反核平和の火リレー」が、無事に走り継がれることを願っています。

いのちとうとし

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2022年7月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その33) 少数民族の子どもたちへの奨学支援シリーズ2

-貧しい少数民族村はベトナム戦争の激戦地-

ベトナムは54の民族が暮らす多民族国家です。いわゆる一般的に「ベトナム人」と呼ばれているキン族(ベト族)が86.2%と圧倒、53の少数民族が13.8%です。主な少数民族ではタイ―族、タイ族、ムオン族、クメール族、ホア族、ヌン属、モン族の7民族がほぼ10%、残る46の民族が約4%です。

私たちが奨学支援しているクアンチ省にはヴァンキュウ族、パコ族、タオイ族、コトゥ族、ブル族、ホア族などが、ラオスとの国境に沿って延びるチュオンソン山脈に暮らしています。耕地は少なく、焼き畑農業と山あいの急斜面に植えられたパルプ材を主とした林業で得る収入は年間に数万円程度。学校の教材や学用品も乏しく村の診療所にはベッドと血圧計のほか医療器具も見当たりません。

下の写真は2009年10月、初めてパコ族の村を訪ねたときのものです。もの凄いスコールが赤土の斜面を叩き、高床式住居の下を泥水が走る中をやっとの思いで辿り着いた小学校です。好奇心と戸惑いが入り交じった子どもたちの笑顔に迎えられた教室にはドアも窓もありません。

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クランチ省パコ族の小学校 2009年10月

下の図はJICAが2012年に作成したベトナムの「地域別貧困率」を表した地図です。ちょうどパコ族の村を訪ね、奨学支援を始めた2009年の状況を示したものです。貧困率が最も低い濃い緑から、最も貧困率の高い濃い赤まで色分けしてあります。地図上の①北部国境の山岳地域ラオカイ省やディエンビエン省と、地図の真ん中辺り②に濃い赤色の地域があります。ここが「ベトナムで最も貧しい省の一つ」と言われるクアンチ省です。クアンチ省の南(地図上の③)、“ベトちゃんドクちゃん”が生まれた中部高原地域コントウム省なども貧困率が高い地域です。

ちなみに、コントウム省は1961年8月10日、米軍がベトナムで最初に枯葉剤を散布したところです。

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JIKA作成2009年当時の地域別貧困率

こうして見ると、貧困率の高い地域は少数民族が暮らしていること、そしてベトナム戦争が激しく戦われた所だということがよく分かると思います。ディエンビエン省ではなくディエンビエンフーと言えば、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。1954年にフランス植民地支配を破った有名なディエンビエンフーの戦いの地です。

そしてクアンチ省は旧南北ベトナム国境線が敷かれ、1968年に米軍を敗退させた「ケサンの戦い」、ベトナム戦争の帰趨を制した1972年の「クアンチ古城の攻防」が戦われた地です。中部高原地域もソンミ事件が起きたクアンガイ省などもベトナム戦争激戦地です。

ベトナム戦争の激戦地だった地域に暮らす少数民族を苦しめている不発弾や地雷などによる被害、2009年から10数年経た今日の少数民族の暮らしなど、もう少し「少数民族の子どもたちへの奨学支援シリーズ」を続けます。

(2022年7月5日、あかたつ)

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2022年7月 4日 (月)

第41回「反核平和の火リレー」がスタート

広島県青年女性平和友好祭実行委員会(実行委員長新田康博)が主催する今年で第41回目となる「反核平和の火リレー」の出発式が、今朝午前8時から平和公園・原爆慰霊碑前で始まりました。

1982年3月に行われた「3.21平和のための広島集会」の成果を引き継ごうと同年夏に始まった「反核平和の火リレー」は、今年で40周年を迎えます。

今年は従来の「語り継ごう 走り続けよう ヒロシマの心を」にくわえ、「世界中の核兵器廃絶を求めて~広島の青年・女性から未来の子どもたちへ~」のスローガンが掲げられています。

新田実行委員長による献花の後、全員の黙祷で始まった出発式。続いて広島県平和運動センター佐古正明議長、原水爆禁止広島県協議会は私が、広島県被団協前田耕一郎事務局長が激励のあいさつ。その後社民党と新社会党の代表の紹介。来賓あいさつの最後に広島市長から寄せられたメッセージが読み上げられました。

そしてリレーされる「反核平和の火」が、副実行委員長で自治労広島県本部青年部長の中村優吾さんによって原爆慰霊碑後ろで燃える「平和の灯」から採火されました。40年前、広島市のとっても初めてのこととなった「平和の灯からの採火」でしたので、当時は申し込みの様式もなく、何度も市役所に足を運び、相談しながら採火の許可を得たことを思い出します。

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無事に採火された火が、第1走者の新田実行委員長(写真右側)の持つトーチに移されました。

「反核平和の火」が灯ったトーチをかざし新田実行委員長が「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ ノーモア ウォー ネバーギブアップの精神で走り継ぎます」と誓いの言葉を述べ、午前8時30分に他の4名のランナーと共に小雨が降る中原爆慰霊碑前を出発しました。

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「反核平和の火リレー」は、これまでは毎年原爆が投下された時刻の午前8時15分に原爆慰霊碑前を出発していましたが、なぜか今年は午前8時30分の出発となりました。初めてのことです。広島市の要請(警備担当)だと聞いていますので、その理由を質したいと思っています。

コロナ禍ということで、一昨年・昨年と大幅に短縮して行われていましたが、今年は今日から7月22日まで(土日祝日を除く)県内23全市町655.6km590区間を約1000人のランナーで走り継ぐことになっています。

県内を一周した「反核平和の火」は、7月22日午後6時に平和公園・原爆慰霊碑前に帰り、到着式が行われることになっています。

猛暑の続く毎日ですが、無事に帰ってくることを祈っています。

いのちとうとし

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2022年7月 3日 (日)

被爆樹木リストへの登録と抹消

最近、被爆樹木として新たにマツが登録されたことをニュースで知り、見に行こうと広島市の被爆樹木リストを検索しました。

しかし、被爆樹木リストからその情報を得ることができません(現在は、修正済み)ので、直接担当課の平和推進課にメールで情報の提供をお願いしました。

すぐに返信があり、5月26日にマスコミに提供された報道情報が添付されていました。

新たに登録された被爆樹木は、舟入幸町の民間所有地にあるマツです。被爆地からは、約1,900mの距離です。

登録の経緯は次のとおりです。

① 市民の方から家屋を取り壊し結婚式場(令和5年3月オープン予定)として整備される予定の敷地内に被爆樹木と思われるマツがあると情報提供があった。

② 米国国立公文書館から入手した被爆前の広島市内の空撮写真等により比較照合し、当該樹木が被爆当時から現在地に存置していたことを確認した。

③ 樹木医の堀口力氏に現地を確認していただいたところ 「樹齢は100年以上が経っており、証言どおりと思われる。」との意見であった。

これで、このマツが被爆樹木として認定されました。さらに次の情報が書かれています。

「現在、当該樹木が位置する敷地は工事中のため、現地取材をされる場合は、事前に当課までご連絡ください。一般公開は、令和5年3月の予定です。」

残念ながら今すぐに見に行くことはできないようですので、広島市に写真の提供をお願いしたところ、下の写真が届きました。

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 被爆77周年を迎える今でも、新しい被爆樹木の発見があったことは、ちょっとした驚きでした。

広島市から送られてきた資料には、新規の登録情報だけでなく、残念な情報も書かれていました。

枯れ死が確認され、登録抹消された被爆樹木があることです。

その被爆樹木は、白神社前の平和大通り緑地帯にあったムクノキです。ここには、エノキ、クロガネモチ、カキ、センダンなどの被爆樹木がありますが、3本あったムクノキの1本が枯れ死してしまいました。

広島市は、被爆樹木を保存・継承するため、樹木医によるモニタリングを行っていますが、このムクノキは、2017年(平成29年)度のモニタリング時に、樹勢が著しく悪くなっていることが判明し、幹の切断や養生などを行い回復に努力されたようですが、昨年度の調査で枯れ死が確認されてしまいました。

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この被爆樹は、広島市中区維持管理課が管理していた木だけに残念ですが、今後は、地上80cmぐらいのところで切断し、切り株部分は、被爆の実相を伝えていくため、被爆樹木であったことを説明するパネルを設置し現地で保存することになっています。

この情報を得て、改めてこの枯れ死したエノキを見に行き撮影したのが上の写真ですが、現地に行ってびっくりしたことがあります。

東隣の被爆樹センダンの木の大きな枝が折れて、下に落ちていました。

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春には見事な花を咲かせた私たちの目を楽しませてくれていた木です。何が原因かはわかりませんが、かなり大きな枝が折れてしまうのですから、植え替えることができない被爆樹木を残し伝えることは大変なことだということを改めて実感させられました。

1本が登録され、1本が抹消されましたが、現在登録くされている被爆樹木は160本です。

いのちとうとし

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2022年7月 2日 (土)

ミャンマーを忘れないで 「1の日行動」

昨年2月1日、ミャンマーの軍がクーデターを起こして丸1年5カ月となる昨日7月1日、15回目を迎える「ミャンマー忘れないで 1の日行動」が、午後3時から1時間本通電停青山前で、実施されました。ちょうど、この場所を通りかかりましたので、私も参加しました。

昨日の行動では、私を含め4人の弁士が、マイクを通じて訴えましたが、この行動の事務局を担っている小武正教さんの訴えの一部組紹介します。小武さんは、毎回三次から参加されています。

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「昨年2月1日に軍事クーデターが行われて以降、6月29日の時点で、はっきりとしているだけでも2,039人の市民が殺され、14,374人が逮捕されています。

6月20日に広島を訪れたミャンマーの僧侶アシン・タワラ師は、ミャンマー軍の残虐行為によって市民が殺されている様子を写真で紹介しながら、『日本が国民統一政府(NUG)への支持と人道的支援』を訴えました。

4月26日には、日本政府がこれまでも行われてきたことですが、新たにミャンマー国軍関係者4名を受け入れ、防衛省の管轄施設で訓練を行うことが明らかになりました。これは、市民のいのちを奪い、弾圧をくり返すミャンマー国軍への協力です。絶対に許すことはできません。強く抗議します。

さらに日本政府は、対ミャンマー経済協力を明確に中止することなく、状況を見守って判断するという姿勢を崩していません。日本の大企業の多くも、国軍による人権侵害への加担につながる可能性のあるミャンマーでのビズネスについて、人権侵害を回避するための具体的行動をとることなく、融資を継続しています。まるで国軍が来年実施するとしている国政選挙、そしてその結果を待ち、なし崩しに経済支援やビジネスを継続していこうとしているかのようです。

またミャンマー軍は、市民・国会議員4人に対して死刑を執行することを表明しています。現地メディアによるとミャンマーでは30年以上、死刑は執行されていませんから、もしこの死刑執行が行われれば、まさに異常な事態といえます。決して死刑執行を許してはなりません。声を上げてください。」

私が訴えたことは次のことです。

「ウクライナへのロシアの軍事侵略の状況は、過剰と思えるほど情報が流れていますが、日本国内で、ミャンマーの現地の状況は、全くと言ってよいほど報道されません。

ですから、多くの国民が、いまミャンマーで何が起きているか知るすべがない状況です。これは、日本国内だけでなく、世界各地で起っていることです。

国際社会がミャンマーで起きている軍事政権による横暴を知らなければ、また関心を持たなければ持たないほど軍の横暴は続くことになると思います。私たちが無関心でいればいるほど、ミャンマーでは多くの市民のいのちが奪われ、軍による弾圧が続くことになります。今、この声を聞いたことを機会に、ミャンマー問題に少しでも関心を深めてください。」

何人かの人が、カンパをしてくださいました。

いのちとうとし

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2022年7月 1日 (金)

「旧中島地区被爆遺構展示整備事業への取組に対する要望書」を提出

6月18日に開催した「広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会総会」で確認した「旧中島地区被爆遺構展示整備事業への取組に対する要望書」(広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会、最後の要望書を提出して活動を終了: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)に全文を紹介)を、昨日広島市に提出しました。

旧中島地区被爆遺構を展示する「被爆遺構展示館」がオープンして3カ月が過ぎましたが、来館者が多いとは言えない状況が続いています。

この館をめぐっては、様々な評価がありますが、せっかく作った「被爆遺構展示館」ですから、これからもさらに努力して、より被爆の実相を伝える展示館として成長してほしいと思います。

そこで特に気になっていることがあります。それは、この展示館の管理主体です。建設の経緯から、現在は広島市の平和推進課が所管し、運営に努めています。しかし、将来もこのまま広島市が直接管理するのが本当によいのかどうか、検討する必要があると思います。

現在いる平和推進課の職員は、この館の建設や開館後の運営に直接携わってきた人がほとんどです。ですから、熱意をもって「来館者を多くするためには、どんなことをしなければならないのか」を真剣に考えていると思います。その思いは、昨日の要望書提出の際にもよく伝わってきました。

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しかし、広島市の職員は、3年ごとくらいに配置転換があります。つまりは、3年過ぎるとこの間の開館に関わってきた職員は、いなくなります。もちろんそれだからといって管理がずさんになるとは思いませんが、今いる職員より熱意が薄くなることは避けられないと思います。

私は、この話が始まった時から「被爆遺構展示館」は、原爆資料館を補完する施設として運営されるべきだと思っていました。その理由は言うまでもないことですが、両館とも直接被爆したものを通じて「被爆の実相」を展示し、原爆の悲惨さ、非人道性を伝え、核兵器のない世界実現のための役割を果たす施設だからです。

だとすると、「被爆遺構展示館」は、原爆資料館の別館として位置付け、連続して見学する施設とすべきです。しかも、原爆資料館の職員は、広島市の職員と違い資料館のプロパーとして働いていますから、資料の収集や懸案である「誰が住んでいたのか」を特定する作業も継続して取り組むことができることになります。

現在「被爆遺構展示館」の館内での案内は、広島市の委託を受けたシルバー人材センターから派遣された人たちが担当しています。原爆資料館や平和公園を案内するピースボランティアの人たちではありません。ピースボランティアの人たちは、原爆資料館と密接な関係にありますから、原爆資料館が「被爆遺構展示館」を管理することになれば、ピースボランティアの人たちももっと積極的に平和公園を訪れた人たちを「被爆遺構展示館」に案内するに違いありません。

まだ開館したばかりですので、すぐには実現できないと思いますが、将来を見据えて積極的に検討してほしいと思います。

いのちとうとし

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