「旧中島地区被爆遺構展示整備事業への取組に対する要望書」を提出
6月18日に開催した「広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会総会」で確認した「旧中島地区被爆遺構展示整備事業への取組に対する要望書」(広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会、最後の要望書を提出して活動を終了: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)に全文を紹介)を、昨日広島市に提出しました。
旧中島地区被爆遺構を展示する「被爆遺構展示館」がオープンして3カ月が過ぎましたが、来館者が多いとは言えない状況が続いています。
この館をめぐっては、様々な評価がありますが、せっかく作った「被爆遺構展示館」ですから、これからもさらに努力して、より被爆の実相を伝える展示館として成長してほしいと思います。
そこで特に気になっていることがあります。それは、この展示館の管理主体です。建設の経緯から、現在は広島市の平和推進課が所管し、運営に努めています。しかし、将来もこのまま広島市が直接管理するのが本当によいのかどうか、検討する必要があると思います。
現在いる平和推進課の職員は、この館の建設や開館後の運営に直接携わってきた人がほとんどです。ですから、熱意をもって「来館者を多くするためには、どんなことをしなければならないのか」を真剣に考えていると思います。その思いは、昨日の要望書提出の際にもよく伝わってきました。
しかし、広島市の職員は、3年ごとくらいに配置転換があります。つまりは、3年過ぎるとこの間の開館に関わってきた職員は、いなくなります。もちろんそれだからといって管理がずさんになるとは思いませんが、今いる職員より熱意が薄くなることは避けられないと思います。
私は、この話が始まった時から「被爆遺構展示館」は、原爆資料館を補完する施設として運営されるべきだと思っていました。その理由は言うまでもないことですが、両館とも直接被爆したものを通じて「被爆の実相」を展示し、原爆の悲惨さ、非人道性を伝え、核兵器のない世界実現のための役割を果たす施設だからです。
だとすると、「被爆遺構展示館」は、原爆資料館の別館として位置付け、連続して見学する施設とすべきです。しかも、原爆資料館の職員は、広島市の職員と違い資料館のプロパーとして働いていますから、資料の収集や懸案である「誰が住んでいたのか」を特定する作業も継続して取り組むことができることになります。
現在「被爆遺構展示館」の館内での案内は、広島市の委託を受けたシルバー人材センターから派遣された人たちが担当しています。原爆資料館や平和公園を案内するピースボランティアの人たちではありません。ピースボランティアの人たちは、原爆資料館と密接な関係にありますから、原爆資料館が「被爆遺構展示館」を管理することになれば、ピースボランティアの人たちももっと積極的に平和公園を訪れた人たちを「被爆遺構展示館」に案内するに違いありません。
まだ開館したばかりですので、すぐには実現できないと思いますが、将来を見据えて積極的に検討してほしいと思います。
いのちとうとし
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